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第一回 日本
東京 ノーニュークス・アジア会議

各国報告 マレーシア



三菱化成の公害輸出と
ブキメラ住民の健康被害



ジャヤバラン・タンブヤッパ
マレーシア、ブキメラ医療トラスト
Jayabalan Thambyappa


 司会(コラソン)
ウィトゥーンさん、ありがとうございました。次のジャヤバラン博士には午前中のセッションでも報告をお願いしましたが、今度はマレーシアの代表としてのお話です。ジャヤバラン博士、どうぞ。

ジャヤバラン(マレーシア)
 ここで発言できることを感謝します。最初に簡単に触れておきたいことが2点あります。ひとつはマレーシアの核武装の可能性についてで、もうひとつは原発の将来的な見通しについてです。そのあとで現在私たちが直面している大問題、すなわちブキメラ村の放射性廃棄物の投棄の問題、住民の健康被害について報告したいと思います。

マレーシアにおける核武装と原発
 まず核武装ですが、現在のところマレーシア政府には核兵器を購入するような野心はないようで、むしろ私はシンガポールのことを気にしています。貿易立国であるシンガポールはイスラエルと親しく、指導者たちは軍事演習を怠っていません。いまのところ計画はないようですが、核武装の潜在的可能性は高いと思います。
 次に原子力発電の問題ですが、マレーシアでは突然、電力事情が逼迫しはじめました。これは急速な工業化、それも日本を筆頭とする海外資本が投資先として急速にマレーシアに入ってきたことによります。日本以外では台湾、韓国それに米国、イギリスが加わりますが、これらの国の資本投下によって進む急激な工業化が、電力需要を押しあげています。そこで、一方では電力供給力アップのため原発を導入したいという声が出ていますが、逆に不安の声も大きく、あちこちで議論になりました。が、首相の一言ですべてがおさまりました。「われわれはやらない!」と彼はいったのです。その方針をうれしく思います。ということで、核武装と原発導入については、マレーシアでは現在のところ、問題が顕在化していません。

三菱化成の公害輸出問題
 さて、もうひとつの問題に移りましょう。私が何度も日本に来て報告していること、すなわち三菱化成の合弁企業による放射性廃棄物投棄問題であります。これは、人の住んでいる地域に、放射性の毒物を廃棄している問題です。時間が限られていますので、スライドを用いてそれに簡単な説明をつけていきましょう。
 問題の工場があるのは首都クアラルンプールから約150キロ、中北部イポー近郊のブキメラです。スズの鉱石と一緒に出てくるアマング(モナザイト鉱石およびゼノタイム鉱石)にはレアアース(希土類金属)が含まれていますが、三菱化成は現地のパートナーとともに、これを精製する事業をおこしました。
 レアアースはカラーテレビの発色体、光学産業、電子産業、石油採掘、鉄鋼業などに欠かすことのできないものです。かつては日本国内でも精製されていましたが、1971年からは行なわれていません。その工程で、原料中の危険な放射性ガスが環境へ放出されるからです。また精製のあとに残る廃棄物には、140億年、ほとんど永遠といってよいほど長い半減期の放射性物質トリウムが含まれています。
 三菱化成がここに進出したのは、原材料を供給してくれるベーミネラル社の工場や、生産工程で必要となる各種の化学薬品を供給する化学工場がすぐ近くにあったため、つまり経済的利便さのためです。マレーシア側の持っていない技術やノウハウを持っているため、三菱は非常に優遇されています。そして、工場を設置する前に環境アセスメントは行なわれなかったし、当時住んでいた1万1000人から1万5000人もの人々には何の相談もありませんでした。
 実はここの人たちと日本の関係は、歴史的なものです。ブキメラ村は、第二次世界大戦時に日本のマレーシア侵略の過程で新たにつくられた村です。抗日ゲリラが初期の移住者となり、この地域周辺の中国系の人々が彼らを支えました。決して豊かな土地ではないこの村自体が、日本軍の侵略によって生まれたことを知っておいてほしいのです。その村に日本は1979年、今度は工場進出という形でやって来ました。1945年ごろからここで生活を営んできた村人に何の相談もなく、三菱は工場をつくりました。そして住民たちに押しつけたのは、工場の操業により放出される放射性のガスであり、鉛の粉塵であり、放射性廃棄物であったのです。

捨てられタレ流された廃棄物
 三菱化成の合弁会社エーシアン・レアアース(ARE)社の工場とブキメラ村がいかに近いかは、地図を見てもらうとすぐにわかります。まさに隣接しているわけで、工場から1キロ圏内に村の大部分が入ります。子どもたちは工場の周辺で遊んでいます。原材料を運ぶダンプが村の前の道路を走ります。
 ARE社は廃棄物の捨て場をつくらないまま操業を始めました。ダンプカーの運転手と契約し、運転手はその廃棄物の危険性を知らされないまま、いろんな場所にそれを捨てました。このスライドを見てください。捨てられている廃棄物の背景に見えているのはヤギです。ここの草を食べて育つヤギは、食用として飼われているのです。
 1984年12月、埼玉大学の市川定夫教授は、住民の依頼で現地の放射線量を測定しました。工場の周辺はもとより、池や沼にも廃棄物は捨てられ、その付近の放射線量も高いままとなっていました。彼の調査結果をもとにして、住民たちは85年2月、工場の操業停止と廃棄物の除去を求めて行政訴訟を起こしました。その翌年10月、裁判所はARE社に操業停止と暫定投棄場の改善を命じました。そして工場は11月に操業停止となり、一応の除去作業が行なわれ、毒性の放射性廃棄物はドラム缶に入れられて地面に掘った溝に納められました。しかし半減期というものを考えてみてください。その放射性廃棄物の半減期が140億年というのに、このドラム缶はせいぜい10年くらいしか持ちそうもありません。このスライドに写っているダンプカーは廃棄物を運ぶのに使われていたものです。当時すでに廃車となり、子どもたちの格好の遊び場となっていたのですが、ここからも非常に強い放射線が検出されました。

暫定貯蔵施設はできたものの
 1986年にはようやく暫定廃棄物貯蔵施設も建設されましたが、たいして変わりがあるわけではありません。これはもとの暫定投棄場のうえに建てられたもので、1986年10月にブキメラ村を再訪した市川教授の測定によると、施設をとりまく壁の外側でも一般公衆のレベルを超える放射線量でした。
 またその施設から出る排水の処理もずさんなものでした。排水管が施設裏手のセロカイ川にのびています。周辺には墓地や野菜畑があり、人が立ち入るような場所なのに、配管はしばしば割れたり壊れたりしています。三菱化成が現地に提供した技術とは、このようにお粗末なものです。
 セロカイ川の下流には、水道のない地域があります。1989年まで、その流域に住む人たちは川の水を飲料水や料理、洗濯に使っていました。また大雨が降ると川はすぐにあふれ、周辺地域の住民が飲料水確保のために掘った井戸も汚染してしまいます。そしてこの川はもっと大きな川に合流し、ペラ州全域に放射能汚染された水が広がっているのです。

安全こそがわれらの願い?
 この施設のあちこちに「安全こそがわれらの願い」という掲示があります。しかし現在にいたるまで、安全性はあらゆる面で犠牲にされてきたのが現実です。
 このスライドは工場の内部のようすですが、本来しなければならないはずのヘルメットやマスクを、この労働者はしていません。監督がいき届いていないのか、危険性を知らされていないのでしょう。彼が操作しようとしているこのバルブは、施設内の危険なガスを放出するためのものかもしれません。
 これはARE工場にモナザイトを供給しているベーミネラル社です。低いフェンスがあるだけで、モナザイト鉱石が積まれています。そこで放射線測定をした結果がでていますが、「許容基準」の20倍にもなっています。新興住宅地バドリシア周辺でも放射線測定の結果、たいへん高い数値がでています。

白血病・ガン、先天性障害・深刻な健康被害

91年7月、22歳のとき
急性リンパ性白血病
で亡くなった
コー・ボーオンさん。

元ARE労働者の
アーマッド・サヌールさん。
89年1月、前白血病で死亡。
 私たちが現地に入って調査を開始してから、様々な健康被害が明かるみにでてきました。しかし、工場の操業と病気との因果関係を明らかにするのは、容易ではありません。たとえばガンにかかった人がいても、ガンになる要因は放射能だけではないからです。しかしブキメラ村で起きているのは、ARE工場の存在なしにはとうてい説明のつかない事態だと思います。
 たとえば2人の女性が妊娠中に工場で働き、先天性障害児を出産しました。そのうちのひとりは、日本人の技術者と一緒に働けることを誇りに思っていたといいます。
 また、この青年(写真・)は、工場から100メートルも離れていないところに住んでいました。彼は88年に白血病と診断され、91年7月には急激に症状が悪化して亡くなりました。当時21歳でした。
 ARE工場で働いていたこの青年(写真・)は、89年1月に21歳で亡くなりました。原因不明の病気でイポー総合病院に運ばれましたが、たった12日間の命でした。彼の死因は白血病の前駆症状だと思われます。
 この少女も92年7月、発病から約1週間で亡くなりました。頭痛、発熱、吐き気などを訴えてイポー総合病院に入院してから2日後、13歳でした。
 こちらの少女(写真・)は日本に来たこともあります。88年に急性リンパ性白血病と診断されて以来、彼女の命を救うためにあらゆる手だてが講じられましたが、90年11月に症状が悪化し12歳で亡くなりました。
 この少年は工場のすぐ近くに住んでいましたが、脳腫瘍のために92年10月、8歳で亡くなりました。またこちらの少年は白血病で13歳で亡くなりました。
 現在9歳のこの子は1988年以来、いまも白血病と闘っています。彼の闘病を支援するため、私たちは1万マレーシアドルを費やしました。
 4歳のこの子は生活用水にセロカイ川の水を使う地域に居住し、母親は妊娠中にARE工場の隣の製材所で働いていました。彼女は小頭症や知能発達遅滞など、様々な障害を持って生まれました。
 ほかにも2名の白血病患者が確認されています。ひとりはすでに亡くなり、もうひとりはこの地域から引っ越していきました。彼らを入れますと、この4年半のあいだに6人もの白血病患者が発生したことになります。発生率の全国平均を考えると、ブキメラ村の人口から予測される患者発生は30年間にひとりということになります。それなのに白血病であるとはっきりわかっただけで、たった4年半に6人なのです。

流産・死産、血中鉛濃度の増加

急性リンパ性白血病が
悪化し90年11月、
12歳で亡くなった
ラム・ライクァンちゃん。
 時間がありませんので詳しい話はできませんが、もう少し知っておいてもらいたい事実を続けましょう。
 イポーの地形は谷になっています。このため工場から排出される放射性のラドンガスは、拡散せずにこの地に留まります。実際、その濃度を測定したところ、通常の6倍から7倍という値がでました。崩壊して安定した元素になるまでのあいだに、このラドンガスは谷の内側を何千マイルも広がるので、これはイポー市全域にとって大きな脅威です。
 市川教授とロザリー・バーテル博士の行なった調査とは別に、私もいくつかの研究調査を行なってきました。最初に行なったのは、ブキメラ村住人とクアラルンプール近郊の住民とを比較した、かなり大がかりな疫学調査です。これによってブキメラ村住人の免疫機能の低下が、かなりの程度明らかになりました。
 次に行なったのは戸別訪問の調査で、30歳以下の健康な既婚女性108人を対象としたものです。その結果、妊娠200例のうちの15例が、確かな理由のない流産・死産であったことがわかりました。これはマレーシア平均の6倍以上の高率です。その時期をグラフにしてみると、1984年と86年にピークが認められました。84年は工場の操業のピークであり、86年は廃棄物の除去作業が開始されたときに重なります。
 もうひとつの問題は鉛です。体内にとりこまれた放射性物質のトリウムを測定するのは困難なので、トリウムと同時に存在する鉛を測定するのですが、もちろん鉛自体も有害です。最初に調査した60人の子どものうち、4人の血液に有害な量の鉛が含まれていました。それは87年6月の調査なので、ARE工場が操業再開してから4カ月の時点です。2回目の調査は、工場がフル操業していた88年3月から6月に、44人の子どもを対象に行なわれました。そして44人全員から有害なレベルの鉛が検出されました。私たちは、まず子どもたちを疎開させることにしました。するとこの地域から離れた子どもたちの血中鉛濃度は、みごとにさがったのです。

逃げられないブキメラの人々
 いよいよ時間切れのようです。
 ブキメラ村の住民たちの行動は、ふたつの方法に分かれました。ひとつは抗議行動、もうひとつは家を捨てることです。近隣の新興住宅地であるバドリシアの住民の多くは、工場の操業再開前に移転していきました。しかし工場ができる前からこの土地に住んでいるブキメラの人たちは、そういうわけにはいきません。ここに仕事があるからです。ブキメラ村の女性の70%は靴製造の家内制手工業で収入を得ています。たぶんここでつくられる靴の多くが、日本にも輸入されていると思います。
 最後にブキメラ村周辺の野菜畑や果樹園のスライドを見ていただきます。
 このような場所にもたくさんの廃棄物が投棄されました。丘の中腹に恒久的廃棄物貯蔵施設がつくられましたが、その工事には軍人が動員されました。このあたりは石灰岩質で、果樹園やイモ畑が広がっています。ここは墓地です。死者たちですら安穏に眠ることが許されないとは、なんと不幸なことでしょう。
 時間ですね。まだまだ話したりないのですが、これで終わります。ありがとうございました。



ブキメラ医療基金にご協力を

 日本企業の東南アジアへの公害輸出の典型といえるARE問題で、三菱化成は94年1月、マレーシアからの撤退を決め、問題の工場も閉鎖されることになりました。これは何よりもブキメラ村の住民運動の勝利であり、国内外の運動と世論の成果です。
 しかし健康被害の問題は、これで終ったわけではなく、長期化するのは明らかで、新たに発病者が出ることも予想されます。
 ブキメラ医療基金はこれまで、住民による自主的な医療扶助組織「ブキメラ医薬援助基金」の健康調査、医療補助・治療、被害者家族の生活扶助などの活動を支援し、被害者・医療関係者らの交流を目的に、臨時カンパのかたちで基金をつのってきました。
 今後は、長期的・継続的に支援していくために、年間の支援額を確定した「支援会員」になって、継続的に支えていただきたいと思います。よろしくお願いします。
支援会費 年額1口 3000円
3年分(9000円)まとめて前納いただけると助かります。年2回、報告をお送りします。もちろん臨時のカンパや募金も受けつけています。
送金方法 郵便振替口座:00100-0-399417
(口座名:アジア人権基金)
他の寄付金とまぎれるので必ず通信欄に「ブキメラ医療基金支援会費」と明記してください。
連絡先

アジア人権基金 03(3266)9471
FAX(3266)9474
162 東京都新宿区下宮比町2-28-205


  
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