Asia forum wide logo

ノーニュークス・アジア・フォーラムこれまでの歩み




第一回 日本

Japan map  1993年6月から7月にかけて、第一回ノーニュークス・アジア・フォーラムが開かれました。日本・韓国・台湾・インドネシア・フィリピン・タイ・マレーシア・インドの8ヶ国が参加し、日本20数箇所で10日間にわたって日本のプルトニウム大国化や日本の原発輸出への懸念をはじめ様々な問題が討議されました。

Korea map

第二回 韓国

 1994年10月。韓国で第二回が開催されました。韓国では、現地での交流が多く行われました。廃棄物処理場の反対運動が行われているウルチンで現地の住民と交流したり、原発増設の反対運動が盛り上がっているヨンガンでデモが行われました。
 韓国では廃棄物処理場反対運動で、住民が八戦八勝しています。廃棄物処理場の計画が発表されると、そこの住民が何千、何万と集まり、国道を封鎖するというような大規模で実力的な決死の闘いをしてきたのです。アジア・フォーラム開催後の94年12月、八戦目に韓国政府は、国道もなく住民も数百人というインチョン沖のクロップ島、トプチョク島に廃棄物処理場の計画を発表しました。その後、10ヶ月間、両島の住民とインチョンの市民が立ち上がったのです。そして、ついに10月に活断層発見を理由に政府は断念したのです。

第三回 台湾

Taiwan map  40年間続いてきた戒厳令が解除され、87年ぐらいから民衆の運動が活発に行われるようになってきました。台湾では戒厳令下において6基の原発が作られてしまいました。しかし、7基目以降は、この10年間、住民たちが阻止し続けています。
 台湾の場合、野党の民主進歩党が92年に議会の3/1を獲得して与党の国民党と対決しています。そして、野党が国会で反原発を打ち出すことで、大きな政治課題として位置づけられています。さらに国民党が外省人(あとから来た人たち、つまり蒋介石と共に中国本土から移ってきた人たちのこと)の党であり、その支配に対抗することからも、反原発と民主化は深く結びついた運動として繰り広げられています。
 さらに台湾では、廃棄物貯蔵所がランユ島という小さな島に作られました。ここには、ヤミ族という少数民族の人々が3千人ほど住んでいたのですが、台湾政府は彼らには、缶詰工場を作るといってウソをついて、廃棄物のドラム缶を10万本も持ち込んだのです。
 さらに貯蔵所を拡張しようとする政府に対して、ヤミ族の人々は、果敢に戦いを続けています。

 このような台湾で開かれたノーニュークス・アジア・フォーラム第三回では、反原発のデモを予定していましたが、それがフランスの核実験と重なり、タヒチからの参加者も含めた2万人におよぶ大きなデモになりました。そして、目抜き通りの真ん中で、核兵器と原発の張り子の模型に火をつけて燃やすという大アトラクションも行われました。
 交流会もたいへん盛んで、台湾の反核の運動の力強さがあらためて感じられたのです。


  
<戻る> <先頭へ>