台湾 塩寮訪問記録 台湾我流解説

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■■■台湾の概略

  台湾のことについてあまり詳しくない方もぜひ、この文章を読んで欲しいと願うので、台湾のもろもろのことについて概略を書いて見ました。ただし、私自身、それほど詳しいわけでもなく、また分かりやすく簡略に書きましたので、誤解を招く点があるかもしれません。ご容赦ください。

□歴史

  もともと台湾には、マレー系のいくつかの原住民族の方々が住んでいたが、徐々に大陸から漢民族の人々が移住してきた。特に清の時代になってから本格的に台湾への移住が行われた。そして日清戦争に日本が勝ったことにより台湾は日本の植民地となる。この時点では、ほとんどの台湾住民が漢民族となっていた。
  その後、日本が戦争に負けたことにより、台湾は解放された。しかし、中国本土で、毛沢東の中国共産党との闘いに破れた蒋介石の国民党が、台湾に逃げ込み政府を作ったことにより二つの中国の体制が続くことになる。
  現在に至るまで、中国は、台湾も中国であると主張し、台湾政府・中華民国は中国全土が中華民国のものであり、現状は特殊な状態であると位置付けている。実際台湾では現実に必要のない全中国の知事などが存在したというが、現在ではそういうことはないらしい。

□民族

  10ほどの原住民族(高山族とも呼ばれる。日本統治時代は高砂族と呼んだ。彼らは自らを「原住民族」と誇りをこめて呼ぶことが多いためこの文章では「原住民族」を使用する。なお、日本でよく使われる「先住民」という表記の「先」は台湾では「故」に近い意味があることもあり、ここでは使用しない。)は人口の数パーセント。70%は内省人と呼ばれ、蒋介石が台湾に来る前から台湾に住んでいた人々。のこりの30%足らずが外省人と呼ばれる、蒋介石と共に大陸から渡ってきた人々である。

□言語

  原住民族はそれぞれの言語を持っている。内省人はみん南語、客家(ハッカ)語の二つが多い。外省人は中国のあちこちから来ているため様々であるがおおむね北京語を話す。政治の中心は外省人であったため、台湾人のほとんどが使用しているみん南語や客家語ではなく、北京語が公用語とされている。

□政治・経済

  蒋介石が台湾に来てから、ずっと国民党により政治は支配されてきた。中国に攻め返すのがとにかく目標であったため、実に40年近く戒厳令をしいており、民主化の気配もなかった。
  しかし、その間も内省人は経済活動に励み、台湾の経済は順調に育っていった。経済の好調による中間層の増大とアメリカ帰りのインテリ層の増大などにより、始めての野党・民進党ができるにいたって、政府は戒厳令をようやく解き、これ以降民主化が進んでいき、総統が直接選挙により選ばれるまでになった。
  経済はハイテクの波にのった。比較的安い人件費と迅速で高度なテクノロジーが生み出す安く信頼性の高いパソコン部品は世界のトップシェアを誇っている。いまや日本のパソコンもアメリカのパソコンも台湾の部品なしには成り立たない。
  1990年以降、6%もの経済成長を誇ってきたが、ここ2年ほどは4,5%に留まっており、他のアジア諸国と比べるとはるかにましだが、国内では不景気には違いない。

□重要な出来事

霧社事件
  日本統治時代、台湾内陸部の霧社というところで、日本軍に対する一斉蜂起が起こった。これを日本軍は鎮圧し、村人のほとんどを皆殺しにした。

2.28事件
  国民党が支配を始めたころ、タバコの闇販売をしていた老女を警官が殴打したことに端を発して生じた一斉蜂起事件。これは台湾全土に波及し、当時まだ中国本土にも存在していた国民党の軍隊まで呼び寄せて鎮圧させた。多くの人々が惨殺され、長年その事実も明らかにされていなかったが、近年ようやく事実の掘り起こしが始まっている。

□日本感情

  なぜか日本への感情は悪くないと言われている。一つには、鉄道や水道、教育など多くの台湾のインフラを整備したのが日本だったことなどや、太平洋戦争時に比べると日清戦争時の日本ではまだ、五族協和といった考えが形骸化していなかったことにより、台湾における日本人の態度が「まし」だったことによるのではないかと思う。
  また、日本からの解放後、より厳しい国民党支配が続いたことも日本への悪感情が高まらなかった理由だと思われる。
  また、外交的には中国との緊張関係のため、日本および日本に駐留する米軍の軍事力は台湾にとって重要であり、日本との関係を悪化させるわけにはいかない、ということもあるのかもしれない。

□統一と独立

  国民党の建前は国民党による全中国統一。民進党は台湾独立である。
  中国は国民党による統一はもちろんだが、独立も非常に警戒している。中国の建前はいまもって、台湾も中国の一部だからだ。したがって、いずれは香港のように中国にもどってくるべきものと考えている。台湾が独立を宣言し、それをアメリカが認めるようなことがあれば、軍事衝突もまぬがれないだろう、などとも言われている。
  国民党も建前は建前でおいておいて、実は現状維持を経て、ゆるやかな独立へと向かう路線をとろうとしている、という話しもあり、その路線のほうが国民には受け入れられやすいと思われる。

□原発と政治

  現在、台湾では3箇所に2基づつ合計6基の原発が稼動している。いずれも戒厳令の下で建設されてしまったもので、民衆には抵抗のしようがなかった。日本から輸出されようとしている第4原発は民衆が抵抗可能な始めての原発ということになる。
  原発建設を推進しているのは現政権、国民党。民進党は原則反対で、84年の選挙のときには選挙の大きな争点でもあった。

□塩寮(えんりゃお)

  塩寮は台湾南部の小さな村。地図にのっている最寄りの地名は澳底(おうてい)である。台北から車で2時間ほど。漁民が多く夏は絶好の海水浴場として栄える。
  海岸は国立公園になっているのだがその道路一つ離れた広大な土地が原発予定地。

□第四原発

  原発は政治においても重要な論点とされてきた。一時は民新党による働きかけにより計画白紙撤回にまでこぎつけたが、議長権限でさし戻しとなるなど緊迫した攻防が続いてきた。

 

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