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第一回 日本
東京 ノーニュークス・アジア会議

開会あいさつ



核も原発もいらない
新しい質の文明をつくりだす
第一歩に

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前野 良
ノーニュークス・アジアフォーラム日本実行委員会


司会(河田昌東)
 ただいまから、ノーニュークス・アジアフォーラムを開始いたします。今回のこの会議は、アジアにおける反核・反原発の活動にとって極めて重要な会議になると思います。そのために非常にたくさんの海外ゲストが参加しています。現在の海外からの参加者は、韓国から9名、台湾から12名、フィリピンから1名、インドネシアから2名、タイから1名、マレーシアから1名、インドから1名、合計27名です。みなさん、どうぞ拍手でお迎えください。(拍手)
 この2日間の会議を通じて、今後の反核・反原発の活動をいかに有効に進めていくかを、真剣な議論で詰めていきたいと思います。
 それでは初めにノーニュークス・アジアフォーラムの日本代表であります前野良さんから、開会のあいさつをいただきたいと思います。

前野良(日本)
 おはようございます。ノーニュークス・アジアフォーラムを日本で準備してまいりました実行委員会を代表して、一言、開会のごあいさつをもうしあげます。
 アジアの各地で非核・反原発の運動を支えてこられました代表の方々が、これだけ多く参加されました。それぞれの国の厳しい政治状況のなかから、数々の困難をはねのけこの会議に参加されたのであり、まず最初にその方々に私どもの深い喜びと連帯の言葉をお伝えしたいと思います。それはこの会議で私どもみんなが出会うことによって、核も原発もいらないアジアを創るという、そのための国境を超えた民衆の「共通の場」を創る第一歩を踏みだすことができるからであります。
 原発をめぐる日本の情勢は、非常に厳しい局面を迎えております。米ソの核を軸とした冷戦体制は崩壊し、世界は南北問題を中心に世界秩序の新しい枠組み、その原理の形成をめぐって大きな激動の時期にあります。このようなときに、日本はなぜプルトニウム大国化、プルトニウムサイクルの完成をめざす政策をとるのでしょうか。欧米諸国がこぞってプルトニウム利用から撤退しはじめ、さらにエネルギー政策で脱原発の方向を模索せざるをえなくなっているのに、なぜ日本だけがプルトニウム大国化の道を選択しているのでありましょうか。経済的合理性を無視して、なぜそれが可能なのでしょうか。この政策を支えている根本、根、あるいはその日本的構造とはいったい何なのでしょうか。そのことを明らかにしなければならないと思いますが、それをアジアの民衆の場から見る視角が、われわれ運動をするものにとって最も必要であり、最も本質的なこととなってきたと私は思っております。プルトニウム大国化を進めるとともに「西太平洋原発地帯」を推進しようとしている日本国家と産業界のグランドデザインを、アジアの民衆の場から告発し、それにかわる構想を創りあげることを追求すべきではないでしょうか。
 このアジアの地域は、日本がかつて侵略戦争を行なった地域であり、その侵略に対して道徳的・倫理的謝罪も、また民衆に対する正当な補償も賠償も行なっておりません。しかも1960年代から、日本経済の大量生産・大量消費の経済基地として資源を収奪し、1980年代から今日にかけては、日本の国家資本と企業が、世界銀行やIMFと協力し、この地域の工業化、自由化を上から進めてきました。そのため、森林をはじめとする環境の破壊を行ない、大量の貧困層をつくりだし、女性、子ども、少数民族の生存権さえ奪ってきたのです。このような急速な工業化と民衆の生活の貧しさのなかで、原発建設の計画が日本の政府と電力産業によって進められてきたのです。
 われわれ日本人は、二重の意味で加害者としての責任を持たなければなりません。それは歴史的な責任であります。またそれは政治的な意味ではなく、南北格差、差別の問題をわれわれの生活のなかで、また生活思想上どう受けとめるかという、私どもの生活様式の問題として指摘しなければならないと思います。1960年代に始まった「生活の豊かさ」がどうしてつくられたか、それがアジアをはじめ第三世界の人々への様々な形態での収奪のうえでなり立っていること、その構造の全体とそれを支えている価値観を問題にすべき時代にきていると思います。そのうえにたって初めて、国家を超えた民衆の同じ地平を創ることができるのだと思います。
 そして日本とアジアの各地での、日本のプルトニウム大国化に反対する、様々な段階での諸運動をつなげることを軸にしながら、さらにそのうえに、平和、非核、人権、女性と子どもの権利、少数民族の自立、農民の解放、環境保全など様々な課題で闘っている多様な運動をつなげ、共通の意識、共通の広場、原発も核もいらない新しい社会像、アジア像を創りあげることだと思います。
 このような、国家を超えたグローバルな、しかも門構えの広い、核も原発もいらないアジアの運動をともに協力しながらどうして創るのかが、この会議を開いた重要な意味ではないかと思います。
 第二次世界大戦とその後の冷戦期において、広島、長崎、太平洋、チェルノブイリなども含めて2500万人以上のヒバクシャが生まれています。そして隠されたヒバクシャが原発労働者のなかにつくられているのです。それも社会的差別のなかでつくられています。すでに核に支えられた文明は、国際関係においてだけではなく、われわれ人間の生活・環境にとっても否定されるべき存在となりました。核文明を拒否し、新しい質の文明を創るべき激動の時代です。私たちはこの新しい質の文明を闘いのなかで創りあげるというグローバルな意識を持ち、日常の運動を創りあげようではありませんか。
 簡単ですがこの国際会議の開催にあたりまして、ひとこと、感想的希望をもうしあげました。ご静聴ありがとうございました。


  
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