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Bコース
茨城、福島、女川


タイの現状は
昔の東海村ににている

松丸 健二
(プルトニウムいらない茨城アピール)



施設の見学調査
 6月29日の茨城交流会には、海外から3名が参加した。タイのウィトゥーンさん、台湾の李秀容(リー・ショウロン)さん、韓国の金範泰さん。さっそく原子力施設を見学調査に出かけた。
 茨城の原子力施設は大きく2地区に分かれている。大洗地区には動燃と原研の研究施設、東海地区には日本原電のふたつの商業炉と原研・動燃の施設群が海岸沿いに林立し、内陸に向かうと核燃料工場と核融合研究施設が立地されている。動燃大洗工学センターは高速“増殖”実験炉『常陽』が主要な施設。ここには「あかつき丸」輸送センターが置かれ、兵器級プルトニウムが約40キロ(槌田さんの推定、『常陽』使用済みブランケット燃料中にある)が存在するのだが、残念ながら同施設には行けなかった。
 東海地区では日本原電のPR館、県のPR施設と動燃のPR施設を見学した。実行委員会からの通訳のひとりは地元自治体職員で、企画課に属し、かつて原子力担当であったことから、各施設でのとおりも良かったという。

住民運動との交流集会
 夜のプログラムは水戸市民会館に移っての交流集会。自治労の仲間や県内の市民運動活動家が50人ほどが集まった。
 まずは地元での活動についての報告を行なった。自治労からは県本部書記長の関根さんから防災問題についての報告、東海第2原発訴訟原告団の相沢さんからは、東海の施設群についての概要と原発メーカーでもある日立製作所の企業城下町にはさまれた東海村の事情などについて報告がなされた。
 海外参加者3名からの報告を受け、参加者全員によるディスカッションに移った。
 ウィトゥーンさんからは、タイの現状は東海村に研究施設が立地しはじめるころの事情と似通っており、たいへん興味のもてる話が聞けたとの感想が話された。すでに原発が稼働している台湾、韓国からはやはり防災問題についての質問が発せられ、特に自治体の対応や組織労働者のとりくみに興味を持ったようだ。また、金さんはプルトニウムと核武装問題についての韓国内での論議を紹介し、地元での注意を喚起した。

台湾、韓国ではもっと人口集中地に
 地元参加者からの感想は、3ヵ国の原子力事情を今回のフォーラムで初めて知ったこと、特に台湾と韓国で、人口が集中している地域に原発が立地していることについては、初めて知った人が多かったようだ。東海原発は日本では最も人口集中地に立地しており、欧米の立地基準ではとうてい建設できない地域であるという知識を持っていたため、私たちには「東海が世界中でいちばん人口密集地にある」という誤った認識があった。今回、アジアに目を向けたことで、この誤りを初めて正すことができた。まず、これが今回の地元交流会での第1の成果だったのではないだろうか。
 第3部は宿泊所近くの居酒屋に移って。それぞれがどんな組織で活動をしているか、そこに所属している市民はどういう職業が多いかということや、女性の比率はどうかという話題、またプルトニウムと日本の核武装についての議論にも華が咲いた。



体いっぱいの
元気をもらった
福島

佐藤 和良
(福島実行委員会)



私たちの抱える問題

 梅雨空に心もつい湿りがちになる日本の6月。アジサイの花に慰められ、茄子やきゅうりの勢いに夏の訪れを感じている。そんな折に、南からとっても暖かな、いのちの風が吹いてきました。
 6月30日、アジアからのゲスト4人が福島原発の現地を訪れました。タイのナンティアさん、ウィトゥーンさん、台湾の李秀容さん、韓国の金範泰さんたちです。それに通訳・随行の慎さんと田口さん。アジアからのゲストを脱原発側が福島現地に迎えるのは初めてのこと。歓迎のあいさつと握手をかわす。まるで古い友人に再会したような懐かしさを感じる、不思議だな。
 全国屈指の広い県土を持つ福島県。80キロにおよぶ海岸線に原子力・火力発電所が林立する巨大電源地帯。北から双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町の4町に東電福島第一原発の6機、同第二原発の4機の計10機、総出力909.6万キロワットの原発がたち並ぶ。まさに「原発銀座」です。
 いま、東京電力は、双葉町の東電第一原発敷地内に、135万キロワット2基の増設を狙っています。89年の第二原発3号機再循環ポンプ大破損事故以来、原発との共存という立地町住民の意識も変化し、世論調査では双葉町民の多数が増設には消極的態度になっています。周辺市町村も、相馬広域市町村圏議会が増設反対の意見書を採択。県に対しては反対の署名や請願も提出されたことから、福島県も増設には慎重姿勢を示しています。
 福島原発の抱える問題は、私たちの身の丈をはるかに超えています。89年第二原発3号機再循環ポンプ破損事故、92年第一原発2号機ECCS作動事故など、老朽化のなかで大事故寸前の事故が相次いでいること。第一原発で定期点検中に放射線被曝し、慢性骨髄性白血病で死亡した労働者に対して、労働省が国内初の労災認定を行なうなど、国内原発最悪の労働環境であること。核のごみも溜まり続け、第一原発で24万本ものドラム缶に詰められた放射性廃棄物が貯蔵されていること。再処理路線のもとで、MOX(プルトニウムとウランの混合酸化物)燃料を福島原発で使おうとしていること、などです。こうした状況のもとでの交流でした。

汚染はここでも、霊光でも
 出迎えの4人とさっそく、福島第二原発が見える富岡海岸の護岸堤に移動。89年の3号機再循環ポンプ破損事故を説明。韓国の金さん「環境に放射能は漏れたのか?」「環境には漏れなかったが、金属片などが入った炉心の洗浄、点検で労働者が大量に被曝した。炉内にまだ未回収のものがあり、安全な状態ではない」と私。韓国霊光原発での放射能汚染は、被曝労働から周辺海域にも広がり、打撃を受けた漁業の保障問題になっていると、通訳の慎さんが説明してくれる。福島でも福島県や東電が実施している環境放射能測定の結果からでさえ、アイナメなどの魚介類からセシウム137が検出されていることをつけ加える。昼食時近くのレストランで「何を食べようか」。「刺身」という言葉をチラリ聞いた金さん「とんでもない、ここでは『刺身』は食べられない」。

福島第一原発へ
 一般コースで施設を見る。東電の広報担当に質問が飛ぶ。「温排水の排水量は? 周辺海域、漁場への影響は?」「建設時に住民の反対は?」「使用済み燃料はどこへいくか?」「防災対策は?」などなど。「第一では第二原発3号機のような事故は?」という質問に、東電は何と「ありません」という返答。去年の初めにあいついだECCS作動事故など、まるでなかったかのように。
 次に訪れたのが第一原発から排出された温排水を利用している福島県栽培漁業センター。先ごろ前所長がヒラメの稚魚を「横流し」して問題になった施設だ。アワビ、ウニ、ヒラメ、アユなどの魚介類を養殖して各地の漁協に出荷していると聞いて、参加者はビックリ。

夜の交流会
 地元双葉の人、いわき、郡山からも参加して40人が集まってくださいました。タイのおふたりは、タイの6基の計画には日本資本の原子炉輸出があり、原発建設計画に反対するために少しでも日本での建設の教訓を得ようと積極的に住民の反応を参加者に質問。「経済発展は原発を必要としないということを日本は示してほしい」と台湾の李さん。韓国の金さんは、スライドで韓国の高揚する運動と霊光原発による子どもや家畜への放射能被害の実態を報告、民衆連帯の大切さを訴えました。
 「アジアへの日本の『原発輸出』をどう思うか」という問いに、先の侵略戦争への謝罪も責任も補償もいい加減にしてきた日本政府とそれを許してきた日本人のひとりとして、心が痛みます。再び国際貢献の美名のもとに、軍隊をPKOとしてカンボジアに出してしまったこと、その背景にある原発輸出を含む経済侵略の実態、日本での反対運動を広げ強めねばと、重い宿題をもう一度確認させられたようでした。
 わずか12時間の時間の共有でしたが、とっても素晴しい時間を分かち合えたような気がします。とても苦しいときもある。でも歩き続けよう。こんなに手をたづさえあえる人たちに出会えたのだから。心からそう思える、からだいっぱいの元気ありがとう! これを機にアジアの人々とのネットワークを始めていきます。



今後はじっくり
時間をかけて
女川

阿部 康則
(女川原発差し止め訴訟原告団)



町長との会見
 前夜福島での交流を終えた一行は、7月1日、女川町の隣接市である石巻の市役所記者クラブで会見。東京アジアフォーラムでの決議などを紹介して「アジア非核地帯」づくりへの理解を求めた。翌日の地元紙は、この会見を一面で大きくとりあげた。
 記者会見後、一路女川ヘ。事前の会見申し入れに多忙を理由に拒否していた須田町長は、急遽予定を変更し、町役場町長室に私たちを招き入れた。
 「原発周辺でガンや放射能障害が多発している」(台湾・李秀容さん)「次世代のために危険な原発とめて」(韓国・金範泰さん)という切実な訴えに、原発推進町長は電力広報マンに早変わり。「原子力推進という国の政策の一翼を担う」とどこかで聞いたことがあるようなきな臭い発言をくり返した。こうした町長の空威張りも、実は反対派を無視しえないという気の弱さからきており、アジアの人々の鋭い指摘にドギマギする町長であった。
 夜は、町内の集会所で長年反対運動を続けてきた女川・石巻の住民、労働者との交流会が行なわれ、運動の裏面からの突っこんだ話し合いが行なわれた。

「なぜもっと闘わないのか!」
 韓国の金さんから、1号機が稼働中、2号機が増設工事中、いままた3号機が増設準備中という女川の現状報告に対して、腹立たしげに「なぜもっと闘わないのか!」と叱咤の指摘があった。
 「電力会社が海や土地を買収する際の卑劣な手口の数々、行政圧力などによる反対派の切り崩しなどなど、ありとあらゆる手段で原発推進派は強行してくる」と、67年原発建設計画浮上以来闘い続けてきた阿部宗悦(女川原発差し止め訴訟原告団代表)が苦渋に満ちて答える。「1基でも原発建設を許してしまうと、地域は“原発城下町”となって電力・原発に隷属化され、もの言えぬ民とされてしまう」と警告をこめて報告。しかし「原発廃棄の闘いは決してやめない」と最後に締めくくった。

あまりのハードスケジュール
 翌日、一行はイワシの大量水揚げで活気づく女川魚市場を見学。生きているようなイワシの氷詰めの土産とともに、一路名古屋へと女川をあとにした。アジアのみなさんは、あまりにもハードなスケジュールに疲れ切っている様子。今回は顔見せ交流に終わった観があるが、今後はじっくり時間をかけて、互いの歴史と現状を知り合い、さらに運動・闘いの交流、そしてアジア共同行動の実現まで進めればと思う。

  
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