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ノーニュークス・アジア・フォーラム誕生
日本が「お手本」にされてしまっている!
1988年ごろから韓国の反原発運動をしている人との交流が始まりました。そこで分かったことは、各国の政府や電力会社など、原発を推進しようとする人々が国境を超えて仲がいい、ということでした。
たとえば、原発の宣伝の仕方とか、住民対策とか日本を参考にして韓国政府や電力会社も原発を進めているのです。そして、日本では原発はうまくいっており、住民はみんな賛成していると宣伝しているのです。そして、推進側は毎年会議をもち連絡を取り合っています。
台湾でも同じでした。福井県の美浜原発のすぐそばの海水浴場で泳いでいる写真などを使って、日本では原発がうまくいっていると宣伝していたのです。
インドネシア、タイなどの国々とも交流を持つにしたがって、同じことが各地で行われている実態が分かってきました。
アジア・フォーラムの必要性
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また日本は、それ以上に、各国の原発技術者を呼んで研修させるなど、リーダーシップを発揮しています。1990年から「アジア地域原子力協力国際会議」が日本で開かれ、日本はインドネシアをはじめとして、原発を売り込もうとしています。
日本がアジアの国々に原発を押し付けている。そして、その宣伝に私たちが使われている。こんなことを、私たちは許しておきたくなかったのです。
ゆきづまっている、原子力産業
日本の原発は、25年で50基というペースで作られてきました。これは、実はエネルギー対策というより、原子力産業のためだったと私たちは考えています。東芝・日立が作る沸騰水型が毎年1基、三菱が作る加圧水型も毎年1基、というペースは原子力産業の都合だったのです。エネルギー対策よりも、環境を守るよりも、そして住民の命よりも、原子力産業を守るために、原発は建てられてきました。
しかし、市民運動の広がりや、相次ぐ事故によりずさんな安全管理が明らかになってきたこと、そしてなにより、原発建設地の地元の人々の力強い意思表示により、新たな原発の建設は困難になってきました。
誕生
1992年、ブラジルで開かれた地球サミットの前に横浜でアジア・NGOのプレフォーラムがありました。このとき、韓国の反核資料情報室の金源植さんからアジアの反核フォーラムを作ろうという提案があり、第一回を日本で開催して欲しい、という呼びかけがありました。
これに応え、日本で運動している人々に呼びかけることにより、最終的に賛同・呼びかけ人が1、354人、賛同団体が177団体におよぶネットワーク型の実行委員会が生まれたのです。
そしてノーニュークス・アジア・フォーラムはその後、韓国、台湾、インドネシアと毎年多くの参加者が集まり開かれてきました。核をめぐる様々な問題を解決しようとするアジアの民衆自身が学習し、討議し、交流する場として発展してきたのです。今年、1997年はフィリピンで開かれる予定です。
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