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大阪レポート


誰も経験してない
試みの連続
アジアの都市
大阪は燃えた

とーち



 「枠を超えて」という都合のいい表現があるが、関西の93年ノーニュークス・アジアフォーラムの活動についていうならば、「まじめなとりくみの枠を超えた活動」と呼べるのではないかと思う。その軌跡をふりかえってみる。

はじまり
 ノーニュークス・アジアフォーラムというのをやろう、という呼びかけによって集まった人々で関西実行委員会ができた。これまでにも、すでに韓国の反核資料情報室の金源植さんなどとのつながりがあったためか、その意図や目的について違和感はなく、まるで、ずっとそのメンバーで運動をやっていたかのように実行委員会は進められた。
 その反面、いったい、アジアフォーラムとはなにをすべきなのか、日本はどうしていくべきなのか、というような根源的な問いについては、結局いまにいたるまで十分には議論されなかったように思う。そういった、「めんどくさい」議論をせずとも実務をこなしていけるのが、関西のスタイルともいえなくはないが。

とっかかり
 アジアの原発とひとくちにいっても、その経済状態をはじめとしてそれぞれの国情により様々な状態にある。私たちは、それらを知ることから始める必要を感じ、92年の暮れからとりくみを始めた。つまり、各国の国情や原発についての勉強会を月に1回のペースで行なったわけだ。
 毎回ゲストを招いて行なうこの勉強会をきっかけとして、私たちは多くのことを学んだ。ゲストは実際に各国へ行った者も多く、日本がいかにアジア各国へ悪い意味で影響を与えているか、ということをあらためて知った。そしてそれは、戦前から現在まで、形態を変えながらも一貫してアジアの国々から搾取を続けてきたこの日本を、私たちが見つめ直すきっかけとなった。

ひろがり
 勉強会を重ねるにつれ、原発問題にこだわらずアジアの問題についてとりくんでいる人々と出会う場を持ちたいという意見が出てきた。そして行なわれたのが5月29日の「アジア食いだおれまつり」であった。アジアの様々な食べ物屋台がならび、アジアの音楽が演奏され、アジアにとりくむ運動についてアピールが行なわれる。アジア食いだおれまつりは、そんなスペースだ。
 このまつりに参加した人々は、この後のアジアフォーラムの中心的な役割も担っていくことになる。原発の運動という垣根を超えて人々が出会えたことは、アジアフォーラムの大きな収穫だった。

あっ、いそがしっ
 「なんしか、吉田さんととーちの歌だけでもええからねー」。民衆フェスティバルの仕掛人・ぺんぎんさんからは、最初、そう聞いた。「それなら、なんとかできそうだ」と思ったのが運のツキだった。
 最終的には、この企画「アジア民衆フェスティバル」は、プロも含む運動歌の一流ミュージシャンを集め、韓国からも歌手のキム・ソンマンさんを招き、関西でも近年に類を見ない充実したコンサートとなったのだ。
 このようにアジアフォーラムを機会にして、まるで、きっかけを探していたかのように、たくさんの企画が派生・発展していく。
 私もスタッフ、出演者として奔走した7月3日の「アジア民衆フェスティバル」。反戦・反核・人権をキーワードに、現代の原発や従軍慰安婦について、突き刺すような作品を描く韓国の女性画家を初めて招き、1週間にわたって開かれた「キム・ヨンニム展」。時期が少しずれこみ独自の企画として行なわれたけれど、「韓国のボブ・ディラン」とも呼ばれ、現代韓国を代表する抵抗の歌の数々を発表し続けるチョン・テチュン氏を招き行なわれた8月6日の「チョン・テチュンコンサート」。
 これらのどれひとつとっても、それだけで十分単独の企画としてとりくむに値するものである。さらに、それに加えてアジアフォーラムのバッチやTシャツの作成など、雑多な活動も数知れず行なわれた。
 それが本来の関西集会に加えて、一度に進行していったのだ。誰ひとりとしてすべての全貌は把握できていない、という恐怖の状態のまま日にちはどんどん過ぎていった。

スライドのこと
 アジアフォーラム当日が目前にせまり、ただでさえ忙しい6月に入ってから、さらに新たな企画が着手された。ノーニュークス・アジアフォーラム関西集会で上演するスライドをつくろうというのだ。
 アジア各国の歴史と原発の現状の紹介を、BGMをつけたナレーションでテープに吹き込んでおく、という本格的なものである。写真収集、写真選定、資料収集、シナリオ作成、BGM作成、スライド撮影、ナレーション録音、さらに海外ゲストのためのシナリオ英訳と、作業は数知れずあった。
 たった5分の立ち話の時間も惜しむような状態のなかで、新たな企画を始めるのは無謀ともいえる。しかし、私たちはなぜか、このスライドをつくらずにはおれない気持ちがしていた。

当日
 関西集会当日、私たちは海外からのゲストを歌で迎えた。各地交流で疲れているにもかかわらず、各国からの力強い報告が続く。ことがらとしては、学習会で知っていることでも、あらためてその国の人から話を聞くと、実態をもって理解できる気がした。
 スライドの手違いもあったけれど、多くの方から共感の言葉をいただいた。
 私たちが海外からのゲストと交流するにあたって、どうしてもはずすわけにはいかないことがあった。日本がアジアの国々を侵略してきたこと、そして今も経済的に、また原発や公害輸出という形で侵略を続けていることである。
 口に出してはいいにくいこれらのことに触れないわけにはいかない。きっと、スライドはそれを確認し、伝える方法のひとつでもあったのだ。

バイバイパーティ
 それぞれの企画は、様々なハプニングをともないながらも順調に進んでいった。7月4日、関西集会の後に開かれたバイバイパーティーは、海外からのゲストを迎え楽しく開かれた。
 この日にみんなで歌うために企画したといっても過言ではない、アジアフォーラム・テーマソングを各国語で歌った。多くの国の、多くの人と、多くの言葉であいさつをかわし、多くの思いを伝えた。この盛り上がりは、私たちのとりくみと今後の展望が間違っていないことの証しである。
 長い準備期間だったけれど、アジアフォーラムの約10日間はまたたく間にすぎた。しかし、その約10日間の思い出は数知れない。バイバイパーティーで歌われた数々の歌や交わした言葉は、これから始まる原発を許さないアジアの人々との歴史の幕開けにふさわしいものだ。

絆は続くよ
 関西ではその後も、金源植さんや、同じく韓国反核資料情報室の成楽峻(ソン・ナクチュン)さん(彼はアジアフォーラムのときはパスポートが出ずに来日できなかった)が訪れて講演会が開かれたり、逆に日本のメンバーが韓国や、台湾、インド、インドネシアへ行ったりと、アジアフォーラムをきっかけとして交流はますます広がっている。
 このこと自体すでにアジアフォーラムの成果といえるが、こういった交流で得たことがもっと広がることをこれからは期待したい。そして、アジアフォーラムの今後の新たな展開にもますます多くの方に賛同して欲しい。
 同じ思いを共有できた私たちの、新たなとりくみが、もう始まっている。




  
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