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第一回 日本
東京 ノーニュークス・アジア会議

フォーラム提唱者からの発言



推進側に負けない
アジア民衆の
緊密な関係をつくろう

kim wonsyuku

金 源植
韓国、反核資料情報室代表


司会(河田)
 次に韓国の反核資料情報室代表の金源植(キム・ウォンシク)先生をご紹介します。先生はこのノーニュークス・アジアフォーラムの最初の提起者でもありまして、なぜこのフォーラムを提起されるにいたったかについてお話しいただきます。よろしくお願いします。

金源植(韓国)
 いま、紹介されました韓国で反核運動を行なっています金源植です。みなさん、おはようございます。
 私は1992年5月4日、アジア全域の反核運動の連帯を呼びかける提案を行ないました。それは当時、ブラジルのリオデジャネイロでの地球サミット会議(UNCED)を前にして横浜で開かれた、アジア民衆のNGOフォーラムでのことでした。そのとき、韓国の安眠島闘争の真相を知らせるために、私は韓国の田在鎮(チョン・ジェジン)さんとふたりで出席しました。40分の時間のなかで、田在鎮さんが韓国語で、私が日本語に通訳するという形式をとりました。話を傾聴してくれたみなさんは、熱心に話を聴き熱い拍手を送ってくれましたし、会場には韓国から持ってきた安眠島核廃棄場建設反対というプラカードをかけてくれました。私は安眠島の報告が終わり、反核アジア国際連帯機構の創設を話そうという腹づもりでした。しかし時間がなかったためにその話は十分にできず、残念な気持ちで終わらざるをえませんでした。
 私はその日の夕方、眠ることができませんでした。それはいわなければならない機会を逃したという虚脱感のためでした。それで翌日、会議の始まる1時間前に会場におもむきました。会場にはまだ誰もいませんでしたが、そのうちひとりふたりとあらわれて、会議の進行についての打ち合せを始めました。私は前日に続いてそこに見えてた岩崎駿介さんをつかまえて、韓国の発電所についてぜひ発言したいと強力に要請しました。岩崎さんはその要請に対しては返事をせず、当時韓国の野党の最高委員をしていました朴英淑(パク・ヨンスク)さんの発言を引用してくれればということをいいました。朴さんは2日目の会議は参観だけをして帰国のために横浜をたったということでした。結局内部での検討の結果、20分という時間をくれて韓国の報告をすることになりました。私はすぐさま会場におもむいて、自分の発言の番を待っていました。
 私は4つの問題を話そうとしていたのですが、そのなかで最も重要なのが、たいへん危険な状態にある韓国の古里1号基に関することでした。しかし、基本的な話をして時計を見ましたら、残り時間は2分30秒しかありません。それでその限られた時間でお話をしたのが、「アジア連帯の反核フォーラムが必要だ」ということでした。事実、私は89年から数度にわたって日本を訪れ、「反核運動において韓日の国境はない」ということを訴え続けてきました。韓国の古里原発から九州の玄海原発までは、直線距離で220キロしかないということです。どちらかの原発で事故が起きれば、風速7メートルという風に乗って、30時間後には互いのところに放射能の影響がおよぶわけです。
 それと日本を何回も訪れて感じたことは、核推進側の人たちは実に緊密な韓日間の関係を持っていることでした。それだけでなく、とてつもないほど反核運動をする人たちに妨害を加えていることでした。簡単な例をあげます。87年に高木仁三郎博士を韓国に招待しました。その直後に韓日間で緊急の検討会議が開かれた模様で、高木さんの講演が韓国の反核運動にどのような影響を与えたのかを評価する目的で会が開かれたのです。
 それだけではありません。韓日が力を合わせて原発を阻止するために日本の方が署名をたくさん集めて韓国に持って来てくれたのですが、姫野百合子さんという方がその署名簿を持って上陸しようとしたところ、釜山で拒否されました。したがって私たちは、韓日を超え、アジアという版図のなかで民衆次元での緊密な連帯闘争が必要であると知るにいたりました。
 それから、帰国して2ヶ月後に日本から返事が来ました。内容は「あなたの提案を慎重に検討している」ということでした。そして昨年11月、プルトニウム輸送に関する国際会議に行ったとき、今日開かれていますノーニュークス・アジアフォーラムの準備実行委員会を開こうという会議がたんぽぽ舎で開かれていました。その姿を見たとき、「私は本当に良い提案をしたんだな」と感じました。それは、すでにヨーロッパやアメリカからは、脱原発に向けた動きがあるのに、むしろ見近な日本が世界の核産業の牽引国になろうとしているという事実を知ったためでもありました。そして韓国政府も、われわれのような反核の声に耳を傾けるどころか、ますますこの政策を発展させようとしています。しかし韓国の反核グループは、このような状況にもかかわらず、団結を強め、少しづつ力を培養しています。
 遠くインド、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、台湾、そして主催国日本の反核運動を行なう同志のみなさん、またこの反核運動に賛意を寄せる多くの民衆のみなさんに、私の熱いあいさつを送りたいと思います。今日ここで論議されるすべてを通じて、私たちはいっそう反核の論理、経験を学び合うことが必要だと思います。
 私たちの道は遠く険しいものです。あらゆる妨害が横たわっています。これに打ち勝ち、勝利の日まで心をひとつにして進もうではありませんか。そしてこの場に来ることのできなかった様々な国、特に中国本土とシベリアなどからの反核の声を聞くことのできる日が1日も早くくるよう、努力しなければならないと思います。
 韓国のことわざに「始まりが半分」というのがあります。しかしもう一方で「千里の道も九百九十里をもって半分と考えよ」という言葉もあります。このふたつのことわざから、私たちは、始まりも重要でありますが、その終わりも重要であるということを考えなければならないと思います。ともに闘っていきましょう。そして勝利の日を早めましょう。以上です。ありがとうございました。


  
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