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第一回 日本
東京 ノーニュークス・アジア会議

討論 第一日



司会(コラソン)
 ありがとうございました。さて、これからの時間は自由討論で、この問題に関して、さらに突っこんだ議論をしたいと思います。
 今夜のテーマに関して、意見や質問、問題提起のあるひとの発言をどんどん受けていきたいと思いますが、どなたかいらっしゃいますか。



自治体における運動
町田有三(自治労・原水禁)
 日本のプルトニウム政策をどのようにしてとめていくのか。プルトニウムを日本からなくしていくひとつの拠点として、自治体をまきこんでの今後の運動を考えてみたいと思います。昨年の横浜での非核自治体会議では、国家と民衆の運動とのあいだをつなぐ自治体の立場と機能をどう利用して運動を構築していくかが議論されました。その成果がいまや日本のなかでも着実に実り、自治体での非核運動へのとりくみが模索されています。そこが運動のひとつの機軸になりえると考えています。
 いまひとつは、金承国先生からの指摘のように、確かに日本のプルトニウム政策がアジアに核拡散のドミノ現象を起こしていく引き金になっている。日本における具体的な闘いと、日本政府のプルトニウム政策を抑止するために私たちの運動が問われているという問題提起についてですが、まさにいま日本は政界再編という激動の時期に入ろうとしています。そのようななかで、少なくとも私どもはこの政界再編を通じて、永年の悲願であった被爆者援護法という、50年間におよぶ広島・長崎の悲願がなんとか達成できないかと考えています。
 いまひとつは、文字通り日本の政治は戦後50年間もの自民党による一党支配でした。その体制のなかから崩壊した今度の政界再編は、日本の50年間の戦後政治をひとつの区切りとした新しい出発への契機たりえるとも考えられます。そういう意味から、戦後日本が歩んできた50年間の総括とまではいかなくとも、アジアに対する戦争責任の明確化と、国会でも不戦の決議くらいは、最低限なしえる課題ではないか。そのことの延長線上に文字通り一国支配にある国連を改革して、世界の民衆が共同の立場で議論に参加しうる国連をつくる必要がある。そして、まさに提起されているアジアの非核地帯化への展望を、そのなかで追求したいと考えているところであります。
 もうひとつ、原水禁運動の立場からいうと、1995年3月に迎えます核拡散防止条約の全面的な改正と、実効ある内容を求めていく運動を大きく盛りあげる契機をつくりたいと思います。日本のプルトニウムの過剰備蓄が、朝鮮民主主義人民共和国の政策、あるいは南北非核宣言にいたったあの努力を破壊するという金先生のご指摘については、私どももそれは深刻に真剣に受けとめたいと思います。同時に、北朝鮮が本来の信頼関係のもとに核拡散防止条約に改めて復帰できる条件を、これもアジアの各国民衆が努力をして追求すべき課題ではないかと思います。
 少し長くなりましたが、冒頭にもうしあげたように、自治体が自治体において、非核のために何ができるかという具体的なことについてお話しします。現在、すでに非核自治体宣言を出している日本の自治体は1800におよびます。それぞれの自治体が、首長の責任と議会の同意を得て宣言しているこの内容を、実行させるように迫っていかねばならないと考えています。
 たとえば、いま日本では43基の原発や、あるいは様々な核施設が随所に存在し、核燃料輸送車が、非核自治体宣言をしたそれぞれの自治体の道路を走りまわっているのです。そして、それぞれが事故を起こしてもなんら不思議はありません。このことに対する具体的な改善要望が千葉の柏市市長から出され、全国市長会を満場一致で通過しました。あるいは神奈川県、また各自治体レベルでの努力あるいは調査、住民に対する広報などが展開されています。
 そして私どもの組合でも、自治体が地域の住民に対する被害をどのように救済しえるかという立場でプロジェクトをくみまして、自治体における防災体制、原発事故に対する防災体制を検討いたしました。その結果はたいへんお寒い状況なのです。そういう危機管理の意味で、自治体がこの運動をきっちりと受けとめて展開させていきたいという決意もあわせて述べまして、意見とさせていただきます。

戦争につながる核燃
会場発言(青森・男性)
 青森県から来ました「弘前・核に反対する会」の道祖土(さいど)です。今年の4月28日に六ヶ所村の再処理工場が着工されました。日本国内のTVや新聞にはあまり大きく載っていませんが、これは私が持ってきたパンフレットですが、このパンフレットを見ると県内ではこのように大きく扱われているのです。
 私たちの核燃反対運動も、10年になります。私が六ヶ所の闘いにかかわってから、もう23年にもなります。1970年、六ヶ所にむつ小川原巨大開発という大規模な工場地帯をつくる計画がありました。そのときから六ヶ所にかかわっています。そして、このむつ小川原巨大開発のなかで、いまの核燃用地が買収されました。核燃用地は核燃用として買収されたのではなく、石油化学コンビナート用地として、六ヶ所に大規模で近代的な工場が来るという名目で買収されました。
 私たちの闘いは用地がすでに買収されている、それも20年前に買収されたという困難な状況から出発しました。しかし私たちはこの核燃計画が起きたときから一貫して、この反対運動を闘ってきました。再処理工場が着工されたからといって、決してあきらめてはいないし、核燃白紙撤回を最後まで闘い抜く決意です。そして先ほど韓国の金先生がおっしゃられたように、私たちは六ヶ所の再処理工場が日本の核武装に突き進むという、大きな危険性をはらむものだと思っています。
 韓国の人々が大きな懸念を抱くこの六ヶ所村再処理工場をはじめとする下北半島の原子力関連施設、軍事基地、そしてこれらをめぐる港や道路、鉄道といったものは、戦前に朝鮮半島から強制連行された朝鮮人によってつくられてきたという歴史があります。
 アジアフォーラムの「青森・函館コース」の私たちとしては、私たち自身がその戦争責任を、日本が戦前から行なってきた戦争に対する責任を問うものとして現地巡りを行ないたい。なぜならそれらの証明は今日もなお下北半島に具体的な形で、たとえば米軍の三沢基地、原子力船むつの最初の母港であった下北埠頭、そして核燃をめぐる様々な港湾や道路としてあるからです。それが今日につながっている現実なのです。このことを抜きに現在の核燃は語れないと思います。そして日本政府がこのような歴史についていっさい謝罪と清算をしないまま今日突き進んでいるように、核燃は日本が戦前から抱いてきた大東亜共栄圏に新たにつながるものだと思います。
 戦前、日本軍が夢に描いた北海道と青森を結ぶ青函トンネルは、5年ほど前に開通しました。しかし、これはただ単にJRの列車が通るだけではなく、自衛隊の戦車も現実に青函トンネルを通過しています。高速道路がそうであり飛行場がそうであるように、青函トンネルにもまた民事と軍事の区別はないのです。さらに原子力船むつは商業用として建設されましたが、この技術は軍事用に簡単に転用できるものであるし、原子力船むつのデータがない限り、自衛隊がいかに原子力軍艦を建設しようとしてもその技術は獲得できないのです。同様に六ヶ所における核燃料サイクル施設総体にも民事と軍事の区別はないはずです。この民事と軍事の区別はないということを考えるならば、六ヶ所村再処理工場をこのまま建設させることは、日本がいずれ核武装し、核爆弾を大量に製造し、貯蔵するという道を開くものであるといっても過言ではありません。
 私たちが核燃に反対するのは、核燃料サイクルは核武装への道であるとはっきりととらえたうえで、核燃そのものの存在を許せないからです。それは核武装につながるという面もひとつであるし、核廃棄物の問題、様々な原子力の事故そのものの存在もあるからです。核燃料サイクルが青森県にもたらされたときに、核燃が六ヶ所村村民の生活を根底から破壊し、青森県全土の生活、経済そして安全を破壊するものだからです。核燃は様々な面において、いっさい許すことのできないものとして私たちは考えています。
 これからも核燃料サイクル白紙撤回という10年前に掲げたスローガンを決して降ろすことなく、最後まで闘っていきたいと思います。以上です。

司会(コラソン)
 道祖土さんありがとうございました。次の方どうぞ。

「豊かさ」の問題と 原子力
会場発言(徳島・男性)
 四国の徳島からまいりました本田です。徳島で市議会議員をしています。そして「核について考える会」という小さな反原発団体の代表もしています。
 今日は本当にアジアの各地で様々な反核運動、力強い活動があることを聞きまして心強く思い、感動しています。しかしながら、あえてアジアの人たちにお聞きしたい質問があります。それは、日本の「豊かさ」をどのように思っていらっしゃるかということです。
 まだまだアジアの各地で反原発・反核運動をやっていらっしゃる方は、少数だと思うのです。そして、多数の人たちは日本のような豊かな国になりたいと、このように思っているのではないかと思うのです。
 日本のわれわれは欧米各国の豊かさを真似て、ここまで豊かになりました。にもかかわらず、もっともっと豊かになりたい。そう思っているのが多くの日本人の現状なんです。そうするとアジアの人たちが「日本のようになりたい」と思うことに、私たちは「そんなに豊かになるな」、「原発をつくって、電気をつくって、工業化をして、豊かになんかなるな」とはいえないんです、私の気持ちとしては。
 ですからあえてここでアジアの人たちにお聞きしたいのは、日本のような豊かな国になろうと思う人が多いかぎりはエネルギーはいるわけですから、原発でなくても、なんらかの発電設備もいると思います。そのような現状をどのようにお考えなのか、できればお聞かせ願いたいと思います。

司会(コラソン)
 どなたか海外からの参加者でお答え願えませんでしょうか。ウィトゥーンさん。お願いします。

ウィトゥーン(タイ)
 核テクノロジーというのは受け入れ難い技術だと思います。ですから、原子力の問題とエネルギーの問題とは、分けて考えるべきだと思います。つまり実際、エネルギー問題を解決するには、様々な考えや方法があるわけです。
 また開発の問題とほかの問題をリンクさせるのにも異論があります。開発の問題を語るのなら、それはそれでいろいろな代案がありますし、エネルギー問題についても同じことがいえます。しかし、核テクノロジーについては、人類あるいは人類社会にとって受け入れ難い技術であると私は思います。これで答えになっているでしょうか。

会場発言(徳島・男性)
 日本のような「豊かな国」になりたいとは思いませんか。

決定への住民の直接参加
ウィトゥーン(タイ)  第三世界の国々の支配層はそう考えているかもしれません。彼らの考えの本流となっているのは、「追いつけ、追い越せ」の論理なのですから。そして、貧しい国が豊かになりたくないのかと問われるかもしれませんが、確かに貧しい国は豊かになりたいのです。南アジアの国々は、みな新興工業国の仲間入りをしたいと思っています。しかし、たとえばタイが韓国や台湾のようになり、韓国や台湾が日本のようになり、日本が米国のようになりたい、そういう上昇指向がすべてでしょうか。支配する側とそうでない側の考え方の違いは大きなものです。支配者側の考え方ですべてを理解したつもりになってはいけないと思います。
 原子力についても、私たちの考え方や態度そのものがすでに「放射能汚染」されているといってもいいかと思います。どの国においても推進側の彼らは、決して原子力を悪い技術だとはいいません。しかしその悪影響は明らかに存在しています。原子力を一国の経済的な問題としてとらえる前に、どの国も世界の一員であるとの認識がまず必要でしょう。
 施政者が真に人々を代表しているといえる社会の実現、あるいは社会システムや政策に対して人々が責任を持って対処できる社会の実現、それが鍵だと思います。もちろん原子力の問題にかぎらず、あらゆる問題についてそうでしょう。つまり主権者は誰なのか、最終的に責任を負うのは誰なのか、それがいちばんの問題だと思います。
 しかし現実には、たとえばタイの民衆は原子力の負の側面については、ほとんど知ることがありません。推進側の戦略は、いつも原子力の良い面だけを伝えること、つまりはプロパガンダです。支配層が巨大なプロジェクトを遂行するときにはいつも、地域の人々や現地の自然環境が犠牲となります。そして、私たちはそのことについて、永年にわたり政府とやりあってきました。
 その結果としていえるのは、人々がそうしたプロジェクトのすべての段階に、直接に参与することが大切だということ。民主主義が、つまり人々の責任ある関与こそが大切だということです。これで私の考えが伝わりますでしょうか?

議論のまとめ
司会(河田)
 たいへんもうしわけありませんが、時間がありません。それで、この問題に関してはまだまだ議論が必要だと思いますので、明日27日の午前中に時間をとり、少し延長したいと思います。そして、ここでとりあえず今日の議論を少し整理したいと思います。
 日本が大量のプルトニウムを備蓄することについて、その結果がどうなるかについては、いろんな方の発言からもほとんど異論はないと思います。たとえば韓国の金さんの発言のように、結果的に核のドミノ現象を起こすものであるとか、世界の脱原子力の足をひっ張るものであるとか、そういう意味についてはほとんど異論がありませんでした。この点では、われわれは一致したといっていいと思います。ただ、では日本がなぜ大量のプルトニウムを備蓄するのか、という点に関しては、意見の一致というか、包括的なイメージがまだ描けていないと思います。
 高木さんの分析では、これは原子力産業の延命策である。つまり日本においても、ヨーロッパと同じようにプルトニウムはエネルギー問題でなくなっており、日本の将来の問題とか、あるいは哲学の問題という非常に抽象的な議論になりますが、結果としては原子力産業の延命策であろうという分析です。
 これは、今日の午後の様々な海外の方の発言のなかにもあるように、日本がこれから原発を輸出していく、あるいはアジアに原子力産業を広めていく、そういった路線と軌を同じくするものであると思います。
 しかし一方で、韓国の金さんの分析にあるように、日本の過去における侵略の歴史から考えたときには、単に技術の延命だけではありえず、やはり日本自身の目的がある。それは核を持ち、そしてそれをアジアを支配するための道具にするという、そういう見地からの発言があったと思います。
 これらの分析についてもまだまだ議論は必要かと思いますが、ではどうやっていくのか、日本のプルトニウム大国化をどうやってとめていくのかという議論は、まだほとんどされておりません。ですから明日の午前中は、もう少しこの議論を続けたいと思います。いかがでしょうか。(会場拍手)
 それではあと少しだけ時間がありますので、もうおひとりだけおうかがいしましょう。どうぞ。

何か感じる違和感
 会場発言(和歌山・男性) 和歌山県から来ました浜本といいます。個人で参加させてもらっています。
 今朝から各国のみなさんの話を聞いていまして、以前から本で読んだり講演会を聞いていてもそうなんですが、いつも若干の違和感を覚えるわけです。そして、これはいいことだと思うんです。何かこう、われわれ日本人が見てるものと、彼らの見てる問題がちょっと違うというか、要するに違いが何か感じられるんです。
 たとえば日本で原発がどのように推進されてきたかというと、まず私なんかの目にうつるのは、原発を建設することが短期的に巨大な経済効果を生みだす事業であるという命題があります。ですから、もしも政府の人たちとか電力会社の人たちがですね、高速増殖炉はエネルギーを生みだすとはまったく信じていなくても、それでもつくる意味があるんですね、あの人たちには。つまり、そんなものをたてても、ちゃんと得をする人がいるということ。要するに、この前まで地元の名士というか有力者だった建設会社の社長さんが、いつのまにか科学技術庁長官になっているというのは、そういう得をする人たちがいるからなんですね。
 ですが、たとえば今日のお話をうかがっていても、そういう光景は見えてきませんね。もっと直接的に、それぞれの国や政府が民衆を無視してたてているという姿が、露骨に見えてくる。だから、私たちがこれから連帯して原子力の問題やプルトニウム大国化にたち向かっていくのはもちろん私も賛成なんですが、連帯する以上はそれぞれの国でどこが違うのかとか、立場の違いとか、状況の違いを当然ふまえるべきだと思います。
 たとえば、まず原発がどのようにたっていったのかという違いに私はものすごく興味がありまして、そのへんのところをもう少し具体的に問題にしていくところから、議論を始めたらいいのではないかと思います。どなたか意見があればぜひお聞かせ願いたいと思います。

司会(河田)
 どうもありがとうございました。それでは最後になりますが、広島から来ていらっしゃる大庭さんのご意見をうかがって今日のしめくくりにしたいと思います。

「核と基地」の広島から
大庭里美(広島)
 こんばんは。広島から来ました。私はプルトニウムアクション広島という小さな市民グループで、この2年ばかり日本のプルトニウム政策の転換を求めて活動してきました。今日はアジアの様々な国の方からのお話を聞いて、たいへんよかったと思います。本当にありがとうございました。
 まず、先ほどの発言を聞いててちょっと気になった部分の「日本の豊かさ」についてなんですが、「日本の豊かさ」あるいは「北の国々の豊かさ」が南の国に対するどのような収奪のうえになりたっているのかを問わずに、その質問をするのはいささか問題があるのではないかと思いますので、これについてはまた明日の討論のなかでひき続きいろいろな方のご意見をいただきたいと思います。
 今日どうしてもいいたいことのひとつは、この場で見るかぎりでは、マスコミで参加しているのはテレビ局1社だけで、このような非常に大きな問題提起を含んだ重要な国際フォーラムに、なぜこのようにマスコミが積極的ではないのかということです。確かに明日、都議選があるでしょう。そして間近に衆議員選挙が控えています。日本が一党支配を離れて、政界再編の時期だという話も先ほどありましたが、その政界再編は私たちにとっていったい何なのでしょうか。今回の都議選や衆議院選挙立候補予定者のなかで、今日のフォーラムに対して何か意見を寄せてくださった方がどれだけいるのでしょうか。また私たちはその人たちに対してどのような訴えをしてきたのでしょうか。
 日本のプルトニウム政策が、昨年あれほど激しく世界各国からの抗議を受け、いまも批判にさらされています。また、日本の六ヶ所村、あるいはもんじゅがどうなるかは、ひとり日本だけの問題ではないのです。世界中が、そしてアジアの国々がみな注目している非常に大きな分かれ目にたつ問題であることは、今日の午後の討論でも十分に明らかだと思います。この問題を避けたまま政界を再編するといっても、いったいこれは何ですか。はっきりいって、自民党でいままで悪いことをしてきた、いわば泥棒みたいなことをしてきた人たちが「正義だ、正義だ」と叫んで、昨日までそれと一緒になるはずがなかった野党が彼らと連合して政権をつくるという。政権をだれが奪うかという、そのような話ばかりがこのところの新聞には載っています。
 私たちにとってはいま、この重要なプルトニウムの問題、つまりアジアにおける原子力の開発の中心として、日本がいま非常に危険な道をたどりつつあることを、政治家にも一般の人たちにも、もっと強力に訴えていかなければならないと思います。
 広島は世界で初めてアメリカによって原子爆弾を投下され、大きな犠牲を払った土地として、そして平和運動の中心であると見られていますが、けっしてそのようなポジティブな面だけではありません。
 広島あるいは長崎において被爆した何万人という強制連行された朝鮮人や中国人たち、あるいは従軍慰安婦の問題。広島というのは、近代日本を通じて軍都として機能してきました。その歴史を問うことなしに、「広島が平和の中心である。平和のメッカである」ということはできないと私は思います。いまもなお朝鮮人・韓国人被爆者の慰霊碑は広島の平和公園の外に出されたままで、平和公園の内部に入れることを拒まれているという現実。これに対して私たち日本人はどう答えるのか。
 さらに平和都市広島といいながら、その広島の周辺には自衛隊や米軍基地が山ほどあるのです。「核と基地とにまみれた広島」という言葉を私たちは使っています。たとえば、湾岸戦争のときにも広島のすぐ近くにある弾薬庫から、弾薬が広島市内をかけ抜けて、岩国基地を通って、そしてイラクへ送られていきました。現在もなおそうして軍事的な意味を果たしている広島。そしてさらに掃海艇あるいはPKO部隊も、広島の基地から出ていっています。
 気がつかないあいだに、また広島はかつてのような軍事的拠点としての新たな意味あいを持とうとしている、いや持ちつつあるのです。私はPKOとプルトニウム、海外派兵と核問題という「2つのPと2つのK」が、底流において深くからみあっていると思います。
 長くなりましたが、問題提起としまして、私たちはやはり過去から現在に貫かれている広島のあり方、あるいは日本のあり方を、このプルトニウム問題を語るときにどうしても問わなければならないと思っています。また明日のみなさんとの討論を期待したいと思います。ありがとうございました。

司会(コラソン)
 大庭さん、ありがとうございました。本当に重要な問題ですね。
 さてこの発言で終わりにし、明日も討論を続けることにしましょう。もっと時間があれば良いのですが、今日は長い1日でした。河田さん、ほかに伝えておくことがありますか。

司会(河田)
 それではみなさんどうもお疲れさまでした。今日の討論を終わりたいと思います。明日27日は同じこの場所で9時半から始まります。よろしくお願いします。

  
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