市民による環太平洋反原子力会議

台湾への原発輸出をゆるさない! 緊急集会


1996.10.18 台湾国会へ抗議する市民たち

 96年10月19日20日の「市民による環太平洋原子力会議」のまさに当日、私たちに台湾国会がGE、東芝、日立から原発輸入を行うことを決定してしまったと知らせが入りました。
 この動きのために来日できなかったシ・シンミン氏が東芝・日立に抗議するため来日されました。これは、大阪で11月14日に行われた緊急集会の様子です。


 開催直前の会場の様子です。施信民さんの予定がなかなか決まらなかったため呼び掛けたのが1週間を切っていたほど緊急の集会となってしまいました。
 にもかかわらず、大勢の方に集まってもらえました。
 施信民さんのお話しが始まりました。あまりに急で、台湾語の通訳の方をお願いすることができず、英語で話していただきました。ゆっくりと、やさしく語る施信民さんは、とても第三回の台湾でのノーニュークス・アジア・フォーラムの立役者とは思えないほどです。でも、その内容は、信念と力強さに裏打ちされたものだと感じました。
 通訳してくれたのは右に写っている黒いセーターが素敵な宇野田さん。

 当日、MBSのTV記者が来てくれていました。
MBSは環太平洋反原子力会議のときも、19日にTVカメラが入りました。この日はそのときのニュースの様子もビデオで紹介されました。1分程度、なかなかちゃんと紹介してましたね。

 できれば18日の様子のビデオを持ってきて欲しい、と施信民さんにお願いしていたのですが、無理だったとのことで、代わりに台湾の新聞を持ってきてくれました。当然どの新聞も大きくこのことを取り上げており、写真がすばらしいですね。
これは、抗議のため座り込みをする人々。左から二人目が施信民さんに似ているように思うのですが、たずねるのを忘れていました。(^^;)

タテカンには「警察」と書いてあるように見えますね.後ろの黄色い車は放水車です。屋根の上から水を放水しています。

放水や催涙弾をものともせず、抗議する市民たち。

放水により水浸しになった道路から抗議の旗を振る若者。
デモの様子。
日本では考えられない人数です。
これほどの人々の抵抗を押しのけて原発が建設されようとしています。そしてそれは日本の初の原発輸出です。私たちは、再びアジアの人々を侵略しようとしていると思いませんか?取り返しのつかない傷を負わせようとしていると思いませんか?
飲み屋での施信民さん。やはり、お酒がはいって、いい笑顔です。(^^)
施信民さんは、こういいました。「しかし、私たちは必ず勝利できると思います。私たちにはその力があります。そして、原発を輸出することになる国でもそれぞれ行動していただきたいのです。ベトナム戦争が終結したのはベトナムの力だけではなく、合衆国の市民の行動による部分も大きいと思います。当事国の市民の行動も重要なのです」
 私たちは、施信民さんのように、勝利を信じるに足る行動を起せるでしょうか。



<戻る>