ノーニュークス・アジア・フォーラム
インドネシア
交流の記録



ウジュン・ワトゥーの原発予定地にて。
ここは第二候補地とされている場所で、後ろに見えるのは気象観測塔だ。

96年4月28日、原発予定地ムリア半島のジュパラで初の反原発デモが行われた。
中部ジャワ各地の人たちが集まりデモが行われた。いまなお、軍事政権であるインドネシアでこうしたデモが行われるのはめずらしいことだ。横断幕のPLTNは原発のことだ。

原発予定地ウジュン・ワトゥーの子どもたち。このあたりは、漁村で、エビの養殖が行われている。

インドネシアのロック界のスーパースター、イワン・ファルスさん。
日本でもよく知られているミュージシャンで、インドネシアでは彼のコンサートには10万人が集まるという。

95年4月25日、チェルノブイリ9周年集会の前日、ジャカルタのワルヒ(インドネシア最大の環境保護団体)の事務所で、日本から訪れた藤田祐幸さんが原発について講演を行った。

右は、4時間もの間みっちり語られたその内容を真剣に聞くイワン・ファルスさん。

95年4月26日。上の写真の翌日、ジャカルタでチェルノブイリ9周年大集会が行われる予定だったが、政府の弾圧により、中止させられた。
これは、追い出された会場の前での記念撮影。横断幕には「忘れないで、チェルノブイリを繰り返さない」と書かれている。

こちらから行くだけでなく、インドネシアのお客様も何度も招きました。
これは、「アジア食い倒れまつり」と題した大阪ノリの集会で歌ってもらっているインドネシアの歌手ハリー・ルスリーさん。



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