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Gコース
福岡、水俣、串間、大分


ハードスケジュールで
ごめんなさい
福岡・水俣

小坂 正則
(脱原発大分ネットワーク)



 九州に来た韓国からのお客さんは女性ふたりです。盧恵景(ノ・ヒェキュン)さんは教師で、労働組合をつくったことが理由で首になっている1500人の内のひとりだそうです。もうひとりは金斉南(キム・ジェナン)さん。20人くらいの反核自然保護運動のリーダーで、ソウルに事務所と小さなお店を構えているとのこと。金源植さんにいわせれば、彼女こそ将来の韓国の反原発運動を背負って立つ人物だそうです。
 九州に来るメンバーは2転3転してぎりぎりまで決まらなかった経過があり、「九州には若い女性をふたり送るから」という大阪事務局の伝言をそのまま大分の仲間に話したら、「若いだけは余計だ」と女たちから叱られた。でもふたりともとても素敵な女性だった。
 台湾からは自然保護連盟執行委員の邱芳州(チョウ・フンチョウ)さんと新聞記者の林周龍(リン・チョウロン)さんのふたり。
 28日に福岡農民会館に泊まり、株主総会事前打ち合わせのために集まった『電源開発に反対する九電株主の会』のメンバーと交流をした。
 翌日は九電株主総会を見学してもらい、午後は福岡交流集会、夜は熊本集会へバトンタッチした。そんなハードスケジュールに文句もいわず4人ともつき合ってくれた。熊本集会は水俣病患者さんの坂本しのぶさんが呼びかけた集会だった。



アジアに
最も近い九州から
串間

竹下 主之
宝蔵 俊二
青木 幸雄
(串間実行委員会)


 6月30日の朝は九州に大雨洪水注意報。水俣から串間に向かう7人の方々には気の毒な天候であったが、約束の4時には雨もあがり関係者が出会うことができた。通訳のふたりと九電株主総会から続けて参加いただいた鹿児島の久保さんたち3人もそろって、串間原発の予定地と見られている荒崎地区を対岸の一里崎より見学。「ここもやはり風光の素敵なところなんですネ」と、異口同音の感想となった。
 串間での集会には80人以上の参加者があり、報道関係も多数熱心に取材していた。野崎さんの進行で実行委員会の竹下のあいさつに続き、韓国の状況についてスライドでの説明。台湾からは解説つきのビデオで報告がされた。参加者の熱心な質問などで盛りあがり、知られることの少なかったアジアの原発と日本のかかわりが関心を呼び、充実したフォーラムになった。
 また、宮崎県内各地からのとりくみや鹿児島からの連帯のあいさつ、そして水俣病患者の浜元さんの訴えも心に響き、これらは参加者の心をひとつにしてくれた。終了後の交流会では、竹下宅に寄った20名ほどの参加者で話がはずみ、心のなごむ会となった。宿泊は日南海岸にある宝蔵さん宅で、ここでもまたまた話がはずんだそうだ。今回のフォーラムで、最も身近かなアジアの人たちとの、より一層の交流を深め、学び合うことの大切さを教えられたことは、私たちにとって大きな収穫となった。



アジアの民衆ネットワークを
大分

小坂 正則
(脱原発大分ネットワーク)



あかつき丸から世界が見えて来た
 大分の反原発運動のメンバーは、それぞれがいろんな市民運動にかかわっている。ゴルフ場問題も、子どもの人権も、有機農業も、女性の自立も、根っこはみんな同じ。自分たちの問題を自分たちで決めるという民主主義の問題だ。そんな私たちが3年ぐらい前、日米軍事演習反対の現地行動からPKO反対運動をやるなかで、「アジアの仲間が、本当は何を望んでいるのかという民衆レベルの対論を私たちはもっていない」。こんな議論が交わされてきた。アジアの民衆ネットワークをつくることが急務だった。
 そこに「あかつき丸」による返還プルトニウムの問題が起きた。私たちは48時間ハンストをやり、初めて国際的な共同の闘いができた。プルトニウムは搬入されたが、国民のなかにこの問題を考えるきっかけぐらいは提起できたという、何だか自信がついた。日本がプルトニウムを持つことで、もはや反原発と反核の垣根はとり払われてしまったとも思った。反核運動の主人公はわたしたち反原発派だという自負心だ。
 まずアジアに友人=同志をつくること、その友人と日常的に連絡をとり合っていくこと、そのための足掛かりとして大分集会を企てた。

交流集会と『大分声明』
 交流集会はたくさんの経費がかかるため、県教組や高教組などの労組の支援も受けた。集会のなかで参加者の女性が、「韓国のみなさんには、私たちは言葉に尽くせないほどのひどいことを過去にしてきた」と発言したら、通訳のボランティアで台湾人のRさんなどは、通訳の域を脱して「台湾に対する過去の残虐行為も忘れてはならない」と自分の思いを言ってくれた。
 韓国の報告のなかに、「あかつき丸」の入港に対して日本大使館前で抗議しているスライドがあった。私たちがハンストをやっているとき、韓国でも同じように闘っていたのだ。本当にうれしかった。大分からは、蒲江原発反対の運動を高橋直子さんが報告した。
 最後に『大分声明』をみんなで確認した。その中身は、これから3国の反原発運動は、ともに自分たちの問題として連帯して闘うということと、次のアジアフォーラムには必ず大分からだれか代表を送るという約束だ。
 その夜は、ささやかなお別れパーティ。やはり酒が入るとがぜん元気になるのが大分の仲間である。筆談や片言英語で深い友情を誓いあった。反原発運動は近ごろ元気がないとよくいわれるが、久々に元気をもらってみんな意気盛んになった。今後の活動を、乞うお楽しみに。

  
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