【デモ】 分岐点を過ぎて振り返れば

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【反核デモ】
分岐点を過ぎて振り返れば

  入国審査は混んでいて時間がかかった。いくつもの列ができているが、長い列が遅いとは限らない。入国審査官によりずいぶん速度が違うので、素早い審査官の列は長くても早かったりする。迷いながら並んだ列の2つ前に佐藤大介がいた。別の便だがほとんど同じ到着時刻なので会えるとは思ってはいたが、まさか十数列もあるのに、同じ列に並ぶとは。

  飛行場を出たところで、小木曽茂子さんに会う。小木曽さんは1時間ほど先に到着していた。呉慶年さんが迎えにきているはずだが、見あたらない。あちこち、電話をかけてみると、少し遅れているだけだと分かる。無事、呉さんとあったのち、台北に向かう。いくつかの交通会社から台北へ向かうリムジンバスが出ているが、初めて乗る会社だ。これだと記者会見が行われる立法院に近いところに停まるという。

  立法院での記者会見は二度目になる。前回、99年の10月に一人で訪れたときは、大勢の塩寮の人々と、国会議員とで記者会見が行われた。今回は、 翌日のデモにも参加する立法委員の頼さんが主催してくれた記者会見で、立法院を入ってすぐ左手のこじんまりとした貴賓室で行われた。が、残念なことに「非凡新聞」というTV局が1社きただけだった。聞いたところ、台湾では記者会見は午前中に行うことが多く、今日も午前中に明日のデモについて大きな記者会見が行われたところなので、集まりが悪いという。

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  下の写真は、右から、立法院のョ勁麟 議員、許思明さん、呉慶年さん、そして、NNAF2000の招待状を渡している佐藤大介。

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  低調な記者会見に少し心配しながら、このあとどうするのかな、と思っていると「台湾 緑の党」の高成炎さんが18時からラジオ局のレギュラー番組に出演するので、ゲストとして出演して欲しいとのこと。去年、ラジオにはすでに出ているのでさほど驚かない。

  ラジオ局まで、2台のタクシーに分乗していった。私の乗ったタクシーは場所が分からず、かなりの時間うろうろしていた。すると、なんとタクシーから高さんの声が聞こえてくるではないか。こういったいわば「硬い」番組は日本ではあまり聴かれないと思うのだが、台湾ではそうでもないらしい。

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  前回とは異なるラジオ局だが、雰囲気はそっくりでふつうのマンションの二世帯分を使ってラジオ局にしている。スタジオが狭く、同時に3人は入れなかったので、私はベランダで煙草をふかしていた。ラジオ局らしく、ベランダにもラジカセがおいてあって、電源を入れると自局の音が流れてきた。台北の街並みが広々と見渡せる高層マンションより、新潟津南町から台湾塩寮の人々への想いを語る小木曽さんの言葉が、台湾語に通訳されて広がっていく。
  徐々に日が陰っていくのを見ながら、小木曽さんの言葉が台湾の人々に染みていくように、と願った。

  なんと2時間番組だったので、終わると20時を過ぎていた。おなかペコペコである。それにしても、しゃべりのプロでもない教授がこうやってラジオ番組をもっているというのが、すごい。しかも、2時間番組をこなすのは重労働だ。そのバイタリティには驚かされる。

  小木曽さんは2泊だけの短期滞在である。何度も台湾料理が食べたい!と主張したにも関わらず連れて行かれたのは日本料理屋である。私はもう慣れていたので、「やっぱりな」と思ってしまう。どうも、単に日本人だから、日本料理屋というのではなくて、日本料理イコール優れた料理という誤解があるように思う。日本では海外からきた客に、さしみやてんぷらを勧めるのが慣例になっているが、そういった感覚がないのだ。

  私はさしみ定食。みそにも醤油にも少し甘みがあるので、日本の感じとは異なったものになる。茶碗蒸しは日本で食べるのとさして変らなかった。佐藤大介は鰻重。しかし、うなぎのふわっとしか感じがなく、煮てしまっており、うまくなかった。小木曽さんの定食に入っていた豚(ホーコーロー)が一番うまそうだった。
  ああ、やはり台湾料理でなければ。

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  翌日、デモの準備を228和平公園でやっている、という佐藤大介の情報をもとにいってみるとまさに準備の真っ最中に遭遇できた。小木曽さんは228公園は初めてなので、資料館も入ってみる。ここはなぜかとてもよく来てしまう場所だ。前回は、うろうろしていると、偶然迷いこんでしまったりした。3回しか来台していないのに、228和平公園にやってきたのは5回、資料館に入ったのだけでも3回になる。特に資料館わきの珈琲テラスが気に入っている。エスプレッソ珈琲60元は少し高いが、値打ちがあると思う。

  台湾の通貨単位は「元」というようだが、紙幣には「圓」と書かれており、実際、「イェン」というふうに発音されることもあるのでややこしい。銀行などではNT$「ニュータイワンダラー」「エヌティーダラー」といったほうがわかりやすい。1元は約3.5円。台湾では日常的な食費などは比較的安い。ぜいたく品になると、とたんに日本と同じ相場になる。
  ジエユン(地下鉄)は初乗り20元(約70円)。缶コーヒーも20元(約70円)〜25元。350mlの缶ビールは40元(約140円)。CDは新譜が300元(約1050円)、旧作のベスト版などは100元(約350円)くらいからある。日本のビジネスホテルに相当する程度の台湾人が泊るホテルは、一泊1000元(約3500円)から1500元(約5250円)くらい。もちろん、観光客向けのホテルはドルレートからくる値段設定なので、別次元だ。
  台北の人が、昼食にかけるお金はおおむね100元程度だと思う。したがって、228和平公園の60元のエスプレッソは高めの値段設定だといえる。
  なお、台北では、珈琲はエスプレッソが普及していて、レギュラー珈琲とか、ブレンド、といった感じのものがなかった。エスプレッソでなければ、アメリカンになってしまうのである。
(以上、値段はすべて2000年5月現在)

  高成炎さんは、教授だし、もっと偉そうに指揮だけとるのかと思っていたら、学生たちといっしょに横断幕を作ったり、(後に焼くことになる)日の丸と星条旗のついた原子炉模型を汗を流して作っていたのが印象的だった。

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  資料館付属のコーヒールームのテラスでもデモで使う花を作っていた。私たちも加わりしばらく手伝う。高さんとおなじ緑の党のリンダや、第五回NNAFのフィリピンにいらした方などと話をする。

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  車で移動するスタッフ達と分かれて、ジエユン(MRTともいう。路線によって地下鉄だったり、モノレールだったりする。日本語の感覚でいえば「新交通システム」といった表現に近い。)で台湾大学にいく。すぐ脇の道路がデモの出発地点である。

  広い道路だが、参加者は多く、身動きがとれない。すでに街宣車の上では演説が延々と続いている。

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  先頭は、塩寮の人々である。新総統・陳水扁氏(以後、阿扁と表記。阿扁は台湾で極めて頻繁に使われている表記で、阿はXXさんの「さん」に近い)は選ばれてから第四原発についてはっきりとした態度をとらないため、デモにも参加しない、という声もあったという。しかし、やはり現地の声を伝えるため500人もの人々が塩寮から反核を訴えるためにやってきた。

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  先頭近くをいく街宣車には、代わる代わる演説者が上って、演説を続けている。歩道橋には写真を撮ろうと人が鈴なりになっている。その中に呉慶年さんも、いらっしゃった。

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  街宣車から撮った写真。間が離れてしまったので、この写真だけ見れば、まるでノーニュークスアジアフォーラムのデモのようだ。左手の椰子の林のように見えるのが台湾大学で、林は街路樹で、その向こうがキャンパスになっている。

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  台湾電力の正面玄関に向かって横断幕を広げているところ。真ん中が、台湾電力と対峙している私。右は張国龍さん。
  この後、私は思わず「原発を作るな」と何度も日本語で叫んでいた。

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  5月13日、土曜日の台北。こんな雰囲気に似た感触をいだいたことがある。新聞では二千人と発表されることになるデモの列は、私の目には三千人以上に見える。台湾電力の前を通りかかる。高くそびえる薄茶色の台電の建物はセンターラインを超えた反対側だが、先頭の横断幕をもった人たちが中央分離帯を超えて台電前に駆け寄っていく。

  私が走り出すと同時に小木曽茂子さんも走り出した。その行動が素早かったのか、気が付くとNo Nukes Asia Forumと書かれた横断幕を持った私たちが台電玄関前の最前列にいた。

  警備員が私たちを後ろに下げようと腕を寄せてくる。意識して背筋を伸ばし、身じろぎもせず、それを無視した。そうだ。南島町民が行った津県庁へのデモのときと同じ感じだ。あのとき、私は思わず怒鳴り出していたんだ、と思った瞬間、私は怒鳴っていた。「台湾電力は第四原発の建設を中止しろ」「日本の愚かな道を歩むな」
カメラが一斉にこっちを向くのが分かる。日本語で叫んだので、意味が分からなくてあちこちで囁きあっている。

  私が一通り怒鳴り終わった後、陳水扁新総統が額を持っている写真が広げられた。人の背丈ほどもある。そこには陳氏が総統になった際には第四原発を止める、と書かれており、陳氏自身の署名がされている。

  塩寮の人々も五百人がデモに参加している。もう、よく知った顔だ。しかし、デモの直前には陳氏の態度が煮え切らないため、デモ不参加の意見もあったという。
呉慶年さんが玄関脇の報道陣の中から私を呼ぶ。あの怒鳴っていた日本人はなにをいっていたのか?といった質問がされているらしい。
  もんじゅの事故、東海村の事故のこと、そして日本では原発の建設計画が縮小されていることなどを話していく。そしてさらに、駆け寄った私に向けられた報道陣のカメラに私はいう。「それにも関わらず危険な原発を日本が輸出することは、かつての侵略と同じ構図です。台湾のみなさんは以前の侵略には抵抗したのに、どうしてこの侵略には抵抗しないのですか。私は侵略者になりたくありません。お願いです。私を侵略者にしないでください。」

私は頭を下げたまま動けなかった。

(ピースネットニュース147号より)

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私はみることができなかったのだが、このときの模様はずいぶんTVなどでも報道されたらしい。新聞では、たとえばもっともポピュラーな中国時報では「日本からきた奥田亮はデモに参加しただけでなく、台湾電力前で強く訴えた。日本では原発の建設は減少している。そして台湾に輸出される原発には危険性がある。どうしてそんなものを輸入するのか?」と書かれていた。
  私ならではの「侵略」といったキーワードや「お願い」するといった行動が抜けているのは残念だが、肝要な部分のみはとらえている。

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  アジアフォーラムからの参加者は3人だけなので、横断幕を持つのを幾人もが手伝ってくれた。特に、日本語を話せる人や、日本語を勉強中の学生などがやってきて話していく。

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  経済部(通産省に相当)の前に、陳水扁総統が反核四にサインした写真を広げてアピールする。

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  塩寮の人々が阿扁に対して第四原発を止めるように求めるのは根拠がある。
  一つは、この写真で、99年7月11日に反核四(第四原発反対)と書かれた看板にサインをしたときのものだ。看板の左が塩寮反核自救会の会長さん。すぐ右が阿扁で、その隣は台北県県長(日本でいう知事)。看板には阿扁と県長のサインがある。民進党は党として核の利用に反対してきたし、阿扁は民進党の総統候補なのだから、この行動にはなんの不自然さもない。

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  もう一つは、下の写真の「連署書」だ。こちらにも阿扁自身のサインがある。

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  これは原住民族の林さんが作成して、阿扁にサインをもらったもので、以下のような内容になっている。

連署書

敬愛なる陳水扁 様

  こんにちは。先生が台湾の民主化、国家の発展及び人民の福祉のため、一生懸命努力して来たことについて、心から敬意を表します。世紀をまたぐことになる次期の台湾では先生のリードで文化、歴史、自然環境を有効に保存できること、及び代々の子孫に永遠の生存環境を残せることを信じております。

  過去の50年間を回顧してみると、以前の台湾は奇麗な山河、河流、海域及び奇麗な無汚染の大地など豊富な自然資源を持っていました。しかし、政府は政策の実施及び経済の発展を理由として、台湾の自然環境を踏みにじってしまいました。そのため、今の台湾は天災及び人間の破壊が絶え間なく、第四原発の建設についても、論争が絶えません。
  私たちは、第四原発についての資料をみると心配にならざるを得ません。なぜなら、それが顕示するものは単なる発電所の建設問題だけではなく、すぺての北台湾の未来の生存及び自然資源、歴史文化に壊減することをもたらす厳しい問題だからです。

  人類には各民族がいますが、各民族が相互に尊重すぺきであり、「原住民」の人権及び権利も尊重すべきです。これば国際人権法にも規定されていることです。
  しかし、中華民国43年(西暦1954年)、台湾政府の内政部において台湾平埔九族の原住民の身元の認定が取り消され、強制帰化の政策により、平埔九族の原住民は尊厳及び権利を失ってしまいました。このことは台湾の多元民族の社会文化に及ぼす影響が極めて大きいと思われます。
  しかし、先生が国家元首の選挙に参加することは、国家民族の多元化杜会を建て直す最大のチェンスであると思われます。そして、平埔九族の百万以上の投票は、勝利かどうかの重要なボイントになります。この厳粛な議題について、2項目の承諾をサイン頂けれぱ、私たちは選挙の七日前に、全台湾の平埔九族の兄弟を呼んで先生が当選するよう頑張りたいと思います。

承諾

(一)直ちに第四原発の建設を終止して、第四原発の跡地及び塩寮の湾に、台湾歴史・文化・生物科学公園を建設することにより、子孫代々に東北角の海域の自然資源を受け渡します。

(二)平埔九族の身元認定を回復することで、正確に歴史を残し、人間の尊厳を返します。

署名者

         陳 水扁

2000年3月7日

 

 

  デモの終着点、総統府前。
  ここでは、広場にぶちまけれらた赤い塗料のなかで、印象的なパフォーマンスが繰り広げられた。黒い塗料に全身まみれた人々が、原発を象徴する銀色のオブジェから黒いドラム缶を息もたえだえに運び出すのである。

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  数日後、このときのデモに参加していた昔からの反核活動家の投書が新聞に載った。悲しいデモと題されており、昔の盛り上がりを思うと歩けば歩くほど悲しく思えた、という悲観的な内容である。私が感じた印象とあまりに異なるので驚いたが、5年前は2万人というデモを行ったこともある台北ではその感触も無理もないのかとも思う。

  長年、反核を訴えてきた人物が今回環境保護庁の長官となったが、彼は、こう発言したという。「これまでは国民党独裁だからこそ、核に反対してきた。しかし、今はもう国民党独裁はない。」

  総統選の勝利の意義に、何の変化もないと私は思う。明らかに、台湾の人々は自由と民主を求める道を選んで、分岐点を通過した。そして、核の問題については、政党間の争点にもなりにくい、いわば日本と同様の状況になったにすぎない。およそ核のない未来を願うのならば、これからがほんとうの運動であり闘いだと考えればよいのである。
  第四原発については、再検討委員会が近々招集され、約3ヶ月で結論を出すという。建設中止にあたっては、違約金の問題や国際関係など困難な問題があるのは確かだが、私からみれば、これほどオープンで、民主的な方法で原発建設が国家規模で決められるのはアジア初のことではないか。
  下を向いているヒマはない。打つ手はいくらでもあるではないか。

  私は、このデモを悲しく感じることはなかった。今回のデモは単に民進党支持というだけの人々が集まったのではなかったのだ。普遍的な核の脅威に立ち向かおうという人々がこれだけ集まることができたのだ。
さあ、胸を張れ。できることをやっていこう。民主による核に対する勝利の一番近いところに、間違いなく、あなた達はいるのだ。

 

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