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Dコース
関西電力株主総会、美浜、珠洲、羽咋


インドネシアに
原発を輸出しないで
関西電力株主総会〜美浜

田代 牧雄
(R−DANネットワークつるが)

佐野 雅哉
(関西実行委員会)



6/29関西電力株主総会

 6月29日、インドネシアのナナ・スハルタナさんとウェッブ・ワーロウさん、それと韓国の劉永礎(ユ・ヨンチョ)さんを含む私たち一行は、大阪万国博会場での関西電力の株主総会の会場前で抗議行動を行なった。現在、進められているインドネシアへの原発計画は、関西電力の子会社ニュージェックが現地で可能性調査を行なっている。このようにインドネシアへの原発輸出に加担している関西電力の経営陣に対して「最悪の公害輸出をやめろ」とインドネシアからの参加者は訴えた。この声はスハルト独裁政権を支えている日本に対しての怒りでもある。経営陣や原発推進側を含め無関心な大株主の反応のなさに、参加者の怒りは爆発した。
 一方、韓国からの参加者は、プルトニウム大国への懸念を表明した。かつての侵略戦争の加害者である日本が、PKOで海外派兵を復活させ、いままた、原発推進によりプルトニウム大国への道を歩みはじめたことに対する強い警告をこめた抗議であった。
 彼らにとっては、日本企業の冷徹さや悪どさは、痛いほど身に染みているのである。韓国の彼は、これら無反応・敵意をこめた目で睨んだ経営陣・株主について「ロボットのような人間を見た」と、このときの模様をその後珠洲での交流会でみなの前で語った。それは、株主総会へ参加した珠洲の人々と同じ感想であり、珠洲で闘いを続けている人々の共感を集めた。
(佐野)

福井の原発集中におどろく
 横殴りの激しい雨風に打たれ、ずぶ濡れになりながら美浜原発「もんじゅ」を案内した。狭い敦賀半島に7基の原発がひしめいていることに驚き、この地に住む住民への健康被害、環境影響などの質問があいついだ。その後、食事(日本でいままで食べた弁当のなかでいちばんうまいとか‥‥‥)をとりながら自己紹介や交流を行なった。交流会には、通訳のために急遽駆けつけてくれたR−DAN京都のふたりほか、県内外から10数人が参加した。
 交流会では、地元美浜町の松下さん、小浜の中島哲演さんから現地の状況説明があった。
 アジアの方の関心事は、どんな甘言で原発が持ちこまれたのか、原発が建設されて地域はどう変わったのか、また最大の関心は、放射能による影響であった。それはアジアに原発が持ちこまれるとき、必ず「放射能は出しません」式のかつて各地で行なわれた原発の安全宣伝が行なわれるからである。
 通訳を介しての話であり、突っこんだ話はなかなか難しいのだが、日本の原発や核に対しての彼らの質問は深夜まで続いた。
(田代)



デモに参加。
自然は素晴らしい
珠洲

野上 明人
(北野進-石川県議秘書)




 到着後のあいさつもそこそこに、迎えの車に乗りこんでさっそく珠洲へ。途中時間がかかり夕食はお預けにしてそのまま高屋でのデモと集会に合流した。
 当初インドネシアのナナさんとウェッブさんは、マスコミのカメラに過剰な反応を示した。理由は、日本でのこのような活動がインドネシア当局に知れると、即監獄行きとのこと。実際ひとりの友人が現在拘留中。戦前日本の治安維持法の時代と変わらないようで、集会のひとつも開くことができないと語った。
 そんなふたりは、高屋周辺の景色のよさ、特に海の美しさにとても感激し、生活臭のする大勢の人々がほとんど官憲の規制も受けずにデモ行進や集会をしているようすを見て、信じられないといったようすだった。韓国から来た劉さんは、にこにこ楽しそうだった(一行は能登で触れた親切やおもてなしに、たいへん感激していました)。
 交流会は、受け入れ代表の樫田さんのあいさつ、フォーラム参加者の自己紹介のあと食事をとりながらざっくばらんな話の輪があちこちにでき、韓国やインドネシアの状況や珠洲での闘いを交流しあった。翌日は、木の浦・狼煙・寺家・陶芸センター・蛸島漁協と海沿いに観光ルートを巡り、珠洲市役所での「珠洲原発白紙撤回要求」の申し入れに立ち会い、抗議を表明。



発電所であれ爆弾であれ
核は核
羽咋

大窪 祐宣
(羽咋郡志雄町 専勝寺)



 日本語が通じない人たちを我が家に迎えるのは初めてのことで、いちばん興奮していたのは子どもたちでした。言葉や生活、肌の色の違いを興味を持って豊かに受け入れていく次の世代にたのもしさを感じました。
 今回の交流では、様々なことを教えていただきましたが、特に韓国から来られた劉さんの話が心に残りました。
 韓国では、国側が原子力発電所と呼びたがるのに対して、劉さんたちの運動では核発電所であるという位置づけを譲らずにいることを聞きました。それがたとえ発電所であれ爆弾であれ核であることに目を据えていくことを改めて教えられました。平和利用かどうか、技術的に未熟かどうかという土俵に引きずりこまれないためにも、核という1点をはずしてはいけないと思いました。また、核という1点で発電所ということだけの問題、あるいは現地であるということだけの問題にとどまらずに、世界中の問題として連帯していけるのです。それぞれの地域で、世界中の非核のために頑張りましょう。



ノープロブレム!

佐野雅哉
ノーニュークス・アジアフォーラム関西



 英語と韓国語ができない私にとって、Dコースを海外ゲストと一緒に回ることが決まったときの不安。みなは「ボディーランゲージがあるじゃないか!」と笑ったけど、いまでも忘れられないことのひとつです。おかげで「ノープロブレム、ケンチャナ、ティダッ・アパアパ」なる非常にファジーなアバウトなアジア的な素晴らしい言語を使えるようになりました。
 それと、行程も終わりに迫った能登・羽咋で運動論のあり方を巡ってインドネシアから来たウェブと激論になったのです。その時は、通訳がまったくなし。明け方4時まで眠たい目を擦りながら英語の辞書をめくりつつ、「思いを伝えたい」でも細かいニュアンスが伝わらない。お互いイライラして最後は爆発、大声となったが、夜は明けて時間切れ(彼は、資本主義の基本的矛盾点を「改革」せねば原発はとまらないと。私は、珠洲では状況が違い「革命」と切り離してでも勝てるんだと)。布団をひきながら寝床についた私たちは悶々としていたが、彼が私の手を握りしめひとこと。「No Problem」。
 誰にもこの感動は伝えることができないけれど、本当にこのときは嬉しかった。専門用語などの難しい話は簡単にはできないけれど、このようにずっと触れ合っていると言葉が通じなくともなんとなく心で通じ合うことができる。支配者がつくった「国境」は越えられるのだということを確信できたようでした。

  
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