■記者会見
記者会見の様子。 塩寮の方が発言している。 |
記者会見が立法院で始まった。
まず、議員(民進党らしい)の一人が発言する。つづいて、台北分会の頼さん、そして塩寮の人々が図を使って第四原発近くの断層を説明している。この図は前日に小郭が作成していたものだ。
私の番だ。あらかじめ校正を重ねた北京語の文章を近藤さんに読んでもらいながらゆっくりと話す。
記者会見の様子。 |
はじめに
私は日本のノーニュークス・アジア・フォーラムの奥田と申します。 東海村の事故
9月30日に日本の東海村で起きた事故は、日本で最悪の事故でした。
一つは、経済性が追求される中で起こった事故であるということです。
もう一つは、科学技術庁などの違法な運用を監督すべき部署がまったく役にたたなかったことです。 さらに、情報公開の問題があります。 このように考えるとき、私はこの事故について台湾で詳しく報道されていないことにたいへんな驚きを感じます。なぜなら、日本の原発をお手本にしてきた台湾の原発にも同じことがいえるからです。
台湾ではウラン濃縮は行っていないから関係がない、という意味のことを言っていると聞きました。しかし、問題は述べてきたように個々の技術的内容だけではなく、コストの問題や運用を監督する方法の問題です。 埔里(プーリー) 埔里ではいくつかのボランティア活動を行いました。
日本でも、政府からの被災者への援助は多くはありませんでした。 神戸・埔里・東海村事故・第四原発
私は1995年1月17日に日本で起きた阪神淡路大震災で被災しました。 それまで私は、日本はアジアの仲間とは見ていただけていないと考えていました。日本は、アジアの国々をそして台湾を侵略してきたことに対し、十分な謝罪も補償も行ってきませんでした。だから、日本はアジアの一員となる資格がないと思っていたのです。 しかし、多くの援助物資をいただいたことで、私は理解することができました。政府間の謝罪や保証ももちろん必要です。しかし、人と人とのつながりを築いていくことが日本とアジアの信頼を得る最大の方法なのです。私は、いただいた救援物資をいただきながらそう考えてました。
今、私は援助物資のお返しとして発言したいと思います。今ならまだ間に合います。始めてのアジア間の原発輸出となる第四原発をどうしてもやめさせましょう。
塩寮は台湾侵略の際に日本が始めて上陸した地点です。そのために塩寮には抗日記念碑がありました。私は、その抗日記念碑を悲しみを込めて見つめていました。しかし、このままでは第四原発は、はるかに大きな第二の抗日記念碑になってしまうでしょう。 謝謝 |
議員の方々とも握手をし、帰り支度をする。記者会見に来ているマスコミは多いのだが、なぜかほとんど質問などがない。
会見が終わった後に質問してくるのは、英字新聞など二誌のみ。原発はすでに論点ではなくなってきているのだろうか。
最後の昼食をみんなで食べる。今回は始めてになる普通のレストランでの回るテーブルでの食事だ。
改めて、彼らが元気であることに気づく。頼氏はいいスピーチだったといい、私がオフコース!と答えるとふざけて拳骨を上げた。塩寮の別荘の持ち主の大学院生は感動しました、といってくれた。
今回のように、これからは実際に行動しているみなさんとより交流を持っていきたいと思います。第四原発を止めることは、台湾だけ、日本だけのことではなく、これからのアジアのために必要なことです。
私は最後にそう挨拶した。
なお、このときの記者会見のプレスリリースが以下のURLで読めます。 もちろん、北京語です。 [新聞稿]我們準備好了??--比地震更可怕的核能災害 (環境保護連盟の主張) http://www.teputc.org.tw/issue/nuclear/news/88102001.htm 一位日本友人的關懷 中子彈與用過核燃料的乾式儲存 タイペイタイムス(台湾の英字新聞)の該当記事 これは英語。 |