【核四】 新たな記念碑

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【核四】
新たな記念碑

  台湾では国民党による戒厳令下時代に3カ所2基づつ合計6基の原発がすでに建てられてしまった。塩寮に建設されようとしている第四原発も2基が少しの差で同時に建設されている。台湾では第四原発のことを「核四」と表記する。
  この核四は、米国GE社が落札したが、すでに米国には原子炉を作る設備はなく、実際には日本の日立、東芝、そしてタービンを三菱が製造することになっている。原子炉などは日本から台湾へ直接輸送されるわけで、「アジア間初の原発輸出」ということになる。

  これは、度重なる事故と民意により日本で売れなくなった原発をアジアに売りつける、という行為である。いわば、かつて日本がやった「公害輸出」と同じやり方だ。しかも、輸出されるABWR型は経済性を優先させたために事故が頻発している問題のある原子炉である。

  そして、日本と台湾には国交がない。また台湾は核拡散防止条約(NPT)にも署名していない。なおかつ中国と緊張関係にあるわけで、そうした状況で核四を輸出することは巨大兵器を輸出することに匹敵する極めて危険な愚行であるといえる。

 

  核四の敷地内に入るのは、これで3回目だ。台湾に来るたびに入っていることになる。建設がここまで進んでいる敷地内に入ることができるのは日本では考えられない。

  昼食を食べた後、日本からきた私たちと、塩寮の人々、そして先住民族の林さんは、マイクロバスで敷地内に入った。門をくぐったすぐ横の建物に入る。椅子をずらっと並べれば百人は入れそうなミーティングルームに、投影型プロジェクターが用意されており、パワーポイントが起動しているIBMのノートパソコンが繋がって、準備が整っていた。

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  台湾電力の職員たち。これまでも訪れるたびに見た顔だ。

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  台湾電力側から一方的なPRが始まる。どこもいっしょともいえる歯の浮くような宣伝文句を重ね、原発をPRしている。いや、「どこもいっしょ」なのではなく、日本を真似した結果、なのだ。

  敷地を見渡してみても、日本人は見あたらない。そろそろ、日立や東芝の人間がやってきているはずだと思うのだが。塩寮の街中でも特に原発関連の日本人をみかけることはないという。「車できて、車で帰っていってるからだ。」塩寮の人はそういう。

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  一号機の建設現場。原発の建設経過を部外者がこれほどしっかりウォッチしてきている例も少ないのではないかと思うが、見るたびに工事が進んでいるのが分かる。前回たくさん鉄筋を張っていた箇所にコンクリートが流され土台ができあがっている。円周の鉄筋は格納容器になるのだろう。

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  反対側から見た図。黄色いアングルはおそらくもっと補強されて、圧力容器を搬入するためのクレーンなどが取り付けられるはずだ。

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  これは、去年1月に来たとき、命の泉として紹介した池。すでに水はなく干上がっている。原住民族の林さんによれば、台湾電力が水源を煉瓦でふさぎ、池を干上がらせたという。

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  いったん核四の敷地を出てやってきた、排水口の工事現場。いわゆる、「原発」に関連する特別な工事という感じはない。ふつうの土木工事の感触。左下に見えるトンネルを支える鉄柱も、現場で溶接していた。

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  原発見学の後、楊貴英(右)さんのお家の近くの海水浴場へやってきた。楊貴英さんは、この海水浴場の最寄り駅・福隆駅のすぐそばで海水浴用品を売る店をしている。

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  楊貴英さん自慢の海水浴場は、まだ泳ぐには少し早くて、人が少ないが、海の美しさ、浜の美しさはさすがだ。このあたりの海岸はゴールデンビーチ・金砂海岸と呼ばれているが、それもうなづける。しかし、下の写真のはるか向こうに見える位置に原発が着々と建設を進められている。

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  福隆の海岸から2Kmほど塩寮に戻ってきた海岸。私がやはり毎回訪れる場所。日本軍が最初に上陸した地点だ。

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  前回、工事中だった抗日記念碑は工事も終わってその凛々しい姿を現していた。どうやら排水口、取水口、埠頭のいずれにもかからず、この抗日記念碑は残されるようだ。
  日本人に遠慮したのか、先導して歩く呉慶年や許思明さんは抗日記念碑の前を通る道を通らず、横を通る道を選んだ。しかし、私は記念碑前にゆき、向かい合って、しばらく動けなかった。

  やはり、明らかに、核四は第二の抗日記念碑になる。そしてそれを防ぐ行動は、この第一の抗日記念碑と向かい合うことから始まるに違いないと思った。

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  埠頭の工事。こちらもずいぶん進んでいる。おそらく、圧力容器などは日本から運ばれて、ここに陸揚げされるのだろう。ここから建設地点までは1Kmほどしかない。しかも、すべて台湾電力の敷地内だ。あらかじめ鉄条網をはりめぐらされたら、防ぐ方法はない。

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    塩寮周遊から帰ってくると、塩寮のすぐ隣の仁里村の村長さん宅でお茶に招かれた。台湾では塩寮に限らず、ニュース番組をよく見る。台北の食堂でもよくニュースがかかっていた。下の写真はニュースに出てきた阿扁を見ているところ。

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  翌日、早朝に塩寮を発ち、台北に戻った。初日に行ったのと同じ、立法院の貴賓室で記者会見を行った。このときは、たくさんの報道陣が集まり、TV、新聞でも大きく取り上げられた。

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  記者会見の後、つかの間の観光というわけで、訪れた龍山寺。日本でいえば浅草みたいな感じだろうか、庶民的だが有名な寺である。下の写真は、その境内脇でくつろいでいる人々。特になにがあるでもなく、ここでくつろいでいる。庶民の社交場といった感じ。許さんが、なんの話をしているのか、と聞くと、みんながいっせいにしゃべり出した。国民党への不満を話していたのだという。

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