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第一回 日本
東京 ノーニュークス・アジア会議

討論 問題提起



核の廃止か延命か
鍵を握る
日本のプルトニウム政策



高木 仁三郎
原子力資料情報室代表


司会(河田)
 それでは原子力資料情報室代表の高木仁三郎さんにお願いします。高木さんはこの間、日本政府のプルトニウム政策について非常に詳細な分析をして、日本の原子力政策の矛盾を突いています。

高木仁三郎(日本)
 こんばんは、高木です。アジアの各国からようこそいらっしゃいました。私がこれからお話することの基礎になる日本のプルトニウム政策、およびそれへの批判的な視点についてはみなさんにお配りした英文資料に入れてありますので、それを参考にしてください。ここではそれを基礎にして、ごく最近の状況について話したいと考えます。

野心的な日本のプルトニウム計画
 すでによくご承知のように、日本政府はこれから2010年までに、約120トンのプルトニウムを取得しそれを利用するという、野心的といいますか、非常に大きなプルトニウム利用計画をたてています。この120トンという量は、アメリカやソ連といった核超大国それぞれがこれまでに核兵器のために生産した全プルトニウムよりも多い、という非常に大きな量です。
 プルトニウムはよく知られているように、100万分の1グラムのレベルで肺ガンなどのガンを起こす猛毒物質です。そして、同時に核兵器にも使われている核兵器物質であり、7〜8キロもあれば長崎型の原爆ができるという非常に恐ろしい物質です。
 プルトニウムを利用しようとする計画は、世界の原子力の歴史と同じくらい古く、その当初から各国で追求されてきました。しかしプルトニウム開発のその歴史は、むしろ多くの国にいかにこの物質が悪魔的に恐ろしい物質であるのか、そしてこの物質の利用が環境面や核拡散といった側面から、どんなに大きな危険をはらんでいるのかを明らかにしてきました。世界にとって、プルトニウム利用がたいへん大きな脅威でしかないことを明らかにしてきたのだと思います。
 今日までプルトニウムは核兵器に利用されることはあっても、エネルギーとして有効に、成功裡に利用された例はないといっても過言ではありません。最近では経済的にも、プルトニウム利用は財政負担が非常に大きく、それによって得られる経済的利益はまったくないということも明らかになってきました。このため西欧各国は、プルトニウム利用計画を放棄せざるをえないところに追いこまれたのです。にもかかわらず日本のみが、非常に大きなプルトニウム計画を放棄せずに維持しているというのが現状です。これは今年の初め、日本があかつき丸の東海港への入港を強行したことでも明らかです。
 こういう全体的な状況のなかで、最近日本のプルトニウム政策をめぐって、いくつか顕著な動きがありました。これらを多少整理してお話することで、日本のプルトニウム政策の現状とその問題点、危険性を明らかにできると思います。

プルトニウム過剰がもたらすもの
 第1は、プルトニウムの使用ないしは消費計画の大幅な遅れという問題です。これは膨大なプルトニウムの過剰をつくりだし、核拡散につながる、核兵器につながっていくということでたいへん大きな問題だと思います。
 あかつき丸によるプルトニウムの輸送では、日本は世界各国の反対を無視し、また大きな秘密を維持したまま、世界各国に日本のエゴを押しつける形、たいへん強い姿勢で、このプルトニウム輸送計画を実行したのです。そのときには、プルトニウムがないと高速増殖炉もんじゅの開発利用計画に支障をきたすと日本は主張し、国際原子力機関(IAEA)にもそれを認めさせて、プルトニウムを強引にフランスから運んできたのです。
 しかし実際に蓋を開けてみると、まぁ私どもがかねてから予想していたことではありますが、あかつき丸が運んできたプルトニウムはまったく使われていない。現在あのプルトニウムは、東海の動燃事業団の倉庫のなかで荷も解かずに眠っている状態です。今後3年も4年も具体的な利用計画の目途がない。それどころか昨今の新聞に出ているように、もんじゅの計画の大幅な遅れで、このプルトニウム利用はさらに延びることが明らかになってきました。
 おそらく、もんじゅの計画が大幅に延びたときには、東海村で生産されているプルトニウムがすでに過剰になって、加えてあかつき丸が運んできたプルトニウムが余分になる。さらには、現在フランスで再処理されたわけですが、この10月臨界という予定も大幅に遅れざるをえないことが明らかになってきました。それは燃料製造工程におけるトラブルが直接の原因です。
 このことが物語っているのは、日本がいまだもんじゅに対するようなプルトニウム利用技術、その燃料をつくるという利用技術を持っていない。そうした技術的な備えがないために、燃料の様々な製造工程や初臨界にむけた準備工程において初経験のことが多く、そのたびに大きなトラブルを起こしているということです。
 日本の原子力産業はこれまで、アメリカの原子力産業の先行する例を見ながら、それをあと追いをして進めてきました。しかし、ことプルトニウムに関するかぎり、日本はいまやひとりで走らなければならなくなった。それにともなう技術的なリスクはたいへん大きいことを、このもんじゅの遅れは示しています。
 もしこのような状態でもんじゅの燃料製造がさらに強行され、そして「とにかく臨界に達せさせる」と、政治的な稼働が追求されるなら、たいへん大きな悲劇的な事故につながっていくと考えざるをえません。
 聞くところによるともんじゅの燃料が100%完成していなくても、場合によっては、できるだけの燃料を使ってもんじゅを臨界にもっていこうという政治的な意図すらあると言われています。これは実はたいへん危険なやり方であり、また燃料製造過程にトラブルがあったということは、技術的にも不良の燃料を抱えたまま運転を強行せざるをえない可能性があります。専門的にみても燃料溶融や燃料欠損は、もんじゅの場合には暴走の引き金になりかねない構造なので、この燃料製造工程のトラブルは、単にスケジュールが延びたことにとどまらない深刻な問題をはらんでいると考えます。

エネルギー問題ではなく哲学の問題?
 第3に、予想される膨大な余剰プルトニウムとその経済の悪化という状況を前に、日本政府もプルトニウム政策を見直さざるをえなくなってきているということです。そして、なおかつ実際にその見直しが現在進んでいるにもかかわらず、基本的には日本政府はこのプルトニウム計画を強行する姿勢を変えないだろうということです。
 電力会社、原子力産業の内部でも、このプルトニウム計画を進めても何のメリットもないという議論が起こっていると聞いていますが、彼らはおおっぴらに政府に逆らうことはできない。政府と運命をともにする形でこの計画に突き進んでいるのが、現在の彼らの姿だと思います。つまり日本にとってプルトニウム計画が、すでにエネルギー計画という意味合いではなくなってきているのです。
 朝日新聞とプリンストン大学の共催で、3月に東京で「プルトニウム、日本の選択」というシンポジウムが行なわれました。私もパネラーとして参加したのですが、その席において科学技術庁の高官は「プルトニウム計画はもはや単にエネルギーの問題ではない。これは哲学の問題である。日本の将来をどうするかという問題だ」と言いました。それを受けた形で東京大学の鈴木篤之、彼は原子力を推進している学者の中心的な人物ですが、彼は「いま日本の原子力産業が、先が困難だとか利益がないとかいう形でプルトニウム計画をやめれば、世界からプルトニウム開発の火が消えてしまう。そういうことはできない。世界に原子力の火を残し、原子力の夢をつないでいくために、日本はプルトニウム計画をやっていかなければならない」と語りました。私は鈴木篤之氏といろんなところで数多く議論したんですが、必ずそういう話になります。
 いま東京大学には原子力工学課というのがなくなっちゃいました。原子力工学課という名前がはやらなくなったので、名前から先に脱原発しちゃった、みたいなところがありますが、システム量子工学という何かわけのわからない名前に変えました。それで学生をひきつけようとしても無理だと思いますが、そういう東京大学の教授連中と個人的に話すと、話すたびにぼやくんですね。プルトニウム計画のようなものを生き残らせて若い人たちに夢を与えないと、もう原子力は過去のものだと思って寄りつかないと。つまり、いわば原子力産業の将来に夢を残すもの、延命策として日本のプルトニウム計画があるということが、ますます明らかになってきました。

日本が新たな核拡散を生む
 さらに、日本のプルトニウム政策は、単に日本の問題だけではなくなっていて、世界の原子力・核産業を日本の財政力によって生き延びさせるかどうかという問題になってきています。私たちの反核・反原発の闘いは、日本のプルトニウム政策と対決することによって、世界の人々の「核のない世界」への願いを正面から受けとめ、いわば核廃絶の動きの最前線において闘うことになっていくと思います。これは好むと好まざるとにかかわらず、そうなっていくでしょう。それほどに日本のプルトニウム政策は、世界中の人々にとって脅威となってきつつあることはわきまえておかなければならないと思います。
 特にこのプルトニウム計画は、アジアに大きな不安と不安定化をもたらします。いまポスト冷戦といわれる時代にあって、世界は新たな核の脅威に直面していると思います。それは核拡散の危機ですが、それにはおもにふたつの理由があると思います。
 ひとつは核の対決の時代が終わって、核兵器は解体される方向に向かっている。解体された核兵器から出てくるプルトニウムというのが、新たな核拡散の脅威になっています。
 もうひとつの大きな問題は、日本に典型的に見られるように、ウラン中心の既存の原子力産業の終末期にあたり、プルトニウム産業という形で原子力産業の延命、転換、蘇生をはかっていく動き、それによってさらに新しい核拡散が刺激されていくという動向です。
 これに加えてアジアを中心とした地域において、このところ核兵器の開発を求める動きが顕著です。今日もすでにいろいろ話が出ていますが、インド、パキスタン、北朝鮮そしてイラクといった国々の最近の動きには、非常に憂慮すべきものがあると思います。アジアが世界の火薬庫になりつつあると表現する人もいます。
 しかし日本の私たちがここで注意しておきたいのは、アジアの各国に緊張をもたらしている、そういう状況をいちばんにつくり出しているのが日本のプルトニウム計画であるということです。日本が膨大な量のプルトニウムを取得し、東海村再処理工場のうえにさらに六ヶ所村再処理工場をつくろうとしているときに、なぜ小さな再処理工場を北朝鮮が持ってはいけないのかという議論は、見え透いた口実という側面はありますが、なおかつ一定の真実を含んでいるといえるでしょう。

ロシアへの核支援のねらい
 さらに重要なことは、この7月上旬に行なわれるG7サミットで、日本は議長国として原子力産業の延命と新しい展開に積極的なリーダーシップをとっていきたいとしていることです。日本の反原発運動のなかでは、まだこのG7サミットの問題はあまり関心を呼んでいませんが、これは私たちがとりくまなければならない重要な課題だと思っています。
 昨今の新聞を読めば明らかなように、このサミットの大きな議題のひとつがロシアへの核問題に関する支援です。ロシアの核兵器の解体を容易にし、それを保障するという表面上はもっともな理由をとっています。が、すでに日本政府がいろんな形で提案しているように、単にロシアの核兵器解体に経済的、技術的支援をするだけではなく、彼らのプルトニウムを高速増殖炉計画に使って燃やしていく。さらにはMOX燃料として普通の軽水炉で商業利用するという計画まで、その背景にはあります。
 これはロシアの核兵器産業が原子力産業として延命しようという動きと、日本の核推進勢力である科学技術庁や動燃、あるいは原子力産業の一部の勢力が、核兵器開発として進められてきた現在の原子力技術を彼らのいうところの平和利用、われわれの言葉では商業利用として延命させようという動きと一緒になり、さらにその動きが顕著になってきています。これがいまロシアへの核支援というかたちで、表面上は技術支援というもっともらしい形をとって出てきていることの中身です。だからこのこともたいへん警戒しなければならないと考えます。

核拡散防止条約をどうするか
 このG7では核拡散防止条約(NPT)をどうするかについても議論されると報道されています。このことも私たちの運動がこれまであまりとりくんでこなかった問題ですが、たいへん重要な問題だと思います。
 ご承知のように、現在の核拡散防止条約はたいへんに不十分なものです。まず何といっても、核兵器を持っている国の核はそのままにして、核兵器を持たない国の核物質等を管理しようという非常に不平等な内容になっています。それゆえに北朝鮮のような問題が出てきます。
 この非常に矛盾の多い核拡散防止条約は、1995年に期限が切れます。ここで延長会議が開かれるわけですが、アメリカなどはこれを無期限に無条件で、つまり現在の体制のまま延長するといっています。日本政府はこれを基本的に受け入れて、今度のG7ではその方向で議論するといっています。そういう草案が出されていることに対して、私たちは強く反対していかなければなりません。
 まず必要なのは、現在の条約では不十分な核実験の全面禁止を達成し、それから全面的な核廃絶を核兵器保有国にも実現させていくこと。さらに核拡散につながる核分裂性物質、たとえばプルトニウムのような物質の生産の全面禁止を盛りこんだ、真の意味での核拡散防止を、実効あるものにする新しい体制を確立していかなければならない。そういう状況にきていると思います。そのため、G7に対しても、核拡散防止条約に対しても、私たちはきちっと発言していく必要があると考えます。

核の廃止か延命か、鍵を握る日本
 このように見てくるならば、世界ではいまふたつの大きな潮流がぶつかり合っているといえるでしょう。ひとつは冷戦構造の崩壊、核兵器の削減といった歴史的な流れを、さらに大きく、いっさいの核を廃止へと進めていこうとする流れです。もうひとつの流れは、冷戦後の世界のなかで核を商業利用でなんとか延命させようという動きであり、これは時の流れを逆転させるような時代錯誤なものです。そして、それゆえにたいへんな危険性をはらんだ動きです。
 その流れの中心にいま日本があり、日本のプルトニウム計画があると捉えるべきだと思います。そしていまその焦点になっている地域がアジアなのであり、このプルトニウム計画を背景として、日本の原子力産業はアジアへの進出をはかろうとしている。したがって、今日アジアの反核運動の連帯がいわれ、この会議が持たれ、ここでいま議論がなされているのは、まさにこうしたもうひとつの世界の流れを、私たち世界の民衆が望む方向に大きく進めていくためです。そのために私たちが力を合わせる必要があり、そのために私たちはいま、このタイミングでここに集まっているんだということを確認したいと思います。
 いまこの世紀末を迎えて、核の時代に終わりを告げられるか、それとも終わりを告げることに失敗して、世界がチェルノブイリよりもいっそう悲劇的な事態を目前にするかという、そういう時代の転換点に私たちは立っていると思います。
 特にいま1995年を目前にして、世界中の人々が新しい動きを始めています。1995年というのは広島・長崎の悲劇から50周年であり、そして核拡散防止条約の期限切れの年です。この年に向けて私たちが、このアジアから、特に日本の私たちが日本から、新しい大きな流れをつくっていく。それができるかどうかが、人類が核を廃絶できるかどうかの鍵になると思います。そして、その鍵を握っているのが、日本のプルトニウム政策をとめられるかどうかということだと思います。実際には日本のプルトニウム政策に関して、原子力産業側は非常に大きな困難をかかえ、無理をしてやっているのですが、それゆえ逆に危険な暴走を犯していく可能性も強いと思います。
 いま私たちは、そういう時代的使命を認識して、広くアジアの仲間と手を結びながら、日本からこのプルトニウム政策を断っていくことを実現するために頑張っていきたいと思います。
 アジアの各国の仲間と、さらにこの環を広げて、反プルトニウムそして脱原発の闘いに突き進んでいくことを私自身もお誓いして、私の問題提起にかえます。ご静聴ありがとうございました。

  
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