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Aコース
青森、函館、三多摩


「戦争と核燃」
をテーマに交流

道祖土 正則
(弘前、核に反対する会)



6/28 弘前
 4日間の青森、函館のフォーラムは韓国から金承国さんと田在鎮さん、台湾から林碧堯さんと郭建平さんを迎えた。初日は弘前。
 集会には40名ほど集まり、韓国の安眠島や台湾の蘭嶼島の話を聞くのはみんな初めてのことなので真剣に聞き入っていた。スライドを使っての報告はとてもわかりやすく、両国の闘いを知ることができた。そして、話を聞けば聞くほど、安眠島や蘭嶼島で起きていることは六ヶ所ととてもよく似ていると思った。

6/29 三沢・六ヶ所村
 三沢基地は米軍のF16、自衛隊のF1戦闘機が離着陸をくり返していた。三沢空港の屋上の歓送迎用デッキからは基地のようすがよくわかり、最近設置された米軍の宇宙軍のドームも見え、朝鮮半島を見据えた最前線基地だということを実感させられた。小川原湖畔から情報軍事施設「象の檻」を見て、天ケ森射爆場を通って六ヶ所に入った。
 新納屋の核燃に反対する人の場であるオ−プンテントでは、小泉金吾さん、中村福治さん、中村信次さんや六ヶ所に住みついた人も含め10数人が迎えてくれた。さっそく、韓国、台湾の人も手伝って全員で風力発電をたてる。見事、電気がつく。風車が回る下で車座になって昼食を食べる。戦後、中村福治さんが六ヶ所の泊で知りあった韓国の人から教わったというアリランを歌いはじめた。みんな一緒にアリランを歌った。感激、感動!
 低レベル廃棄物の荷揚げ場のむつ小川原港、再処理工場、ウラン濃縮工場を見る。三沢基地のすぐ近くに核燃があること、そして核燃敷地の広さ、工場の規模に驚いたようだ。夜の交流会の後、泊の海辺で交流会の続き。まっ暗な海辺で歌を歌う。

6/30 むつ
 「浜の家」、原船「むつ」に驚いたようだった。崖をおり浜に立って、「むつ」を手の届くぐらいのところから見た。韓国、台湾では「むつ」のことは知られていない。「日本の反原発は負けてばかり」と思っていたのかはわからないが、「浜の家」が全国の200名ものカンパで建てられたこと、20年にわたる反対運動で廃船に追いこんだことなど、むつ闘争の勝利に感動していた。
 大間鉄道の跡のトンネルに立ったときの衝撃は、はかり知れないものである。50年以上前に造られたトンネルは一度も使われず、汚れもなく、数年前にできたようだった。だが、このトンネルの壁のなかに何人の日本人、朝鮮人が埋められているかわからないという説明に声もでなかった。

7/1 函館
 立待岬の断崖に立つ。かつて多くの朝鮮人女性が身を投げたという断崖には、ニッコウキスゲが咲き乱れていた。下北半島も函館も、日本の侵略の歴史をいまに引き継いでいる。日本の戦争責任に対する謝罪と清算がされないまま、下北半島にアジア地域に核の脅威をもたらす核燃料サイクルが建設されている。

反省・通訳の問題
 青森、函館コ−スは「戦争と核燃」というテ−マどおりにできたと思う。しかし、問題がないわけではなかった。移動、交流会の連続で時間がなかった、われわれの力量からしては、お金がかかりすぎるのではないかなどなど。
 だが、何といっても通訳の問題。韓国の通訳は東京集会からずっと一緒なので不安がなかった。通訳は重要であり、「台湾の人は英語でいいから、なんとか弘前で探してよ」というわけにはいかない。結局、千葉と北海道の人にお願いした。あしかけ5日間、台湾からのふたりにひとりずつの通訳という一見ぜいたくであるが、これが成功の理由だったと思う。同じ通訳が一緒にまわることで言葉だけでなく気持ちも心から通じあうようになった。通訳への信頼が海外ゲストのみならず、受入れ側にも安心感と親近感を与えた。

ゲストの感想
 韓国 「三沢、六ヶ所の風景が安眠島そっくり」(昨年韓国へ行ったとき、「六ヶ所と同じだ」を連発してひんしゅくを買ったが、やはり同じなのです)「三沢基地と朝鮮半島、下北、函館の歴史、核燃、知らないことが多く実際に来てみてよかった」。
 台湾 「六ヶ所の置かれている状況は台湾でも同じ。反対している人の心も同じ。青森、函館に来て良かった」。
 全員 「核燃は想像以上。力を合わせてとめなければ」「青森、函館の食べ物はおいしかった。天気もとても良かった。また、来たい」とのことでした。
 フォ−ラムは成功したが、終わったわけではない。全力で六ヶ所村再処理工場をとめよう。PKO−核燃−核武装をとめてこそフォ−ラムの成功といえる。



核兵器の話も、太陽光の話も

鷲尾 由紀太
三多摩、フィリピン・カサナグの会



 三多摩(東京西部の郊外)では7月3日に金承国さんと田在鎮さんを韓国から迎えて集まりました。反原発だけでなく、アジア、日韓にとりくんできた人など70人が集まりました。
 金さんは、日本のプルトニウム政策が朝鮮半島を含めた軍事的緊張を高めていると指摘。「韓国の原子力開発は韓国の核武装につながるのか?」という質問には「韓国はアメリカに従属している。アメリカは韓国の核兵器保有を許さないだろう」との答。(終了後の交流会で、「おんなじ理屈で日本の核武装はありえないっていう人もいるんだけど‥‥」と聞くと「そうかもしれないが、そうでないかもしれない」といっていました)
 田さんは安眠島について話してくれました。「金泳三(キム・ヨンサム)政権になって強い弾圧はなくなったが、原子力推進の政策はちっともかわらない」。
 通訳が帰ってしまったあとも、カタコトの英語と漢字の筆談で「自分は安眠島の生まれだ。安眠島を愛している」とくり返していたのが印象的でした。
 会場からは、電力の浪費をやらない方法や太陽光などの代替エネルギーについての意見や質問があいつぎました。「電力を浪費する社会になったら大変ですよ」という日本の教訓が語られました。韓国ではそういう問題はあまり考えてこなかったとの話。お互いの問題意識が率直に出会うことができた、と思います。

  
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