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第一回日本 海外参加者の感想
インドネシア

原発輸出の本国を知る旅

ナナ・スハルタナ
(ソロYMCA)



 日本でのノーニュークス・アジアフォーラムは、アジアの人々、特に私たちインドネシアからの参加者を、とても勇気づけるものだった。日本の人々が私たちの抱えている問題にこれほど注目してるとは思いもよらなかったし、私たち自身にとってもこのフォーラムは、祖国への原発輸出に対する関心をさらに高めるまたとない機会になった。核兵器と原発の拡散をとめるために集まり、手をとりあっていくことは、誰にとってもやりがいのあることだろう。これは義務というよりは、私たちの宿命にも思える。今回の日本滞在中、日本の反原発の闘いから学び、また、原発輸出の本国を知ることは貴重な経験となった。各現地の見学を計画してくれたすべての日本人に感謝します。

日本の原発現地を訪れて
 インドネシア政府の核エネルギー利用計画の情報を入手するのは困難ですから、この旅は私たちにとって非常に実り多いものだった。原発の現地では、この破壊的なエネルギーの危険性を私は実感した。なぜなら原発は地域社会から隔絶され、秘密だらけだから。日本には列島のあちこちに43基もの原発があり、将来どのような事故が起こるかは想像もつかない。最近の日本は「沈黙の秘密」にとり囲まれ始めたので、将来、列島のすべての地域が秘密に占領されるのではないかと危惧している。
 日本の反原発グループの数はアジアで最も多い。特に東京と大阪では、日本国内外の原発拡散をとめる次のステップへの力と将来性を備えた若い人たちが中心になっていて、非常に勇気づけられた。
 しかし、羽咋を訪れたときは正直いって、叫びそうになった。「小さな」原発がすぐ近くにあるこの小さな町では、反原発のグループは80歳の人をはじめとする老人たちで、若い人がいなかった。いま必要なのは、ほかの町の反原発グループが羽咋のグループといかにネットワークを持ち、キャンペーンを行ない、サポートしていくかということなのだと思う。そして、それはアジアの反原発の進む方向だろう。
 日本のネットワークグループが日本とアジアを結ぶ反核・反原発運動の事務局としての役割を担い、今後の活動をうまく運営していくことに期待している。

インドネシア政府のエネルギー政策
 インドネシアの人口は年2.5%の割合で増加している。そしてひとりあたりの国民所得はほぼ550米ドルで、政府の推定によると、国民の27%以上が貧困ライン以下の生活を送っている。一方、少数の金持ちがほとんどの富を所有しているのが実態だ。インドネシアの年間電力消費量の平均増加率はアジア各国の平均(年7.9%)よりも高く、世界平均(年3.6%)をはるかにうわまわっている。ジャワ島は、面積ではインドネシア全土の25%なのに、総人口の60%、1億人以上が暮らしている。そのため人口増加にともなう広範なエネルギー供給拡大計画が必要だといわれている。
 インドネシア政府の計画では、2004年までに12基の原発を建設し、ジャワ島の電力量の27%を供給するという。
 1990年から92年にかけて水力および地熱発電所は、さらに必要になるはずの522万2000キロワットの電力量の67%以上を供給するだろうといわれてきた。しかし、1989-90年会計年度では、石炭、水力および地熱発電所の実質的電力供給量は、発電能力の43%にすぎない。インドネシアの全地熱発電所の電力供給能力は100万から150万キロワットと見積もられているが、そのうちジャワ島には90万キロワット分しかなく、水力発電の供給能力も同じく90万キロワットで電力量は大いに不足している。
 1989年、セルポンでスハルト大統領は、「調査の結果、20年後には地熱、水力、天然ガス、石炭を含むすべての使用可能なエネルギー源を使っても、ジャワ島で必要とされる電力さえまかなえないことがわかった」と言った。だからこそわれわれはいまから原子力を利用することを考えるべきだというわけだ。皮肉にもインドネシアは、発電のためのエネルギー源となる石油や天然ガスを輸出して外貨を稼いでいる。もちろん日本にも輸出しているが、その日本から原子力発電所のプラントを買えば、巨額の金を支払うことで電力をまかなうことになる。

インドネシアの反原発運動
 今回の日本でのデモと集会は、満足できるもので、とても勇気づけられた。そして同じような活動がインドネシアでもできたらなあと強く思った。今のインドネシアでは土地問題のように政府の政策にあまり触れない事柄か、国営宝くじのように政府が認めた問題についてしかデモが許されない。
 NGOや大学による原発に関するセミナーを開催することも難しく、公式には政府と軍隊の許可が必要で、原子力発電所導入に賛成する立場でのセミナーしか政府からの許可を得ることができないのだ。
 つまり原発はインドネシア政府が神経をとがらせている問題なので、その危険性がまだ一部の人々にしか理解されていない状態にある。
 いま、私たちがなすべきことは、原発の問題点が知識層だけではなく、社会のあらゆる層に理解され、国民的な課題になるよう、理解を求めていくことである。インドネシアで反原発運動が始まったのは1989年だから、推進側の先手を打つには遅すぎた感もあるが、正しいと信じる行為をするのに遅すぎることはないはずだ。

いまインドネシアの反原発グループが具体的に何ができるのか?
 たとえば、原発立地予定のウジュンワトゥ、セレリン、ケリン地域は、人々のほとんどが下層階級に属している。そして彼らは、原発の建設計画について地域外からのわずかな情報しか得られない。これら地域は、400ヘクタールの国有林に囲まれほかの地域から隔てられており、交通や通信の手段が限られているのだ。住民は1964年から69年にかけて森を伐り開いて村をつくり、その地域に移住した。ウジュンワトゥは面積1167ヘクタールに人口1389人、セレリンは2366ヘクタールに4503人。そのほとんどの住人は、農夫、漁師、建設労働者という土地柄で、よそ者が入りこむことはほとんどなく、よそ者がやってくると人々は疑念をいだくだろう。
 われわれ反原発の立場のものがいますべきことは、原発は危険だということを広く知らしめるために、原発立地予定地域の外で反原発のキャンペーンを行なうこと。そして、原発建設の現地に近いグループ(ムリヤ・フォーラム)が、地域に入りこみ、人々に働きかけることだ。また、原発の真の姿を知るわれわれがいますべきことは、手をつなぐことだ。なぜなら、これはあなただけでも、私たちだけでもない全世界の問題だからだ。

1993年12月
インドネシア/ナナ・スハルタナ


  
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