
【塩寮再び】
命を守る人々
翌日、私と佐藤さん、宇野田さんは台灣緑色公民行動連盟の方々と共に再び塩寮を訪れた。
福隆の駅前の海水浴用品屋さんが、楊貴英さんの家だ。
みんなで大歓迎してくれ、食事をごちそうになってしまう。

一息ついた後、塩寮反核自救会の初代会長だった江文益さんを訪ねた。(下の写真左から2番目の座っている方。)

日差しはきびしいが、軒下のテーブルの周りには乾いた風が吹き抜けていき、暑さをやわらげてくれる。台北の喧噪を離れ、別世界のようだ。
江文益さんは病気を繰り返し手術をしたところで、なんとかここまで元気になった、と流暢な日本語で話す。
陳水扁が総統に当選したときは、嬉しくて嬉しくて、もう死んでもいいと思ったけれど、第四原発を止める様子がないので、このままでは死んでも死にきれない、と笑った。
学歴でも権力でもなくて、暮らしている人々に根ざしていないとダメなんですよ、と語った。

上の写真の左の方も、反核自救会の方。足をけがしており、40センチにも渡って手術のあとがあった。机の上には、昔撮った反核自救会の記念写真が飾られており、団結の強さが感じ取れた。

楊貴英さんの家に戻ると、宇野田さんの息子:南君がアトピー性皮膚炎になっているのを見て、一人の方がわざわざ山へいって、薬草を採ってきてくれた。それをみんな総出で、薬草の葉っぱをちぎり、すりつぶし、絞る。
澳底の呉文通さんも現われ、薬草と合わせて使うといいという漢方薬を、医者のところまでわざわざ取りにいってくれた。
みんな、南君のために汗を流している。「心が洗われるよう」宇野田さんがつぶやいた。

夕方になって、海へ向かう。楊貴英さん自慢の海水浴場だ。言葉にできないくらい、夕日が美しい。

言葉が見つからず、ほんとにきれいなところですね、とだけ楊貴英さんに話すと、自慢そうに微笑んだ。
夜、エコツーリズムの集まりに合流する。
いってみると、緑色公民行動連盟のおなじみのメンバーがスタッフとして活躍しており、この日のミーティングも終盤だった。

この集まりは今回が初めてで、これから毎年開く予定だという。貢寮を好きで、環境保護という点のみで集まり、様々なことに取り組んでいる人たちが一同に介しているので、方向性を定めるのが難しいという。
英語であいさつすることになった。私は、以下のようにたどたどしい英語で話し、頼の通訳に頼った。
| 貢寮はすばらしい自然を持っている、 貢寮はすばらしい環境を持っている。 そしてあなた方はすばらしい心を持っている。(笑) そして、ここは日本が台灣を最初に侵略した場所だ。私はそのことに謝罪しなければならない。しかし、今、さらに日本はここに原発を輸出することで第二の侵略を行おうとしている。私はそれをどうしても止めたいと思っている。そして、それはここにいるみなさんと協力していけば、かならず実現することだと思う。そしてその絆は新しい台灣と日本を繋ぐ絆になるはずだ。 |

台灣北部の環境運動の大きな事柄として第四原発があるが、南部ではダム建設反対があった。そのダムは日本の無駄な公共工事と同じように、黒金(賄賂などのこと)が推進力となり進められ、環境も破壊するとして、大きな反対運動が起っていた。
そして、そのダム建設は、陳水扁が総統となった後に中止が決定されたのだった。私の来ているTシャツには、そのダム建設の中止を求めるメッセージが書かれている。
上の写真の真ん中の方はその南部のダム建設現場の近くからいらした方だった。 私がCongratulations!というと、私のTシャツを見て、ほんとうに嬉しそうにいろいろと話してくれた。
このシャツは頼がNNAF2000のため日本にやってきたときにもらったものだ。数ある種類の中からこのシャツを選んだのも偶然だったが、この日にこれを着ていたのも偶然だ。しかし、なんだか貢寮が私に出会いを与えてくれるために、このシャツに巡り合わせてくれたように感じた。