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第一回 日本
東京 ノーニュークス・アジア会議

各国報告 フィリピン



民衆がとめたバターン原発
しかし新たな原発のもくろみ



コラソン・ファブロス
非核フィリピン連合事務局長
Corazon Valdez Fabros


司会(河田)
 どうもありがとうございました。では次にフィリピンから、非核フィリピン連合(NFPC)の事務局長コラソン・ファブロスさんにお願いします。

コラソン・ファブロス(フィリピン)
 こんにちは。この会議を開催するために尽力なさった事務局のみなさま、そしてこの場にお集まりのすべての友人、反核運動の同志に、非核フィリピン連合を代表して友愛と連帯の熱いあいさつを送ります。

莫大な借金を背負ったフィリピン民衆
 フィリピン・バターン州モロンのバターン原子力発電所(BNPP)の問題は、フィリピン民衆がいかに海外資本の経済収奪の対象に運命づけられたか、そしてフィリピン政府の卑屈さを示しています。
 バターン原発は1984年に、推定22億ドルを費やしてほぼ完成しました。しかし、試運転はなされず、閉鎖されています。1974年に最初にウェスティングハウス社(以下WH社)が提示したのは5億ドル、その4倍以上になっています。1976年の正式契約の段階で12億ドル(2基分)にひきあげられ、さらに1975年にフィリピン政府が米国輸出入銀行にローンを組んだときには、1基の価格は11億ドルに跳ねあがっていました。これですら、当時WH社がユーゴスラヴィアや韓国や台湾に建設していた同種の発電所の価格より、7500万ドルも割高だったのです。ですから、この「モロンの怪物」は世界で最も高価な発電所といえるでしょう。
 バターン原発はまた、不正取引の産物でもあります。調査機関の報告によると、米国大使館と米国輸出入銀行が、原子炉価格をひきあげるために協力したことが明らかになっています。また、マルコス大統領(当時)とその従兄であるエルミニオ・ディシニについても、同様のたくらみが暴露されています。ディシニは1976年にWH社との契約が調印されるときに購入担当者として登場し、WH社から800万ドルを受けとりました。これが賄賂でなくて何でありましょうか。大規模でしかも計画的なやり口です。フィリピン政府は1981年より、バターン原発の借金返済を始めましたが、その額たるや、利子分だけで毎日35万5000ドル、1年間で1億3000万ドル(約150億円)にもなるのです。
 1986年、マルコスが倒され、バターン原発は「お倉入り」になりました。営業運転をせずに、いったん閉鎖されたのです。そしてアキノ政権下では、運転されることはありませんでした。これは、人々の命と健康に対する危険性が広く理解されだしたことと、マルコス元大統領とそのとりまき、建設会社、そしてシティバンク社のような外国の開発企業がぐるになって行なった不正取引が露見したからです。しかし、対外債務に関してはきちんと支払いを続ける、というアキノ政府の方針により、マルコスたちが残した借金の支払いは続けられています。これはフィリピン民衆をさらに貧困へと向かわせるものです。バターン原発の分だけでも、フィリピン国民はすでに10億ドル以上を支払っています。残る債務と利子支払いを考えたとき、この問題は次の世代にまで影響をおよぼすのは明らかです。まさに「マルコスの負の遺産」といえます。

原発再建をもくろむ和解提案
 任期を終える直前、アキノ前大統領はWH社と和解しようとしました。しかしその内容はフィリピン民衆にとってはなはだしく不公正なものであり、海外資本に国家主権が屈服させられる内容でした。不正に行なわれた過去の借金は、この和解提案が通れば正当化されることになり、さらに50億ドルの借金を海外の銀行にしなければならないというのです。しかも1992年3月に出されたこの和解提案は、「モロンの怪物」をWH社自身の手で復活させようとするものでした。地震による活断層があり、火山地帯であるバターンに原発を設置することの危険性について多くの研究がなされ、結論が出ているにもかかわらず、それらは一切無視されています。過去の調査で明らかになった原発施設の構造的な欠陥も、核廃棄物の問題も、自国でまかなうことのできない燃料ウラン供給の問題も、放射線被曝の問題も、それらすべてが無視されています。
 フィリピン民衆にさらに過酷な負債を負わせることになるこの和解提案は、結局1992年12月3日にラモス政府によって拒否されました。「勝利」です。しかし、同様のことがこれからも続くことを私たちはよく知っています。フィリピンの反核運動にとって、これは「部分的な勝利」にすぎないのです。ラモス政府はバターン原発の操業をあきらめたわけではないからです。ラモス大統領の就任は、バターン原発に対するフィリピン民衆の歴史的な闘いを、再び呼び起こしました。ラモス大統領は、アキノ政権の政策と対外債務をそのままひきついでいるだけではありません。アジア太平洋地域の新興工業国の一員となるため、その電力需要にこたえるために原発推進政策をとるんだと、「フィリピン2000」計画の中でもはっきりと言っているのです。

民衆がとめたバターン原発
 フィリピン民衆は、バターン原発反対闘争の輝かしい歴史を持っています。フィリピンの民衆パワー、これはエドサ通りでの反マルコス暴動でも見ることができたわけですが、その最も初期の発露がバターン州モロンであったのです。ボイコット運動やゼネストによる激しい抗議が、バターン原発の操業開始をはばんできました。そして現在も、住民のきっぱりとした拒絶が、原発推進派の夢の実現のまえに大きく立ちはだかっています。  WH社を相手取った米国の法廷での賄賂訴訟はフィリピン政府の敗訴に終り、ラモス政府はバターン原発を原子力以外の施設に転換する可能性をほのめかしています。原子力発電所として運転することへの非常に大きな反発が、ことにバターン州の住民の間にひろがっていることを知っているからです。すでに韓国やマレーシアなどの国から、バターン原発を石炭火力の発電所などに転換するための計画が持ち込まれています。

しかし新たな原発のもくろみも
 1970年代以来の長い闘いから容易に推測できるのですが、ラモス政府はフィリピン国内の別の場所に、もっと多くの原発を建設しようとしていると思われます。ですから私たちの闘いは終ったのではなく、むしろ私たちの課題はかつてよりも大きくなっているといえます。今日のフィリピンは、エネルギー不足の危機的状況にあり、多くの投資家はフィリピンを見捨て、周辺の国々をその投資先として物色中です。原発推進路線を、ラモス政府が魅力的な選択肢とみなす原因はここにあるのです。私たちが直面しているのは、巨大で困難な課題です。しかし私たちが互いに助け合い、連帯することにより、私たちは必ず勝利します。この場にいるみなさんも同じように考えていらっしゃると思います。だから、私たちはいまここにいるのです。「原発いらない!生命が大事!」。フィリピンを非核化するキャンペーンを支持してください。そしてともに、核のないアジア太平洋をつくりあげましょう! ありがとうございました。

  
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