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日本では70年代に市民運動が芽生え、公害に対してもいくつもの抗議の行動が行なわれました。この結果、日本の公害規制は、世界有数のものになりましたが、企業は、工場を規制のない、アジアの国々に移転させたのです。 私達が気付かないうちに、公害輸出が進んでいきました。 今、また、原発政策にいきづまりを感じた日本政府と電力関係企業は、アジアへ原発を輸出することで、原発産業を生き残らせようとしています。 このままでは70年代の公害輸出の二の舞になってしまいます。 |
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日本の人々に問われているのは、侵略してきた歴史の教訓から学び、現在の侵略を許さないこと、そして、いのちと人々とをふみにじることで成り立っている自分たちの暮らしを見つめ直すこと、そして、アジアの中で、アジアの人々とともに生きていくこと。 |
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このアジアにみちあふれているかどうか。 それは、 私達の行動にかかっています。 |
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企画・製作 : ノーニュークス・アジア・フォーラム ジャパン 関西 |
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