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塩寮の人たちはこんなふうに話してくれた
〜台湾・第4原発予定地を訪れて〜


  2月12日、第4原発予定地・塩寮を訪れた。台北市会議員の寥彬良さんの呼びかけで、地元の塩寮自救会の事務所には50人近い住民が集まってくれた。昨年10月にあのような暴力的な形で国会が建設を決めたことで、地元の人々はどのように感じているのだろうか。寥彬良さんの司会で集会が始まった。

「台湾電力はずっと、原発は安全だと言ってきた。でもそれが真っ赤な嘘であるということが、今回の放射性廃棄物の問題で明らかになった。原発が電力の問題ではないと分かってきた現在、我々の運動を進める大きなチャンスである」
 
一人の住民がそのように口 火を切ると、みな、堰を切ったように次々と手が上がりはじめた。ある男性はこう発言した。「自分の国で作り出したものなのに、危険で置き場所がないからといって他国に押し付けるなど台湾政府は卑怯だと思う。さらには、そのような管理不可能な廃棄物を生み出すとわかっていながら、原発を台湾に売ろうとしているアメリカも日本も、やはり卑怯で無責任すぎるのではないか!」その他、「原発輸出反対のボイコットの運動を日本、韓国、台湾で同時に始めてはどうか」「どうしても、北朝鮮への廃棄物輸出を止めたい。日本政府からも台湾政府に圧力をかけてほしい」また、「日本ではボイコットなどやって、売国奴、非国民な どと誹謗中傷されはしないか?」との質問も出た。台湾の放射性廃棄物を北朝鮮で貯蔵、との報道がなされて以来、韓国から環境運動家や国会議員などが2回にわたって台湾を訪れている。しかし、悔しくて、そして悲しいことに、この問題はメディアによってナショナリズムの問題に摩り替えられてしまったままだ。最初に抗議に来た韓国人たちが台湾電力職員と新党の構成員によって暴行を受けた末、強制送還されたことなどからもわかるように、新聞やテレビを総動員して、問題の本質は作為的に隠されてしまった。いったいどれくらいの人々がどの程度こういった議論に同調しているのかは定かではない。しかし前日に台中で会った林碧 さんから、すでに環境保護団体が漢奸(=売国奴)という激しい中傷の言葉を浴び続けていることなど具体的な事象を聞き、これが今後非常に深刻な問題になることは感じていた。だからこの第4原発予定地で「台電の前で負傷した韓国の仲間を見舞いにいかなければ」との発言が出たとき、塩寮の人たちが今回の廃棄物の問題に対して本当に深く心を痛めていることに胸をつかれる思いだった。

  そして、「ぜひ自分たちも日本へ行って、日立・東芝に抗議したい」との声が上がった。昨年10月は、やはり数十名の人々がここから台北へ抗議に出向いたという。2日間をともにすごして、あのような結果にはなったけれど、今も塩寮の人たちはあきらめるなんてこれっぽちも考えてはいないんだと感じた。やはり今も彼らは淡々と、これまでどおりの闘志を秘め続けているんだと思う。

  そのあと、寥さんたちとともに予定地へ入った。「いつでも参観を歓迎する」というビラを台湾電力がまいているので、数十名で訪れた私たちを彼らも拒否することができない。多数の警官がゲートにたむろしていたが、じろじろこちらを見ているだけで、誰も付き添っては来ない。すでに以前からあった台電の事務所のほかに、気象観測塔が新しく建てられており、ゲートも二重に増えていた。工事は着々と進められている。ある建設労働者がもらしてくれたことなのだが、汚染された鉄骨などを投棄するための場所が現在整地されつつあった。冷たい雨にぬれながら敷地を一周して外に出ると、すぐそこに貢寮の町並みがあった。こんな近くに人が暮らしているのに。

  塩寮は、日本軍が初めて台湾に上陸した地点でもある。ここを案内してくれた郭さんが、上陸した日本軍がまず住民たちを招集したときの出来事を話してくれた。住民の代表に対して日本軍が日本語で質問するのだが、お互い言葉が通じないので、代表はうなずくばかりだったという。その時「こいつは悪い奴か、殺してもいいか」との質問にとにかく彼がうなずいたために、20人近い人々が殺されたという。郭さんは何度もこの話をして、そのたびに どういうわけか「面白い話でしょ」 と言った。 今回会った年配の人たちのほとん どは日本語を話す。そして日本時代はよかったと回顧する。街にも、日本の漫画や歌があふれていた。 それが、日本の所業が歴史の中で いびつに相対化されたからだとしても。 台湾の人たちが、微笑みながら 私たちを見ている。私たちはその人々に対して死に至る「技術」を売りつけようとしている。そのごみが更に力を奪われた人々を脅かす。空港まで見送ってくれた塩寮自救会の張さんと郭さんの笑顔に、私は手を振るのが精いっぱいだった。

(大阪・宇野田陽子)


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