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第一回日本 海外参加者の感想
インド

プルトニウムの
軍事利用を阻止するために

パドマナバンV.T.
(産業安全環境問題センター)



 今回のフォーラムは、アジア8カ国で初めて分かちあった反核の集いであった。重大な危機の迫るなかで開かれたノーニュークス・アジアフォーラムは、アジア太平洋の民衆にとって大きな意味を持っている。冷戦の終結は世界全体で核兵器の削減をもたらしたが、アジアにおいては以下に示すように、それに逆行する動きが見える。緊張の状況と戦争の可能性がヨーロッパからアジア太平洋へ移行してしまったともいえる。

進行するアジアの核武装
 まず、パキスタンが核兵器製造の能力を持ったこと。また、日本の核エネルギー利用政策の柱が、大規模なプルトニウムの輸送と使用を前提とする高速増殖炉に次第に移行しつつあること。これは動燃東海村工場での使用済み燃料の再処理および六ヶ所村ウラン濃縮プラントへの一層の傾斜によって、日本が核兵器に利用可能なウランおよびプルトニウムを大量に生産できるようになったことを意味している。
 日本とその近隣のアジア太平洋諸国に生きる平和を愛する民衆は、圧倒的な経済力を持つ日本が、かつてこの地域で今世紀前半に戦いをしかけていった歴史を思い出し、真剣に、そして純粋に日本の政策の変更を心配している。
 また最近では、北朝鮮の核拡散防止条約(NPT)からの脱退の意向と、これに対する米国の軍事力を背景にした圧力に恐れを感じた韓国や台湾のような近隣諸国は、自らの外交政策を再考せざるをえなくなった。そのほかにもインドのミサイル実験成功により、インドが近い将来に大陸間弾道ミサイルをも持つ可能性が示されたこともある。
 この核の脅威という共通の運命と平和に対する関心を共有する参加各国も、核開発の現状を見ると様々に異なっている。たとえばタイ、マレーシア、インドネシアはまだ核施設を持っていない。インドは十二分に発達した核兵器の製造能力と輸送手段を持っている。日本は兵器転用可能なプルトニウムの十分な備蓄と、核爆弾やミサイルの開発の基礎的技術を持っている点で、核兵器製造能力はインドの次に位置する。これらの事実から、日本とインドは、今後アジアの原発市場においてさらに主要な役割を果たすことは間違いない。また韓国と台湾は十分に育った核エネルギー施設を持っているが、現在のところ、それらは米国の管理下に置かれている。一方、フィリピンの民衆は完成した原発の運転開始を阻止することに成功した。

フォーラムに参加して見えてきたもの
 日本政府は、ひとりあたりのエネルギー消費が平均的な米国人と同等かそれ以上もあるような「消費者の国」と「産業上の帝国」を同時に建設することに成功した。原発が稼働比率にして総発電量の3分の1にも達する電力を供給しているこの核の帝国では、人々の日常生活に核エネルギーが深く浸透しているので、ただちに脱原発社会を実現することは難しい。インドやタイでは、電気が民衆の大半にとってあまりなじみのないことから、脱原発社会を実現することが比較的たやすいだろう。今回のフォーラムで各国から出されたレポートは、核開発によってもたらされた損害の大きさや、大衆の反応、各国政府の抑圧の実態を教えてくれる。それぞれの国の憲法による自由の保証の程度の違いにもかかわらず、すべての国で国家の抑圧的な様相がつぎつぎに明らかにされた。なかでも日本ではマスコミがまるで核の利用体制における宣伝省のようにふるまっている。そして六ケ所村核燃料サイクル施設やもんじゅの臨界、あかつき丸などにおける平和的なデモをつぶそうとする警察の行動は、プルトニウム経済社会における民衆の抑圧の恐ろしい未来を暗示している。

 フォーラムでの未来のために話し合われた議題は、以下の三つであった。
  1. 情報交換のネットワークを維持する
  2. 定期的なニュースレターや情報の広範な配布を行なう
  3. 次回のフォーラムを韓国か台湾で開催する

 具体的な共同行動の計画は決定されなかったが、参加者の社会的な背景とそれぞれが抱えている核の問題の多様性からすれば、これは避け難いことであった。フォーラムがより効果的であり、さらに意味のあるものであろうとするならば、いま以上の二国間なり多国間のコミュニケーションと協力が必要であろう。

日本の友人たちへのアドバイス
 今回のフォーラムを主催した日本の実行委員会は従来の意味での組織ではない。それは日本の主な都市から集まった若者の集合体で、国レベルの事務局や中央集権的な官僚機構を持っている組織とは完全に性格が違う。メンバーの多くは、できるかぎりいままでのものにかわる脱中央集権的な組織の形態を模索しているように見える。また、日本の反核運動が、核にかかわる問題全般から軍拡へと反対の重点を移しているようにも思えた。日本が核の平和的利用のプログラムをテコにして核の軍事的利用が可能な国家になったことは特記すべきことである。経済的発展の結果もたらされた人々の良心の麻痺と右傾化や、低レベル放射線の悪影響の無視によって、日本の友人たちのなすべき課題は困難になりつつある。医療やX線フィルム産業は、今日多くの放射線被曝者を生みだしている。消費者となった市民の大半が政治に無関心になっているなかで、未来に適した、いままでとは違う反核運動の形態を探す努力は、日本ではまだ少ない。しかし今回のフォーラムで、関心を持った個人がたくさん集まって生まれるネットワークの芽生えを感じることができた。
 全地球的視野でのエネルギーの問題や、国内や国際間で起きている経済的格差の問題とつながるものとしてとらえないかぎり、核の軍事的利用に対する抵抗は意味があるものにはなりえない。経済成長と貧富の格差の拡大は、全地球的に見れば生あるものすべての絶滅をひき起こすに十分なほどの争いの種になる。単一テーマのキャンペーンでは、地球を癒し、生命維持システムを守るという究極の目標へは少しも近づくことができないだろう。持続可能な経済モデルの探究や代替エネルギーの研究はまだ十分な成果をあげるまでにはいたっていないが、多くの個人や小さなグループがこの目標に向かって働いている。東京での会議と核問題について各現地で話す機会を得たことで、そのような個人やグループがより近づくことができたと思う。

未来のための課題
 個別の闘いで多くの勝利を収めたにも関わらず、アジアの反核運動はインドや日本など核の帝国の行進をとめることができるほどには強くなっていない。いくつかの国では古参の組織が疲労の証を見せている一方で、タイやマレーシアのような核のない国々の民衆は議論や行動から遠く離されたままだった。
 アジアにおける3つの核兵器保有国(イスラエル、パキスタン、中国)において目に見える活動がないことは、われわれのすべての努力を無にしてしまいかねない。  来日した国々のほとんどすべてには、全国的な組織の傘下に入らないで地域での闘いを担っているグループがたくさんある。もしそれらのグループ間で、効果的なつながりがつくれれば状況は良くなるだろう。たとえばインドには互いに知っていて互いに協力的ではあるが、しっかりとは組織されていないグループが12ほどある。もし国中のすべての地域的な組織の期待と必要なものが調べられ、広く告げられたなら素晴らしいだろう。
 すべてのセッション、特に夜間の非公式の集まりの場は非常に楽しかった。人種や肌の色、政治や経済システムの違いにもかかわらず、アジア大陸の人々の間の共通性を示すような交流ができた。参加者は実行委員会やボランティアの人たちの歓待によって、その暖かさや連帯の精神に圧倒された。このミーティングは将来のオルタナティブ社会実現のための基礎として、西欧がアジアの、偉大であるがほとんど残っていない伝統に注意を向けはじめたこの時代に開催された点で、記念すべきものであった。私たちはともに、よりよい未来のために闘おう。

  
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