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なくそう基地と原発を
大阪集会






 シンブランさんは、少し高めの、しかし落ち着いた声で、話し出しました。マルコス時代のことから、順番に、まずバターン原発を止めることが目標だったときのこと。そして、核兵器を追い出すことが目標だったこと、その後、ついに米軍基地をすべて返還させたこと。
 しかし、今また、新しい原発計画が発表されていること。
 一つ一つの内容が、彼の運動そのもの、彼の人格そのものであると感じさせられました。
 ローランド・シンブラン(Roland G. Simbulan)さん。
 反核・反米基地反対やバターン原発反対に取り組んできた。フィリピン大学教授。専門は政治経済学。1983年から、フィリピンでもっとも信頼されている調査研究所である「イボン・データバンク」の部長会議議長。
 フィリピン反基地闘争の中心的な指導者の一人。フィリピンの米軍基地返還に関しては、著作、調査、返還後の雇用計画作成など重要な役割を果たした。


 この日はあいにく、台風が関西を直撃したまさにその日。暴風雨がうずまき、窓を鳴らす中、帰れなくなる可能性を承知で(?)集まった参加者たち。
 それでも約50名の方が参加してくださいました。この台風のなか、ほんとにありがとうございました。


 シンブランさんが属する、非核フィリピン連合(NFPC)は1981年に設立されたもので、さまざまな組織の連合体として機能するもの。
 現在フィリピン全土で130の加盟団体を持ち、米軍基地、核兵器、バターン原発に反対する多くのキャンペーンの中心として活動してきた。
 自らの活動を自信と自負をもって語るシンブランさんからは、私たちが学ぶものも多くあると思える。


 「平和な島を!関西沖縄の会」の我謝實さんからの沖縄反基地闘争からのアピール。
 沖縄が本土のためにさまざまに抑圧されている中での闘争の決意と連帯を力強く語ってくださった。


 力強く語る我謝實さん。手前は見守るシンブランさん。
通訳の方の言葉に深くうなずくシンブランさんを見ていると、フィリピンと沖縄の距離は本土と沖縄の距離よりも近いのかも知れない、と思わされた。


 集会の後、飲み屋の席で。
 台風のため、のれんを降ろしていた飲み屋になだれこんで歓談!。
なんと、シンブランさんは関西共同行動の方々とは10年前からのお知り合いとのこと。
「10年前、あなたがたと会ったときは、米軍基地もあり、原発も動きだそうとしていた。しかし、今、バターン原発は止まり基地もない。次の10年後、いやもっと早い時期には、日本から米軍基地がなくなり、原発も止まっていることを望みます。」
 このシンブランさんの期待に私たちは応えることができるだろうか。



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