NNAF2008 Title image

■ノーニュークス・アジア・フォーラム2008報告

とーち(奥田亮)

■スケジュール概要

 


■第一日目

私は、神戸から大阪で合流して、直接新潟へ向かったため、新潟で東京からの参加者を待つ形となった。東京では一般道で事故渋滞があって、予定よりずいぶん遅れているとのことだった。
後日、東京へ向かった際、一週間後に迫った洞爺湖サミットのためあちこちで厳重な警戒が行われていたから、その関係もあったのかも知れない。

会場は、柏崎刈羽原発から3Kmほど離れた「柏崎市みなとまち海浜公園・夕日のドーム」で、そこからは、上の写真のように原発群を臨むことができた。


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 全国集会が始まってしばらくして、東京からの海外参加者が到着した。NNAF参加者のスピーチの順番が迫っていたのでひやひやしたが、無事間に合った。

スピーチは台湾からこられた呉慶年(ウー・チンニェン)さん。(ご本人は日本人に対しては「ご・けいねん」と日本語読みで名乗られる。)現在建設中の台湾第四原発と同じ型のABWRが動いているのは、世界でここだけであること、ABWRはとくに事故が多いと聞いていること、そして、地震による危機は、台湾でもまったく同じように迫っていること、などをとつとつと、日本語で語られた。
その流ちょうな日本語は、スピーチのあと司会者が「日本語があまりにお上手なので、途中から聞いた方は日本の方と思われるかも知れませんので、改めて紹介いたしますが、台湾から、呉慶年さんでした」と補足するほどだった。

 そして、スピーチの最後に、呉慶年さんは「荒城の月」の解説をした後、3番まで、歌われた。

呉慶年さん

 今回は、ご夫人の呉張美得(ウーチャン・メイダー)さんもご一緒だった。

 後日、東京で宿舎までお二人をお送りする機会があり、せっかくなので、ご夫人にお二人の「なれそめ」をお聞きした。(ご夫人も日本語が流ちょうである。)もともと生まれ育った家がすぐ近くで、親同士も仲が良く、子供の頃からの幼なじみだったそうだ。だからといって、いわゆる「許嫁」というわけではなかったという。その後成長して、呉慶年さんが日本の大学へ渡ったため、その数年後、呉張美得さんも日本へ行こうとしたが、その時には戦局が悪化してきて、難しくなってきたのだが、それでも機会をうかがっていたが、とうとう実現することはなかったそうだ。その後、さらなる戦況の悪化で、呉慶年さんも台湾に戻ってこられ、そこで再会を果たしたという。

 お二人にとっての日本は、先進国として、あこがれの存在であり、青春の思い出の中で輝いているように感じる。その後もお二人は何度も日本を訪れており、関西人である私より、よほど東京には詳しく、道を見失った私は呉慶年さんの後をついて宿舎に戻った。お二人にとってここは決して「異国の地」ではない。

しかし、いうまでもなくこの国は、今も昔も、お二人の想いに応えられる国ではない。ましてや、お二人のような心持ちをもってして、日本を肯定しようなどという態度は本末転倒・言語道断・厚顔無恥である。逆に、お二人の心にある日本に少しでも近づけるよう、私たちは行動を続けていかなければならない、と思うのだ。

パレードの様子

その後のパレードは、かなりの規模となり、また通行人や商店の方々の反応も意外と拒絶するような態度はなく、改めて、今、ここで廃炉を問うことの重要性を感じさせられた。

夜の全国交流会では、東京からかけつけた社民党の福島瑞穂党首のスピーチや、日本各地からの報告を、海外参加者もいっしょになって聞いた。

海外参加者からは、それぞれの国から報告を行った。

右:台湾 緑色公民行動連盟の康世昊(カン・シーハウ)さん
左:通訳してくれた、台湾 陳炯霖(チャン・ジョンリー)さん

 

右:韓国 環境運動連合(KFEM)の梁李媛瑛(ヤンイ・ウォンニョン)さん
左:通訳してくれた、韓国 反核国民行動の 金福女(キム・ボンニョ)さん

 

真ん中:タイ Alternative Energy Project for Sustainability (AEPS)の サンティ・チョクチャイチャムナンキットさん
右:タイ語→英語の通訳をしてくれた タイ バンコクポストの スパラ・ジャンチーファさん
左:英語→日本語の通訳をしてくれた 日本 宇野田陽子さん

バンコクポストの スパラ・ジャンチーファさんは、バンコク・ポスト紙の日曜版で社説や評論などを掲載する"Perspective"の調査報道記者。
フィリピン大学で農村開発経営修士号取得、地域開発、農村経営、女性の地位向上などの分野でNGO活動に携わった後、1993年にバンコク・ポスト紙入社。政府による開発事業と地域住民との間の軋轢を理解し地域住民の立場に立った報道をするために、長年フィールド調査を続けている。2001年度アムネスティ・インターナショナル・タイ支部の人権報道賞を受賞。また、1999年には、ロイター財団のフェローとして1年間オックスフォード大学で研究に従事した。
(国際交流基金のWebより) 

国際交流基金 > 日本研究・知的交流 > 知的交流事業 > 主催・共催事業
 > アジア・リーダーシップ・フェロー・プログラム > 2003年度フェロー
http://www.jpf.go.jp/j/intel/exchange/organize/alfp/fellow03.html

 

宿舎の玄関にはまだ、地震の爪痕が残っており、あまりに身近な被害の跡に、海外参加者も盛んに写真をとっていた。

 


■第二日目

二日目の分科会は、

第一分科会:地盤・地震・活断層問題
第二分科会:設備・機器・耐震安全性
第三分科会:原発に頼らない街づくり

となっている。

 

第三分科会の菅井益朗教授。

 

第三分科会の高橋真一 柏崎市議会議員

 

第三分科会の矢部忠夫 柏崎市議会議員

 

第三分科会には、海外参加者からは呉慶年さんが参加され、発言もしておられた。

 

第二分科会の様子。

 

第二分科会の台湾 郭金泉(グォ・チンチュエン)さん。

 

第二分科会の韓国 梁李媛瑛(ヤンイ・ウォンニョン)さん。

 

第二分科会で、通訳中の韓国 金福女(キム・ボンニョ)さん。

 

第一分科会の様子。

 

通訳の関係もあり、多くの海外参加者は第一分科会に参加。
それぞれの分会会でかなり踏み込んだ内容が話され、最初は漠然と聞いていた海外参加者が、途中から猛然とメモを取り始める様子も見られた。

その後、午後、新潟を離れ、東京へと戻った。


■第三日目

第三日目は朝から、海外参加者を中心に、NNAF国際会議が開かれ、各国から報告が行われた。

台湾から第四原発の状況、韓国から廃棄物処分場の問題など、そしてインドネシアとタイからは特に、最近明らかになるつつある、原発建設計画について報告された。

上の写真は、国際会議後の集合写真。

そして、18:30からは「アジアの原子力はいま」と題して、NNAF2008集会が開かれた。

タイ Alternative Energy Project for Sustainability (AEPS)の サンティ・チョクチャイチャムナンキットさん。

 

インドネシア MANUSIA(インドネシア反核市民連合)のディアン・アブラハムさん。

 

韓国 青年環境センターのイ・ホンソクさん。

 


■第四日目

最終日は、国会議員会館で、政府交渉。
NNAFの要望書と、新潟の方々の廃炉を求める68,314筆もの署名も渡された。 

積み上げられた廃炉を求める68,314筆もの署名

 

経済産業省資源エネルギー庁原子力政策課 小山 雅臣さんに要望書を手渡す、ディアン・アブラハムさん。

 

要望書を文部科学省に渡す、原子力資料情報室の伴英幸さん。

 

その後の質疑応答で、質問を投げかけるディアン・アブラハムさん。
#実は、前日の国際会議あたりから、海外ゲストのやりとりは英語ベースで行われるので、私には細かい内容はよく分かっていなかったりします。。。

 

質問を投げかける タイ ボーノーク・ローカル・コア・グループの コーンウマ・ポンノイさん。

コーンウマさんの住む、タイ南部プラチュアップキリカン県のボーノークは、豊富な漁場を持つ地域で、人々は豊かに暮らしている。
しかし、1997年に行政機構が許可を出したことで、同県のヒンクルートとボーノークの大規模石炭火力発電所計画が住民に知られるようになった。人々は、住民への配慮がなく漁業への影響がある、頭ごなしの発電所計画に強く抗議し反対運動を行い、2002年にタイ政府はプロジェクト凍結を決定。その中で住民のリーダとして活動したチャルーン・ワットアクソンさんは、その後2004年6月21日共有地不正取得疑惑について証言した直後に狙撃され、亡くなった。
チャルーンさんは、コーンウマさんの夫である。

これらの発電所計画は、当初、ヨーロッパ企業も参画していたが、住民の強い反対に次々手を引いていき、日本企業が最後まで残ることとなった。
凍結時点の実施機関の出資比率はトーメンが34%、中部電力が15%、豊田通商が15%。建設は東芝・東芝プラント建設が受注、燃料となる石炭はトーメンが供給。資金供与には国際協力銀行(JBIC)(旧日本輸出入銀行)が予定、また電源開発(J-POWER)や三井物産関連会社(事業者の親会社に出資)、日本貿易保険(付保を検討)も関与しており、まるっきり日本による計画だった。
推進側は、地域の有力者に働きかけ、住民を分断させる卑劣な手口で人々を苦しめ続け、日本企業はタイ政府の凍結宣言後も、計画を断念せず進めていた。

チャルーンさんを狙撃した実行犯は逮捕されたが、背後関係は解明されず、「真犯人」は明らかになっていない。
私には、日本こそ「真犯人」だと思えてならない。そして、私もその一人ではないかと。


View Larger Map ボーノークの海岸。多くの漁船が見える。

 


View Larger Map すぐ沖合で操業中と思われる漁船群。

 

 

参考資料:

細川弘明と学ぶ「環境問題」の見方 第5回 海外にまで輸出される公共事業の弊害
      中盤の「3. タイの火力発電所計画の凍結をめぐって」に現地の写真なども交え、わかりやすく説明してくださっています。

JBICウォッチ 激烈な反対運動によって中止に追い込まれたタイの石炭火力発電所
メコン・ウォッチ ヒンクルート石炭火力発電所
メコン・ウォッチ タイ石炭火力>住民リーダーの暗殺
メコン・ウォッチ  タイ石炭火力>市民活動家の 1周忌を悼む
グリーンピース・ジャパン 火力発電所を止めたタイの活動家、射殺される

※上記のWebを提供くださっている方々へ心より感謝いたします。
 

実はNNAF2008開催時点では、私はコーンウマさんの夫が殺されたことは知っていたがその詳しい事情は知らなかった。チャロエンさんの死が日本でも伝えられていたことも、その石炭火力が日本によるものだということも。いまから思えば、コーンウマさんからもっと聞きたいことがたくさんあったし、伝えたいこともあった。私の不勉強を恥じるばかりだ。
しかし、今年11月に、バンコクや現地でフォーラムを開くため、日本からも来てほしいという。多くの方にぜひ、参加してほしいと思う。いっしょに行きましょう。

 

その後、経済産業省内で記者会見を行った。

 

廃炉を求める署名数を示す、新潟の小木曽茂子さん。

 

タイの状況について、新聞記者に話すサイルン・トンプロンさん。

 


最後に:

今回のNNAF2008は従来とは異なり、原子力資料情報室の伴英幸さん他の方々のコーディネートにより実現しました。深く感謝いたします。

また多くの時間を「柏崎刈羽原発を廃炉に!安心なくらしを!全国集会」とリンクする形で実施させていただきました。柏崎、刈羽をはじめ新潟の皆様にはたいへんお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。

 

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