■塩寮のアパート
その夜は、台湾環境保護連盟台北支部の塩寮のアパートに泊まった。どうも、ここは保護連盟のメンバーの別荘だとのことだが、台北支部は頻繁に塩寮を訪れ、現地の人と交流しているため、まるで台北支部のアパートとなっている。
広さは日本の感覚からすると実にぜいたくだ。一階は例によってリビングとキッチン。合わせて18畳は裕にある。奥にバスルーム。西洋式にバスルームのなかにシャワー、洗面台、トイレがある。ただ、シャワーはお湯が出るには出るが、熱湯と水が2分間隔くらいで交互に繰り返されて出てくるため、使うのが難しい。
後で聞くと、こういう症状はごく一般的で、たらいなどにいったんお湯をためて使うのだそうだ。なるほど。
二階は3部屋あり、8畳から6畳の広さ。それぞれダブルサイズのベッドがある。ゆったりと休むことができた。
塩寮反核自救会の会長。 上に掛かっている額には、第四原発に反対することは孫子を救うこと、という意味。 その下にかかっている子どもの写真がお孫さんの写真。 |
埠頭の建設現場。台電(台湾電力)と柵の支柱に書いてある。 |
■第四原発建設現場
翌日、現在の塩寮反核自救会の会長の釣具屋さんをたずねる。
日本でも、台湾でも合ったが、いつもにこにこしていかにも人のいいおじさんだ。
その後、歩いて海岸へ出た。そこでは台湾電力が埠頭を作っていた。おそらく建設物資を運んだりするための埠頭だと思われる。原発が建設されてしまえば、ここに燃料が、そしてここから廃棄物が運ばれることになる。
すばらしい海水浴場であった塩寮の海岸が無残なすがたとなっている。
そばには溺れた子どもを助けたという学生服姿の英雄の像があった。
午後、第四原発建設現場へ入る。かなり工事は進んでいるがいまだに、原住民族の林さんはいつでも入ることができるのだという。この日は林さんの都合がつかずこられなかったが、塩寮の人たちだけでも入ることができた。おそらく事前に連絡してくれたのだと思われる。
今年の1月に入ったときと同じく、門を入ったところで台湾電力のバスに乗り換える。しかし、前回と違ったの
は、別のバスで7人の人間がついてきたことだ。警察のバスだった。制服も私服もいるが、いずれも警察だと思われる。
台湾電力の職員5人は我々と同じバスにのっている。一号炉の基礎工事はかなり進んでいた。1月のころより、さらにコンクリートの基礎部分が出来てきている。
しかし、実は、地震のために工事はストップしていたのが、この日の新聞で工事の再開が報道されたのだという。しかし、そこには問題がある。鉄筋を組み立てた後、コンクリートを流し込むのだが、鉄筋を組んだ後、1週間以内にコンクリートを流すことに決まっているのだという。鉄筋が錆びてしまうからだ。しかし、鉄筋が組みあがった後、地震のために工事が中断してしまったために1週間をはるかに過ぎてしまった。このため、台湾電力は実際に工事をしている下請け業者に再度鉄筋を組みなおすように指示した。しかし、下請け業者はその分の費用を求めたのだが、台湾電力が応じず、もめていたのだという。それが一転して、錆びた鉄筋をそのままにして、コンクリートを流すことになったのだという。
二号炉はちょうど、1月に見た一号炉のような状態だ。しかし、なぜか端のほうは屋根で覆われている。なにか隠してあるのかと思ったが、上から見える範囲ではとくに問題になるようなものは見えないように思えた。
アパートに帰った後、塩寮の人が炉心の穴のふちに地層が見えるのを指して、堅牢な地盤だといっていたが、このように断層になっている、と話していたのが気になったので小郭と話す。
断層は地層がずれているのを指すので、あれは単に地層が見えているだけだ。そして、穴を掘って岩盤から基礎を作るため、表面近くに堆積層があることを指して直接、問題とはいえないのではないか、と話した。
しかし、こういった指摘を私がすることにどういう意味があるのか、自分でも良く分からない気分だ。