【塩寮】 海を繼ぐもの、命を繼ぐもの

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【塩寮】
海を繼ぐもの、命を繼ぐもの

  15日、私と佐藤大介、そして緑色公民運動連盟の小郭の3人で塩寮に向かった。小郭は前回私が一人で訪れたときにもいっしょに塩寮にいってくれたのだが、そのときの塩寮の人々との親しげな様子が忘れられず、ぜひまたいっしょに行きたいと思い、さそったのだった。

  これは、塩寮の近くのゴールデンビーチホテル。環境保護連盟のメンバーの一人の弟が経営しているそうで、よく利用する。

このホテルで一泊800元(約2800円)〜1200元(約4200円)。民宿だと500元くらいであるという。

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  デモのとき、写真をよく撮っていた雑貨屋さんや、反核自救会の会長さんの釣具屋などをあいさつして回る。雑貨屋さんは写真に凝っており、先日のデモの写真がもうできていた。下の写真の右の人はたまたま居合わせた方で、かなり日本語が話せるので、通訳をしてくれたのだった。

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  その後、漁会(漁協)を訪問した。この写真は漁会の事務所の前の港。船には集魚灯が鈴なりになっている。烏賊(いか)漁のためである。

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  漁会の会長の林さんとの話ははずまなかった。漁会は抵抗を続けているが、打つ手が無くなってきているのも事実だ。台湾電力が無理矢理振り込んだ2億元については、提訴中で、受け取ってはいない。

  その後、塩寮の電気屋さん、呉文通さんの車で福隆の楊貴英さんに会いにいくことになった。呉文通さんは塩寮のなかでも指折りの勉強家で、強固な反対を続けている。なんでも、台湾電力から敷地内のオフィスで使うエアコン40台の発注が呉文通さんにあったそうだが、直ちに断ったいう。

  福隆へ向かう途中、なぜか車が山道を入っていく。道が違うな、と思っていると家の庭先でパーティが開かれている。そして、楊貴英さんが手をふっている。
  楊貴英さんの弟さんの家のお葬式だったのだ。なんとも派手なお葬式である。下の写真は霊柩車に相当する車だが、派手なことこの上ない。

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  日本のように、ずっと悲しみつづけたりはしない。陽気に料理を食べている。派手な車で葬式行列をするときは、いわゆる「泣き女」が泣くらしいが、行列が帰ってきてからはみんなにこやかにごちそうを食べている。

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  楊貴英さんをはじめみなさんはかなり日本語を話してくれる。特に話さなければならないことがあるわけでもないので、ひたすら食べてしまう。。。

  夕方、いったんホテルに戻った。夜市にいこうと電気屋さんがさそってくれたので、それまでホテルで休むことにしたが、まだ陽があるので海岸に出た。

  今回、小郭と塩寮に来よう、と思ったのには理由があった。
  彼の名字は郭で、小は日本でいえば「XXちゃん」のちゃんにあたる。本来、目下の者に使う呼び名「小郭」を彼はずっと年下の者にも呼ばせていた。それは、人間関係において日本よりずっと年齢を重視する台湾では明らかに「変って」いた。そして、彼は台北では実に寡黙で、勉強熱心で、裏方に徹した作業ばかりを完全に無給でやっていた。彼は専門学校卒で、台湾全般としてみれば決して低学歴ではないのだが、超エリートがそろっている台湾の活動家たちの中では秀でているわけではない。そうした面で「拗ねた」ところが私には感じられた。それは、前回訪れたとき、私に対する態度にも感じられたのだ。でも、私はそこに私自身と共通するものをはっきりと感じた。それを確かめてみたいし、私が彼に共感できることを伝えたいと思ったのだ。

  沖へいけば珊瑚礁へと続く砂浜に腰を降ろし、小郭と佐藤大介、そして私のいずれもつたない英語で話をする。言葉だけでは通じないから砂に絵を描きながら話す。日本は嫌いだろう?はははっ。俺も嫌いだ。じゃあ、政治家は?嫌い?教授達は?好きじゃない?じゃあ、台湾を変えたくはないのか?変るべきだと思わないのか?政治家にも教授にも頼らないでどうやって変える?方法は?そう、俺もいっしょだよ、方法が問題なんだが、それが見つからないんだ。

  これほど似ているとは思っていなかった。台北の街で日本語がもてはやされているのも彼は気に入らないだろう。英語も好きじゃないみたいだ。無理に上達しようとしていないのは、最初に会ったときから感じていた。北京語もあまり話したがらないように思える。しかし、台北ではあんなに寡黙な彼は、塩寮に向かうバスの中で偶然隣合わせたおばあさんと台湾語でいつまでも世間話をしていた。
  できれば、彼が話をしてみたい日本人になりたい。私があんなに嫌いだった英語を、アジアの人々と分かり合うための道具として勉強しようと思ったように、彼に、君と話したがっている日本人がいることを知らせたい、そう思った。

  ホテルでシャワーを浴びて、夜市にでかけた。台北の夜市ほど盛大ではなく、日本の夜店の感じで違和感がない。佐藤大介はくるくる回る20センチほどのダーツの的に矢を投げ、刺さった場所の数と、あらかじめ宣言した数が一致すれば商品がもらえるゲームを一度だけやって、一発で瓶入りグレープジュースを仕留めた。

  その後、帰るまえにどこか寄っていく?と小郭に聞くと、うん、少し歩いてみんなの話を聞こう、という。反核自救会の前会長さんのところに寄ると、ちょうど店を仕舞いはじめたところだが、店先の茶房セットに招いてお茶を飲んでいけという。次の日昼食をごちそうになる前会長さんの店はかなり大きな海鮮料理屋である。その店先にステンレス製のコンパクトなお茶のセットがあり、そこでなかなか本格的な高山茶を飲ませてもらった。

  こりゃうまいな、とか佐藤大介といいながら、お茶を飲んでいたが、小郭と前会長さんはさかんに台湾語で話している。どうやら、民進党が必ずしも反核で固まっていないことへの不満や対抗方法などを話しているらしい。こちらのことを気にする様子もないが、かえって私はそのほうが嬉しかった。仕事が終わってほっとした時間のそうした素顔の表情にこそ、塩寮の人々の力強さを感じ取れるような気がしていたし、小郭と来てよかったな、と思えたからだ。

  台湾でごちそうになるお茶はほんとうに美味しい。いわゆる烏龍茶なのだが、日本でポピュラーになった大陸のものとは別物といっていいと思う。日本で飲まれているのが発酵度70%〜80%なのに比べて台湾のものは30%くらいで、味わいは緑茶に近く、花のような香りがする。最初はジャスミンティーのように花弁が入っているのかと思ったほどだ。

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  その後、私たちを車で送り迎えしてくれた電気屋さんのところでまた、話しこむ。といっても話し込んでいるのは小郭だが。電気屋さんは、一枚の紙を取り出してきてこれは本当かと聞く。それは、日本と台湾の反核運動の架け橋となって活躍され、去年亡くなられた何昭明さんが亡くなる直前に彼に送ったものだった。
  そこには日本の原発建設の手続きを図で示したものだ。彼は日本ではほんとうにこのような手続きが行われているのかと聞く。そうだ、と佐藤大介が答えるのを聞いて、さらに小郭と話をしている。
  日本の手続きも良いわけではもちろんないが、それでも、用地の確保、漁業権の買取り、住民合意がなされていること、が建設の前提になる。しかし、塩寮ではそのどれ一つも完了してはいないのだ。排水口付近には未買収の土地が残っているし、漁業権は前述したように漁協は放棄しておらず、金も受け取っていない。台北県知事は反対の意向を示し、住民投票でも圧倒的な原発反対の結果が出ている。住民合意など影も形もない。日本ならば建つはずのない原発なのだ。
  もし、阿扁が原発反対を明確に打ち出すことができなくても、「日本並み」の手続きを定め、それを第四原発に適用すれば、結果的に建設を止めることができる。そうか、そういう方法もあるんだ、と思いながら彼らを見る。おそらくそういったことを議論しているようだ。それにしても、現地の人々がこれほどまでに勉強を重ねているのを見ると、もう思うのはよそう、と思ったことを考えてしまう。なんと、日本という国は愚劣なのかと。

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  翌日は、柏崎からこられる市会議員4人と合流する。下の写真はホテルの前にあった宣伝旗。日本でいうホエールウォッチングだろうと思うが、鯨豚はイルカのことだろうと思う。日本では「海豚」だから。でも上の絵はどうみてもシャチである。

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  ホテルのすぐ脇の風景。トンボをねらったのだが、見えるだろうか。もちろん、少し植生は違うが、日本の里山といった風情だ。

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  塩寮の媽祖(まそ:海を司る女性神)廟の管理事務所で行われた交流会。
  私はこの席で、こうあいさつした。
「日本でも、現地の方々と都市の運動を結びつけるのはとても大事ですが、難しい仕事です。昨日から小郭と一緒に塩寮にきましたが、小郭がみなさんから信頼されているのを見て、たいへん感動しました。彼を見習って私もがんばっていこうと思います。」
  呉文通さんが、笑って私の肩をたたいた。

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  交流会の後、昨晩お茶をごちそうになった前会長のお店で昼食をいただいた。この写真は店先の水槽。日本の感覚からするととんでもない高級魚であふれている。

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