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名古屋集会

小木曾茂子



7月2日。全国各地に散って交流していたアジア各国の人々が集まってきた。外はあいにくの雨。明日の集会をひかえて記者会見をセットしたが、疲れ切ったメンバーからその場でこんな声がでた。「私たちは日本に来てからほとんど毎日何時間も電車に乗っている。眠る時間は5時間もない。いま、私の背広はレインコートのようにビシャビシャだ。日本に来て1週間も経つが、買い物や町を見る暇もない。自由時間が欲しい」。
 今夜は名古屋メンバーと交流会。明日の朝は全国の人と今後についての相談会。午後は名古屋集会で、夜はまた宴会。これはいけない。これではもたないだろう。急遽、東京、大阪の事務局と連絡をとって、明日の集会以外はキャンセルすることを相談する。でもみんなつかまらない。日本人の働き過ぎの体質は、運動している人間にも著しい。社会的に評価されないとまた運動も理解されないし、社会的に評価されるためにはまともに働かなきゃならないし、そうなると運動もまた夜中までずれこんでいく。10日間の日程は、その体質を基礎につくられているのだから無理がでるのは当然だ。日本人は働いて働いて、地球環境を猛スピードでこわすのにやっきになっているとしか思えない。

翌朝。必死の思いで東京、大阪からかけつけたメンバーにはもうしわけなかったが、それでようやく2時間の自由時間がとれ、国ごとに通訳の人につき添ってもらって熱田神宮や買い物に出掛けたり、文書の整理や電話をしていた。
 名古屋集会はYWCAで行なわれた。300人ほどの人が入ったと思う。労組の人たち、教会関係者、国際NGOの人たち、いつもより多彩な顔ぶれだった。開会直前にフィリピンから来られたコラソンさんが高血圧で倒れた。インドネシアからのメンバーは会場にインドネシア関係者がいることを警戒してレポートをとりやめた。しかし、台湾や韓国の人たちの報告は、はじめてのことだけに観衆の注目を集めた。珠洲市と南島町からの現地報告も、現地調査が迫っているなか、熱の入ったものとなった。
 終わって宿舎である『働く人の家』に戻り、パーティーまでの時間をさいて、みんなで日本国内を回った感想を述べあった。「日本では、地方においてもそれぞれしっかりした反対運動があって、見習うべきだと思った」「原発PR館など公園のように美しい。私たちの国でも、今後こんなソフトなやり方で反対の声をつぶそうとしてくるだろう」「六ヶ所は軍事基地とあまりにも近く、たいへんな核基地がつくられていると感じた」など興味深い感想が語られた。

そして交流会。名古屋滞在中はすべての食事を実行委員会が受け持ったが、この日は圧巻。インドネシア料理、インド料理、珠洲や芦浜からとどけられた魚介類など、国境を越えた料理が並べられた。名古屋在住のフィリピン女性の美しい民族舞踊や、にわかのゆかた姿での炭坑節、韓国の踊り、そしてひとみちゃんのコンサートなど、夜更けまで歌い、踊り、飲み、話した。また、小規模ながらアジア女性交流会も持たれたのだ。
 最後になってしまったが、通訳の方々に心から感謝したい。国際会議の成否は通訳にかかっているとはわかっているつもりだったけれど、事前の資料はそろわないし、予定は突然変わるし、ほんとに最後までよく投げ出さずにつきあってくださったと思います。いまさらながら、日本の国の閉鎖性、島国根性を思い知った毎日でした。これは、自分のこと。まったく、どうすればこの言葉の壁を越えられるのでしょうか? とはいえ、アジアが近くなった。熱い思いをありがとう。

  
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