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第一回 日本
東京 ノーニュークス・アジア会議

各国報告 台湾



蘭嶼の生存をかけ
“宣戦布告”
もりあがる第4原発反対運動


郭 建平
台湾、蘭嶼島核廃棄物反対運動
Kuo Jiang Ping

廖彬良
台湾環境保護連盟
Liao Bin Liang


司会(コラソン・ファブロス)  韓国に続きまして、台湾から2人の方に報告していただきます。最初は台湾反核連盟(ANCT)の郭建平(クォ・ジャンピン)さん、次に台湾環境保護連盟(TEPU)の廖彬良(リャオ・ビンリャン)さんです。それではどうぞ。

郭建平(台湾)
 こんにちは。会場にご来場いただいたみなさま、そしてこの会議を主催したスタッフのみなさま、私がここに招かれ、私たちヤミ族の状況を報告できることを感謝しています。時間が限られていますので、スライドを使って説明しますが、その前に私たちヤミ族の神話をひとつだけ紹介します。
 「お日さまが出たとき、神さまは天上の楽園を私たちヤミ族に手渡し、ヤミ族の子々孫々にそれを管理させることにした」。
 これが神話なんですが、私たちヤミ族は、この言葉にあるように、この島に住みついて以来、この島が私たちの住む楽園であると信じ、子々孫々へと受けつぎ、生きてきました。

ヤミ族の島、蘭嶼(ランユー)島
 これが蘭嶼島です。いま台湾政府が核燃料の廃棄物を、この島の裏側で処分しています。私たちの島の面積は、45平方キロメートル、人口が3109人です。
 船が見えますが、これが私たちヤミ族の文化、そして生活を代表しています。ヤミ族は昔から今日までずっと、私たちの伝統的な生活、文化を維持してきました。一時的には日本の植民地になって、日本人もこの島を管理したんですが、日本人はこの島に対して、何の手も加えませんでした。日本は、蘭嶼を人類学の研究をするのにふさわしいところとみなし、これを変えようとはしませんでした。しかし約50年前ですね、戦後、国民党が台湾に入ってきて、蘭嶼の昔からの伝統的な文化・生活を破壊しはじめたのです。それは今日まで続いています。
 これはシンボルのひとつです。険しい岩が模様をつくっています。漢民族の人はこの形を見て「竜の岩」、竜が爪をあげている、といいます。しかし私たちヤミ族は竜だとは思いません。なぜこんな話をするのかというと、漢民族とヤミ族とは文化的に違っているということを明らかにするためです。

破壊されたヤミ族の文化・生活
 この場所は先ほど話した台湾の核燃料廃棄物が捨てられる場所への入口のひとつです。ここは埠頭です。ここに核燃料廃棄物が搬入されます。これは核燃料廃棄物の貯蔵庫、いわば捨て場です。
 台湾の国民党政府は、私たち住民に対して嘘をつき、核燃料廃棄物を持ちこみ、今日までやってきました。台湾の政府は、核燃料の廃棄物の捨て場を自分の場所ではなく、私たちの蘭嶼島につくったのです。では、私たち蘭嶼に住む人々にどういう影響をおよぼしたのか、話したいと思います。
 ヤミ族にとってこの廃棄物処分場は、先ほど話した昔からの伝統的な文化・生活の黄金時代を完全に破壊するものでした。いまでは、自分の命がどうなるのか、毎日びくびくして暮らしています。24時間毎日毎日、いつその核廃棄物処分場から放射能が流失し、私たちの命を脅かすか、そういう脅威感、精神的な苦痛のなかで生活しています。
 蘭嶼という島は、東太平洋の海図のうえで、いちばん注目されるべき島じゃないでしょうか。なぜなら蘭嶼は東太平洋に面していて、もしここで何らかの汚染か、放射能の流失が起こったら、島の近辺や海岸に住むすべての生物、あるいは海に住む魚介類はすべて影響を受けることになるからです。

生存をかけた民族運動
 核廃棄物貯蔵施設の近辺には人が住んでいます。施設のそばに住んでいるのは、もうほかに行くところがないからで、核廃棄物貯蔵施設がある限り、私たちヤミ族は滅んでいく。これは私たちを滅亡させる政策なのです。ですから、ヤミ族の反核運動は単なる反核運動ではなく、私たち民族の生存をかけた民族運動なのです。
 過去4年あまりにわたって、私たちは反核の運動を起こしてきました。そして現在、台湾政府に対して3つの要求を出しています。第1の要求は、核廃棄物貯蔵施設の拡張、倉庫の建設を即座に中止すること。第2の要求は、核廃棄物を運びこむ運搬作業をただちに中止すること。そして第3の要求は、核廃棄物貯蔵施設をほかの場所へ移す計画のタイムテーブルをただちにつくること。私たちはこの3つの要求をつきつけ、蘭嶼の生存権を守るために、民族の存続のために今日まで闘ってきました。
 つい最近、5月30日に私たち民族の代表が台北へ行きました。この衣装はヤミ族が武装するときの衣装、要するに戦闘服です。闘いのときに着る民族衣装を着て台北まで行きました。台湾中央政府に宣戦布告をしたのです。

地球村のすべての人々のために
 今日ご来場のみなさまには、ぜひ伝えていただきたいのです。私たちの小さな島、小さな楽園、小さな民族の存続のために、こんなに苦しく、故郷を遠く離れた統治政府の根拠地にまで行って、私たちがこのような活動をしていることを、ぜひ各国に帰って、あるいは日本の各地方へ帰って、伝えていただきたいのです。私たちの反核運動は、いわばひとつの革命といえます。民族の生存闘争ともいえます。
 最後に私たちの小さな活動をとおして、反核運動が全アジア、ひいては全世界に広がることを希望しています。そして「地球村」、私はあえて地球の村と呼びたいのですが、地球村に住んでいる人々すべてが、核汚染の脅威から逃れられるよう訴えたいと思います。
 私たちの闘争が勝利するときまで、みなさんと団結して頑張っていきたいと思います。ご静聴どうもありがとうございました。


廖彬良(台湾)
 こんにちは。私は1988年に米国のテキサス大学を卒業し、母国台湾に帰ってきました。ですから、台湾の反核運動にかかわり始めてまだ5年しかたっていません。お手元にお渡しした資料があると思いますので、読んでいただけると幸いです。
 ここではいくつかのスライドを見ていただきながら話をしたいと思います。
 図柄を見ただけでわかってもらえると思いますが、これはひとつの警告です。ある日、核の被害を受けて、あなたとあなたの子どもが引き裂かれることになる。これはその最後の接吻をしているところじゃないでしょうか。

原発被曝でガン死
 この地図は、台湾の発電施設の場所を示しています。現在の最高発電電力量は1800万キロワットであり、このうち原子力発電は、514.4万キロワットです。台湾では原子力発電所を、地方の名前を使わずに「号」で示しています。「核一」が第1原子力発電所、「核二」が第2原子力発電所というぐあいです。南の方に「核三」、第3原子力発電所があります。そして、各施設にそれぞれ2基の原子炉があります。ですから現在、6基が稼働しています。
 この地図は、北の第1発電所と第2発電所です。円が描かれていますが、第1と第2を中心に実線で描いたふたつの円の中には、現在600万人が住んでいます。もしある日、この原子力発電所で、なんらかの放射能災害が起こったら………どういうことになるかはおわかりになると思います。円の半径は30キロあります。
 第3原子力発電所は最南端のウランピー岬の近くにあります。ここは国立公園で、美しいところです。日本の人もご存知だと思いますが、岬に立てば南十字星が見られるところで、経験した方もいらっしゃるのではと思います。こんな美しい、環境のよいところに、原子力発電所がたてられています。
 これは4、5年前の統計です。台湾でも放射能汚染、放射線を浴びて亡くなった人がいることは、みなさんはまだご存知ないかもしれませんが、これは氷山の一角です。みな40代、50代、30代。若い人ですね。そしてほとんどがガンです。これは、原子力発電所のなかで仕事をしている従業員の、死亡者リストです。

もりあがる反核運動
 続いて台湾の反核運動を紹介したいと思います。1992年3月13日、立法院(国会)前の広場での座りこみです。国会議員に対するデモンストレーションで、1000余名の人々が座りこみをしました。その約1ヵ月後の4月26日は、チェルノブイリの6周年です。毎年この日を記念して、大規模な反核運動をしています。人類、動物、植物、果物と、いろんな仮面をかぶっていますが、すべてが核から逃れられるよう、核を消滅させようという意味がこめられています。4月26日は毎年やっていますが、92年に集まった人々は、婦人会や子どもたち、教授会や医師会など、ちょっと変わってきました。この日、70団体以上、6000名を超える人々がこの街頭デモンストレーションにくりだしました。
 教授連盟は、要するに大学の教授と学者が組織した団体ですが、6月2日、立法院の正門前に盾をつくって24時間のハンガーストライキをやりました。反「核4」とありますが、第4原発の撤回を求め、4人が交替で座りこみ、政府に対して自分の意志を態度で示そうとしました。しかし政府はその翌日、6月3日、第4原子力発電所の予算を国会で強行可決してしまいました。台湾の代表団12名のなかにも、座り込みを経験した人がふたりいます。施信民(シン・シンミン)教授と林碧堯(リン・ピャオ)教授です。

第4原発の予算凍結を求めて
 この1年間の運動をスライドで見ていただき、台湾の市民団体が政府に対する反核活動を、さかんに行なっていることがおわかりになったと思います。しかし私たちのこうした反核運動をつぶそうと、逮捕、起訴しているのが、いまの政府です。私自身も政府に起訴されました。一応無罪になったのですが、いまの法律で7年以下の刑罰を負わせることは可能なんです。私は不幸中の幸いだったと思います。けれども、私の友人のひとりは、医者ですが、1年6ヵ月の刑に処せられました。
 これはさる5月30日の反核大デモのひとコマで、6000名を超える人々が集まりました。毎年4月、5月、6月の時期には、人々がチェルノブイリを忘れないように、強烈に運動を行なっています。実は6月21日に第4原発の予算をもう一回、野党民進党の提案で討議し凍結しようとしました。しかし、21日には通過できなくて、23日にもう一度やったんですが、国会議事堂のなかで政府派の議員と反対派の議員がぶつかりあうという流血の事態になりました。これはたいへん不幸なことです。新聞の第1面トップに、カラーで出ていますが、野党の議員が与党の議員に殴られて血だらけになっています。
 このような状況のなかで、台湾大学の高成炎(カオ・チェンヤン)教授、本来ならば彼が今日ここで演説するはずだったのですが、こういう事態になって、台湾で陣頭指揮をとっています。今日も、街頭あるいは国会の正門前で抗議運動を続けています。私たち、林教授ともうひとりは、会議が終わる29日にさっそく帰って、応援しようと思っています。残念ながら私は、日本を理解するため準備された各地方への訪問ができませんが、9人残りますので、残ったもののご支援をよろしくお願いします。
 最後に私は、ここにご来場の方々、主催の方々に、ひとつの呼びかけをいたします。現在、私たちのアジアは、核災害のひとつの運命共同体であると思います。このアジアのどこかの国で核災害が起きたときには、おそらく私たち、ここに集まった国々すべてにふりかかると思います。ですからこの会議を通じて、私たちはまず自分の国のことを最優先にしてしっかりやっていく。そのうえで隣の国、そしてアジア、最後にアジア運命共同体というように連携をとりあい、私たちの地域から核が消滅するようにしていきたいと望んでいます。どうもありがとうございました。

  
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