【おめでとう】 新しい歴史へ

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【おめでとう】
新しい歴史へ

  うわぁ、放射能で死ぬより早く、私はここで死んでしまうっ!
  19日の夜、緑色公民運動連盟のオフィスに集まってKTVへいく約束をしたのだが、なんとバイクに二人乗りしてでかけることになった。ただでさえ、混雑している台北の街を、夜に、二人乗りで乗り回すなんて。しかも、呂氏は手加減せずに、少しでも入り込める隙間があると、車と車の間に突入していく。どうやらこれが台北におけるバイクのマナーらしい。生きた心地がしない、とはこのことだ。もう少しで、降ろしてくれ、と叫ぶところだった。

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  タンデムシートの私の表情がこわばっている。。。

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  まずは、腹ごしらえ。
  西門(しーめん)の名物だという麺を食べる。立ち食いのみで、みんな道ばたで食べている。麺は小麦粉と米が半々、つまりラーメンの麺とビーフンの中間だ。汁はどろっとした餡になっているが、味付けはなんと鰹だしだった。まったく違和感がなく、おいしかった。

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  さて、腹ごしらえをしたら、KTVだ。
  私はこの日のために、伍佰や張恵妹の曲の歌詞をひらがなで書いたカードを作って用意していったのだ。努力の甲斐あって、みんなと歌いまくったもんね。最初は歌いたくなさそうだった小郭も、台湾語の歌になってくると、けっこう歌っていた。やはり、台湾語でなけりゃね。

  いわゆるカラオケのことを台湾ではKTVという。カラオケTVのことだ。以前はどこの店でも日本語の歌がたくさんあるのだと思っていたが、そうではなく、高級な店でないと日本語の歌はあまりないようだ。今回は比較的庶民的な店にいったので、日本の歌は少なかった。今回の私はそれでよかったのだが。

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  翌日、朝は総統の就任式にいったのだが、その後、呂氏、鄭さん、小郭の3人と淡水に出かけた。鄭さんは宜蘭(イーラン)出身だが、淡水の大学に通っていたそうで、第二の故郷ということらしい。自転車でいこう、ということで自転車を借りる。昨日はバイクに二人乗り、今日は自転車で二人乗りである。

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  淡水は海に面していない台北の人にとっていちばん近い、くつろげる海辺といった感じ。台北からジエユンで40分ほど乗れば乗り換え無しで淡水まで着いてしまう。

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  とってもポピュラーな観光地といった感じでアベックがやたらと多い。

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  これは、宜蘭名物の屋台。食べてみるとクレープである。アイスクリームが入って、アーモンドをその場で削ってパウダーにしてかけてくれる。

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    美しい稜線を見せる観音山。女性の横顔にみたてられるという。

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  スペイン、オランダ、イギリスとその時々の「侵略者」たちの足跡が残る紅毛城。中は博物館になっている。。

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  紅毛城からの眺め。淡水河は河口を広げ海へつながる。いきかう船の軌跡と、緑の稜線があいまってスケールの大きな景色を作っている。見渡す限りの絶景なので、超広角レンズでないと雰囲気をうまくとることができない。

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  さらに坂を上っていく。自転車は押していくしかない。

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  山の上には砲台跡があった。淡水の地形模型がある。おそらく、淡水河を遡上しようとする船舶を防ぐためにここを守る必要があったのではないかと思う。

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  砲台跡。呂氏は、この砲台によりフランス軍を追い払ったことが大変重要だ、と語った。戦争に「勝った」ことを肯定できる歴史をもっていない日本人にはなかなかその感覚はわかりにくい。

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  淡水から戻るともう夜だ。中正記念堂へ急がなくては。。。そう、今日は中正記念堂で総統就任記念演唱会(コンサート)があるのだ。

  到着するとすでに始まっている。入り口でプログラムを配っていたので見ると、実に多彩な参加者である。郭英男、廖瓊枝、洪一峰、文夏、文香、江霞、凌波、張鳳鳳、白嘉莉、張h、謝雷、青山、黄俊雄、黄鳳儀、黄立綱、傅逹仁、豬頭皮、柳翰雅、胡徳夫、蔡琴、孟庭葦、蔡幸娟、黄連U、周華健、そして伍佰。

  会場を見たとたん、もう、なんだか胸がいっぱいになった。ステージの上にシンボルマークのように描かれているのはまぎれもなく「白鴿」ではないか。ここで、間違いなく、伍佰は白鴿を歌うんだ。そう思うとワクワクしてきた。

  私たちが到着してしばらくすると豬頭皮が歌い出した。ベイジンホワ?、北京語?と小郭に聞く。違う、客家語。あ、これは違う、原住民族の言葉。あ、これはまた、違う。。。どうやら豬頭皮は台湾で使われているほとんどの言葉をメドレーにして歌っていたらしい。就任式らしい演出である。

  私は、このコンサートが何語で進められるのか、とても気になっていた。就任式典でも危惧していたが、台湾語だけで進められてしまうような状態は必ずしもよくないのではないかと思っている。しかし、心配は無用だった。基本的には北京語だが、要所要所に台湾語も織り交ぜて進められているようだ。歌も北京語のものも、台湾語のものもある。もともと北京語で歌われていたものを台湾語で歌う、といったことは行っていないようだ。北京語が多いのでなんだか小郭は不満そうだが。

  いかにも「大御所」といった感じの年輩の歌手達の歌が紅白歌合戦のようにほぼ一人一曲でどんどん進められていく。合間に伝統的な演劇や、前衛劇なども行われる。観客は私たちが到着した時点で広大な広場をほぼ埋め尽くしていたが、さらに増えていった。

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  ラストを飾る伍佰はやはり特別扱いだった。総統候補だった時、伍佰のコンサートに特別出演したこともある阿扁は伍佰のファンなのだという。たぶんセッティングに手間取っていたのだろう、だいぶ長いこと司会者がしゃべっていたが、しばらくしてようやく、それでは、伍佰お願いします!といっておなじみの独特のイントロが流れてきた。樹枝孤鳥だ。昨日はKTVで中盤の掛け合いを呂氏と二人でやってみたら絶妙だった。こんな掛け合いを日本人ができるとは思わなかったのだろう、女性達は呆れてみていた。
  続いて「白鴿」。この曲は特に印象深い。まるでこの日のために伍佰はこの曲を作ったのではないかと私は思わされる。サビの部分の歌詞、「永遠の傷を負ってはいるが、少なくとも私は自由だ。」はまさに今の台湾を象徴する台詞だと思う。そう、台湾はまた、新しい自由を一つ手に入れたのだ。
  次の曲は「世界第一等」。この曲を阿扁と共に歌う、という趣向も考えられたというが、残念ながらさすがに実現しなかった。金を求めるのではなく、友情、愛情を尊ぶ、その生き方こそが世界第一等なのだ、というシンプルだが、普遍的なメッセージである。歌詞の中の「世界第一等」(せぇーかいてぇいってぃん)というところで、みんなが声を合わせる。こりゃまあ、阿扁より伍佰のほうが、よっぽどカリスマに近いといえる。

  伍佰と彼のバンドChina Blueは、レコーディングでも、ステージでもメンバー以外のミュージシャンをほとんど使わない。これもすごいと思う。実際、この日のコンサートでも4人のみでぶ厚いサウンドを繰り広げた。

  呂氏が好きだというのを聞いて、私も好きになった伍佰ですが、Webを検索してみると、日本でも伍佰を好きな人たちがいるのを知って驚きました。私の伍佰の知識はほとんどそれらのWebから教えてもらったものです。心から感謝いたします。二つ紹介します。ご覧になってみてください。

        500@Live 真世界
        流浪伍佰的世界
  伍佰はもちろん、多くのアジアのミュージシャンが日本でもっと普通に活躍するようになればいいと、本当に思います。

  3曲を歌い終わり、司会者が「伍佰、謝謝!」という。もっと聞きたい観衆はアンコールを求めるのだが、それにかまわず司会者はしばらく話を続けていた。が、しばらくして、「ひょっとしたら、みなさんがお望みなら伍佰はもう一曲歌うかも知れませんよ」と言った。歓声がわき起こる。司会者が「伍佰!」と叫ぶ。新曲をやります、と伍佰が言って「衝衝衝」という曲をはじめた。どうして、最後の曲をすんなりやらないで、凝ったことをするのかよく分からないが、とにかく大盛り上がりである。その後の、阿扁のスピーチへうまくつなげるためかも知れない。

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  最後は、やはり阿扁のスピーチだ。午前中とは違って、リラックスした様子でときおり笑いも誘いながら話していた。難問が山積みされている台湾で全世界へ発信されてしまうスピーチは重荷だっただろう。どこかほっとした感じがうかがえた。

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  この日が台北最後の夜になる。このまま帰るのがもったいない気がしていた私に、郭さんが、台湾ウォッチの事務所で珈琲を飲んでいこう、と誘ってくれた。台湾ウォッチは環境問題について専門的な立場からアカデミックな情報を発信するNGOで、歩いていける場所にオフィスを持っていた。

  立派なオフィスでびっくりした。おまけにエスプレッソマシンがあり、珈琲がとびきりうまい。電子辞書や筆談を駆使して、遅くまで話し合った。慣れもあるのだろう、このころになると、自分でも感心するくらい言葉が通じた。日本語でも難しい内容の話なのに、不思議と通じるのだ。

  今日の就任演説のことなどが気になっているのだろう、民進党のことなどになるとどうしても沈んだ表情になっていくのがわかる。経済の話になったとき、日本もすぐ景気がよくなるだろう、と呂氏がいった。私が思わず、そうならないことを願っている、というとたいへん驚かれた。
  経済がこのまま成長し続けることは不可能だし、ほんとうに継続可能な環境を保っていこうというなら、経済成長を前提にした社会とは別の社会のあり方が必要だ。日本では、ある程度そういった考えは分かる人には分かっていると思う。しかし、台湾においては、台湾のアイデンティティこそが経済成長であり、それを否定することはやはり難しいことなのかもしれない。
  日本の経済は遅かれ早かれ崩壊すると思うんだ。そして、そのとき、戦争を引き起こすことを私は恐れている。日本には前科があるからね。それに多くの日本人にとっても、経済こそアイデンティティで、それを否定して生きていける日本人は少ない。いくら物資があっても、いくら金があっても、自らのよりどころをなくした人間は脆いものだ。それを守るためになら戦争でもなんでもするだろう。私は、そうなった後も生きていける新しいライフスタイルを探していきたいと思っているんだ。

  小郭が食い入るように聞いている。呂氏が心配そうに聞く。今の運動は?すでに新しいライフスタイルを試みている人たちも大勢いる。でも、私は今のところは、まずは、反核だね。第四原発はどうしても止めたい。侵略者になるのはごめんだ。
  Well!
  呂氏が笑った。

  それから私は、珈琲を飲み干して、息を整え、笑顔を作り、友情と羨望と祝福を込めていった。

とにかく、あなたの国は新しい歴史へと歩みはじめたんだ。
おめでとう。

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  小郭はホテルの前まで送ってくれた。さよなら(Good bye)をいわなくちゃいけないね。小郭が言う。いや、さよならはいわない。再見(ツァイチェン)だ。私が応える。そうだね、きっとまた、すぐ会えると思う。再見、再見、

  その晩、伍佰を聞きながら眠りについた。
  リフレインがなんども頭のなかを飛び交った。
  −− それでも私は自由だ。−−
  そう、台湾が叫んでいた。

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