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カントリーレポート


 

韓国


  現在、韓国では11基の原発が稼働中、6基が建設中。政府は2006年までに新たに11基の原発建設を計画している。建設中の6基は既存の原発敷地内での増設である。韓国政府も他国同様、「原発推進がCO2削減に貢献し、石油や天然ガスが少ない韓国のエネルギー問題を解決する」と主張している。

  原発温廃水による汚染が、ヨングァン、ウォルソン、コリで深刻な問題となっている。温廃水に投入される薬物による汚染と放射能汚染である。家畜の変形と、住民の健康障害が多発している。
 1978年から95年にかけて、韓国の原発は、事故等で288回停止している。最多記録は、最も古いコリ1号の104回である。恒久的な核廃棄物貯蔵施設はない。
 現在の韓国における反核運動の大きな目標は、原発の新増設をくい止めること、とくに、ヨングァン5、6号と、ウォルソン5、6号の増設を阻止することである。同時に、持続可能エネルギーのキャンペーン等も行なっている。

 この1月、北朝鮮は、20万バレルにおよぶ台湾の核廃棄物を2年以上にわたって保管する契約を台湾電力と交わした。アメリカ議会と国連環境特別委員会は、北朝鮮への核廃棄物輸送に反対する決議を出した。中国政府は公式に異議をとなえた。台湾と韓国では、反核団体が抗議している。台湾政府は、マーシャル群島をも核廃棄物処分場候補地として考慮に入れている。
 北朝鮮が台湾の核廃棄物処分を引き受ける最大の理由は、食料難にある。米下院議員が「700万ないし800万人が飢餓に直面している」との調査報告を伝えた。国連の世界食料計画は「食料備蓄は遠からず完全に底をつくだろう」と予測している。韓国の多くのNGOが救済キャンペーンを行なってきたが、韓国政府は、NGOの食料支援を禁止することで、問題をより悪化させている。
8月19日、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)は、咸鏡南道で軽水炉の起工式を行なった。2004年までに100万キロワットの軽水炉2基を北朝鮮に供給する計画で、52億USドルの費用が見込まれている。台湾の核廃棄物受け入れと軽水炉計画によって、朝鮮半島は、アジア市場を狙う多国籍原子力産業の足掛かりとなるだろう。

訳・浜本弘也

 

 

台湾


  第一、第二原発の使用済み核燃料プールが近々満杯になるため、台湾電力は乾式中間貯蔵施設の建設を計画中である。環境影響調査なしで既に建設許可が下りているが、まだ着工はされていない。そのかわり台電は、古い貯蔵プールを改造し、使用済み燃料を密集保管することにした。
第一、第二原発の周辺海域で骨の曲がった魚などが発見されているが、台電とAEC(原子力委員会)は温廃水の温度のみが原因だと主張し、94年に第二原発で水を冷まして排出するための工事を行った。しかし魚の異常は減っていない。

  第三原発では96年4月、288℃の一次系蒸気が漏れる事故が起きた。台電とAECはこの事故を隠していたが、1ヶ月後メディアの知るところとなり、現在、監察院の特別調査チームによる詳しい調査が行われている。

  蘭ゆ島は1982年以来台湾の核のゴミの90%を引受けさせられており、放射能汚染は深刻である。先住するヤミ族(現タオ族)が環境保護団体などと共に激しい反対運動を行った結果、96年7月24日AECは、蘭ゆ島に今後放射性廃棄物を持ち込まないことを決定した。次の運動は、2002年までにこれを除去するという台電の約束を守らせることである。

  放射性廃棄物や使用済み燃料を最終的にどこに捨てるかという問題が残る中で、台電は97年1月11日、北朝鮮に6万本の低レベル放射性廃棄物を送る契約を結んだ。これに対しては環境保護団体や韓国政府などから国際的に批判の声があがっている。また、台電がAECに提出した廃棄物輸送のための申請書は、北朝鮮の貯蔵施設が完成していないことで保留になっている。国際的なメディアの目もあるため、台電は国際世論の圧力で断念させられるだろう。

  第四原発は、当初100万kW2基であった計画を、可能性調査や環境影響調査を行わずに135万kWに変更したため、95年監察院の特別調査委員会は、この容量変更は違法であるとの裁定を下した。
天然ガス火力の発電単価は原発の3分の2。自家発電の建設も進んでおり5年以内に設備容量は30%の超過となるだろう。第四原発建設の経済的意義はすでになくなっている。
  民進党は92年の選挙で議席の3分の1を獲得。去年12月の選挙で原発反対議席はほぼ2分の1となる。また、96年3月台北市が行った第四原発の住民投票では、過半数の市民が反対票を投じた。
  96年5月立法院で新規の原発建設を禁止する法案が可決された。しかし行政院は憲法上、大統領の承認と国会議員の3分の1の支持で拒否権を行使できる。そのため台電は翌日に入札作業を進めGEに第四原発を落札させた。反対派は座り込み行動などで抗議したものの、10月実際にこの法案は否決されてしまった。しかし、反対派はいま、政府への拘束力を有する「住民投票法」を制定しようと運動をしている。この10月には塩寮で1ヶ月間それに向けての大々的キャンペーンをはる予定である。

最近のうごき

◆第四原発の温廃水の排出口の工事が塩寮の海岸で始まった。今年8月地元の漁師たちが何度か抗議行動を行い、今後も計画中。しかし、地元の運動家の中心課題は原子炉本体の上陸をいかに食い止めるかである。

◆台湾の憲法が8月に改正され、行政院が立法院に対して行使できる拒否権の敷居が高くなった。拒否権行使に必要な議員の賛同は過半数となる。そこで私たちは、去年の原子力廃止法案のようなものを再度立法院に求めていこうと考えている。

訳・安楽知子

 

 

タイ


  初めての原発推進政策が打ち出された1966年以来、実に30余年の間、タイ政府は原発建設を何とか実現しようと試み続けている。しかしそのたびに国民の強い反対に阻まれてきた。国民の反対の根本にある考え方は、原発とは単なる発電施設などではなく、一国の経済の安定、軍政、民衆の生命と財産の安全に関わる重大問題だという認識である。

  92年、政府は国のエネルギー及び原子力関係機関、電力会社などからなる小委員会を設置して、原発建設とタイ経済の整合性を調査させた。その結果、2001年までに90万Kwの原発をタイ南部に6基建設することを、タイ電力公社のエネルギー計画に組み込むべきだとした。放射性廃棄物については、何ら具体的な議論はなされないままに。
  国民の反対がおさまらないと見て取った政府は計画の撤回を表明した。しかしタイ政府は、9億バーツを投入して、原子力浸透のための宣伝、広報活動を続けてきた。このような偏向した情報で民衆、予定地住民、地方官吏などを欺こうとすると同時に、政府諸機関が原子力導入は国益にかなったものだという談話を次々に発表しはじめている。とりわけ重要になるのが原子力平和利用局(OAEP)である。OAEPは長期にわたって原子力技術研究を行ってきているが、最近の発表で、パトムターニー県に年間生産量1000Kgのウラン精製工場を建設することを明らかにした。OAEPはナコン・ナヨック県のオンカラックに原子力研究所を設立、10MWの研究炉1基を操業している。バンコクにあるカセサート大学の原子力研究施設から汚染された排水が運河に廃棄された問題などが明るみにでる中で、周辺住民は安全基準や廃棄物処分に関して不信を募らせている。

  政府はいまだかつて国民向けの原子力に関するヒアリングを開催したことがない。それどころか、政府は秘密裏に事を進めるようになり、内部的な原子力推進勉強会や海外の原子力施設への政府関係者の訪問などが続けられている。

  94年には科学技術環境省(MOSTE)に安全対策を含めた原子力施設建設の安全監視機関を設立することが決定、さらには原発建設のためのFSをおこなう小委員会の組織・運営などの責任も与えた。政府は、OAEPを通して、タイ湾に程近いチョンブリー県に原発を建設するという政策へとさらに踏み出した。
  原子力が不完全な技術であることは言うまでもなく、タイ環境機関(TEI)も巨費を要する原発建設の不当性、また天然ガスの利用が経済的にタイの状況に即していることなどを指摘している。しかし必要な情報は国民から隠されたままである。前政権時の科学技術環境大臣は、原子力開発に固執する強い意思を表明していたが、政府内部ですでに選定されていた予定地の場所についてすら全く沈黙したままであった。
  予定地が南部の海岸沿いの地域に集中していることはすでに明らかになっているが、それらの地域の住民たちは原子力という言葉を聞いたことすらなく、情報も全く与えられていない。タイ東北部には、廃棄物処分場建設計画が浮上したが、政府はその地が塩性で農業に適さない荒廃地だとして、そのような危険な処分場の建設自体には言及せず住民を欺いて土地を手に入れようとしている。
  昨年政府は、チュラロンコーン大学のマスコミュニケーション学科に対して、原子力のPRを企画・実施するよう任命した。これは、FSの結果1000MWの原発を4基建設するという計画が打ち出されたことを受けたものである。この計画に対しては日本政府からの融資申し出、カナダ政府が環境大臣をタイに派遣するなどの動きがあったが、1996年にはアメリカの原子力企業がオンカラックの研究炉建設を手中に収め、一歩先んじたかたちとなった。
  政府機関とNGOの共催で毎年開催されるタイ最大の環境フェアにおいて、私たちは、EGAT(タイ電力公社)やNGO、予定地の住民組織代表などを招いた対話集会を行った。また同時に行った意識調査においては、888人の回答者のうち、70.83%が原発建設反対の意思を表明した。事故や廃棄物の問題に加えて、政府のなりふり構わない傲慢な推進姿勢が彼らの反感を買っていることも明らかになった。この調査結果に関しては、さまざまな大新聞でも取り上げられた。

  現在、EGATの私企業化を計画する政府とそれに反対するEGAT幹部らの間でこれまでにない混乱が起っている。

訳・宇野田陽子

 

 

インド


インドの原発の歩みと現状

 インドはアジアで最初に原発を開発した国で、スタートは実にインド独立より前の1944年に溯る。以後、慢性的な電力不足の解消という理由で、国家の厚い庇護を受けながら、強大な力を持つ原子力委員会(AEC)のもと、住民不在の原発推進政策を続けて来た。
 現在、国内五カ所に、二基の沸騰水型軽水炉と、八基のカナダ型重水炉がある。1985年に始まった15年計画では、2000年までに更に十八基造られる予定だ。
 インドはウランを産出するが、一方、特に豊富なトリウム資源を使って、トリウムからウランを増殖する増殖炉の開発にも力を入れている。
 使用済み核燃料の再処理施設はトロンベイ、タラプール、カルパッカムの三カ所にある。更に、高レベル廃液のガラス固化施設もこの三カ所に設置、あるいは工事途中である。
インドは1973年の核拡散防止条約に加盟せず、74年には平和利用の名目で核実験を行った。核兵器を保有する世界五か国以外で核実験をしたのはインドだけである。このことで直ちにインドが核軍備を進めているとは言いがたいが、政府高官が度々「インドはどのような攻撃にも耐え得る。必要とあらば二週間以内に核兵器を造れる」というコメントを繰り返すことを考えると、インドの原子力プログラムは必ずしも平和利用のためだけではなかったのだ、と考えざるを得ない。

事故と問題点

 インドでは原発での事故はかなり多い。重水炉RAPS−1やカルパッカムの炉でも事故が発生し、現在出力を下げて運転されている。この他、ここ数年大惨事につながりかねない事故が続出している。
 ナローラでは93年に、タービン室から出火するという大事故が起きた。出火に気付いた作業員が直ちに炉を止め、火事で冷却用の回路が作動しない中、高熱と被曝を恐れずに手作業で水を運んで冷却した。事故後の調査で、火事の原因はタービンの羽根の設計上の欠陥であることが分かった。しかもこの欠陥は建設当初から分かっていたにもかかわらず、工事中の変更を嫌う関係者によって故意に隠されていたのである。
 カクラパールでは94年、豪雨による洪水でタービン室が浸水しただけでなく、廃棄物格納庫の廃棄物キャニスターが建物の外に流れ出すという事故が起きた。当夜監督官たちは惰眠を貪り、洪水を防ぐために近くの湖の水門を開くこともせず、工場内が水浸しになるに任せたのだ。流出したキャニスターの数にも異説があり、しかも蓋がゆるくなっていたと言う。
 同じく94年カイガで、原因不明の炉内コンクリート壁の大規模な崩落が起きた。幸運にもこの原発はまだ建設中で、運転を開始していなかった。上層部は直ちに箝口例を敷き、警察への報告も大幅に遅れた。この事故に関する政府の公式見解は発表されていない。
91年には、ボンベイ近郊のバーバ原子力研究センターの周辺で大規模な放射能漏れが発見された。維持管理の悪かった地下の海水パイプラインの一部が破損し、そこから汚水が土壌に漏れ出ていたのだ。このパイプは海へ通ずる排水パイプだったが、信じ難いことにバルブで切り替えて、使用済み核燃料冷却用プールを洗浄した放射性廃液を処理施設に送るのにも使われていた。従って、破損による広範囲の土壌汚染を引き起こしただけでなく、最悪なことに、以前からアラビア海にも廃液が流れ出ていたことになる。海ではかなり希釈されるとはいえ、海洋生物の汚染は深刻な問題である。

反核運動

 ボパールのユニオン・カーバイド社の大事故をきっかけに立ち上がったガンジー主義者たちのグループは、85年カクラパール原発の設置に対して反対運動を起こした。この運動は大きな波紋を呼び、翌年、同地で反対運動の大集会が開かれた。政府側は四人以上の集会を禁ずる法律を発布して集会の弾圧に乗り出し、警棒や馬や催涙ガスで参加者を蹴散らした。参加者の方も数千人が投石や破壊暴力に走り、集会は大荒れとなった。
 その他、法廷にまで持ち込まれたカイガ原発の反対運動など、インド各地で反核運動が起きたが、86年ボンベイに各グループが結集してセミナーが開かれ、「運動は地方レベルで、戦い方はグループ独自のやり方で、しかし、お互い連絡を密にして支えあおう」という方針が決定され、機関紙の発行も始まった。
 インドには特筆すべき運動の形態が二つある。一つは「サイクル・ヤトラ」と呼ばれるもので、20〜25人が自転車に乗り、1000〜1500キロに渡って町や村の辻で集会を開きながら、人々に核の危険を訴えて行く。
 もう一つは、原発周辺に住む住民の丹念な「健康被害調査」だ。現に、ラワットバータでは17年間何の反対運動も起きなかったが、この健康調査の後、住民は政府に原発閉鎖を求めるデモを行った。
 ほとんどの反対運動は、人々の注意を喚起することには成功したが、政府に原発推進政策をやめさせるまでには至っていない。しかし、現在新しい用地に新しい核施設が造られることはなく、全て既存の施設がある所に建てられるようにはなっている。
 インドの反核運動の特異な点は、人々が共産主義者や、極右愛国者、ガンジー社会主義者など、あらゆる政党にまたがっている点だ。核による環境汚染に反対するという共通基盤で、人々は主義主張を越えて繋がっている。

再生可能エネルギー

 インドで再生可能エネルギーの考え方がなかなか広まらないのは、政府が政策面でも資金面でも本腰を入れないこと、風力発電に対する税の優遇策を狙った一部の企業家の参入によるイメージの悪化などのせいである。特に、政府の住民を無視したやり方が問題で、例えば、ある村に何千ルピーもかけて太陽電池パネルを設置しても、村民に使用方法に関してろくな説明もしないので、パネルは無用の長物となってしまった、という事態も出ている。
 では、原発、火力、大規模ダムによる水力発電といった従来の環境破壊型エネルギーに代わる有効な代替エネルギーは、インドにはないのであろうか?
 その一つの有望な答えが「ミニ−マイクロ水力発電」である。これは落差のある川と発電機さえあれば出来る水力発電で、隣の国ネパールでは豊富な河川を利用して古くから広く行われている。インドでも、村に条件を満たす水の流れがあれば、環境を壊すことなく、また大企業の手を借りずに自分達の手で自分達の必要な電力を手に入れることができるのだ。
 現在、いくつかの村でこの「マイクロ水力発電」が取り入れられ成果を上げている。インドでは、今後、ますます多くの集落でこの方式が導入され、広まっていくと予想される。

訳・大野博美

 

 

インドネシア


  現在最も有力な予定地とされているルマアバン村には、政府所有のカカオ、ココナッツ、ゴムの巨大なプランテーション農場がある。これまで大規模な立ち退きを伴う政府の巨大プロジェクトが強い反対を巻き起こしてきたのは、立ち退きを強制される人々が根本的に生活形態を変えなければならないことだった。あるダム建設のケースでは、農民が漁業に従事せざるをえなくなるなど、それは心理的にも非常に苦痛を伴う仕打ちである。地方政府はルマアバンの人々に対して、近くの代替地を与えて遠方への植民はさせないと約束した。人権侵害を引き起こす移住の強制は、国内のみならず国際問題となっているからだ。しかしこの先何が起るか誰にもわからない。

  予定地に近いジュパラでは、調査のために数人の外国人が滞在しており、毎日ルマアバンを訪れているという。また、地方政府はルマアバンまでの道路拡張工事を行った。そしてルマアバンから1Kmしか離れていないところに、火力発電所が建設中で、これは原発建設のための準備ではないかといわれている。また、村のすぐ近くに港が建設されるという噂も流れている。

  この間我々は、原子力法の問題に深く関わってきた。この法律は、投資家ばかりを利し、環境や人々への影響をまったく軽視したものだった。議員へのロビイングの過程で、彼らが原子力に関してあまりに無知であることに我々は驚かされた。しかしこれをきっかけに議員たちの中にも原発を技術論としてではなく、地球と人類にとっての普遍的な問題として考える人々が現れ、条文改正に尽力してくれた。内容的には大きな前進があったが、結果的に原子力法は成立してしまった。主な問題点は、ほとんどの条文がその詳細を大統領の決定に委ねていること、原子力災害時の補償額があまりに低いこと、被害申請までの期間が30年に制限されていること、監督機関の設置は大統領の決定によることなどだ。

  半年前の総選挙以来、インドネシアの政局は混迷を極めてきている。副大統領の座を狙うハビビ(技術研究担当大臣)は、最も強力に原発建設を推進してきた人物であるが、副大統領人事をにらんで「原発建設無期延期」などの発言を繰り返している。民衆及び政界内での批判をかわすための作戦であろう。こういった発言が、ついには国内のみならず海外においてもある程度の信憑性を持つものと思われるようになってきてしまった。しかし、政府は原発建設の野望を捨ててはいない。現にハビビの影響下にあるインドネシア原子力庁(BATAN)は民衆や知識人に対する原発推進のキャンペーンを続けている。

  今後我々は、11月には独自にFSの評価研究を行おうと考えている。FSがいかに不完全なものであり、ムリア半島に原発を建設する必要などどこにもないのだという事実が民衆、知識人、議員たちに届く日が一日も早く来ることを望んでいる。

インドネシア初の反原発全国ネットワーク発足

  さる8月7日、インドネシア初の反原発全国組織、全国インドネシア反核コミュニティネットワークフォーラム(FJNMANI)が結成された。これまで多くの反原発グループ、個人が独自に活動を行ってきたが、より大きく広汎な運動が求められてきていることから、このたび全国組織として正式に結束を固めることとなったものだ。

訳・宇野田

 

 

フィリピン


バタアン原発

  1973年3月、マルコス大統領は原発建設を正式決定し、ウエスチングハウス社(WH)が建設を請け負うと発表した。WHは契約が続行されるよう、マルコス及び配下の財閥ディシニに対して少なくとも1700万ペソの賄賂を支払った。77年、戒厳令下に特徴的な腐敗と抑圧の空気の中で、総工費22億ドルのバタアン原発建設が開始された。建設地モロンは、ナチブ火山から7Km、フィリピン断層と西ルソン断層に挟まれており、地理的にもすでに致命的な危険をはらんでいた。79年3月のスリーマイル事故後、政府による安全性調査のため建設はただちに中断された。調査によって発見された欠陥は4000ヶ所にのぼった。

非核フィリピン連合(NFPC)の設立

  128に及ぶ国内の多様な運動体の連合として1981年に結成された非核フィリピン連合は、まずバタアン原発の建設・操業停止を緊急目標とした。すぐさま全国で、特にバタアンにおいて広汎でねばり強い教育キャンペーンが展開され、バタアンの地では非核バタアン運動(NFBM)という州規模の素晴らしい運動体が誕生した。そしてバタアン原発建設反対は次第に全国民的な議論となり、同時にマルコスのファシズム独裁政権への反対となっていった。しかしキャンペーンが高揚する最中、安全点検を完了したとして1985年に建設が再開される。NFPCは建設と操業の中止を求めて最高裁に提訴した。

  86年2月、マルコス独裁政権が倒れ、アキノが新しい大統領となった。チェルノブイリ事故もあり、バタアン住民や多くの市民の強烈な反対の声によって、4月30日、アキノ政権はバタアン原発を凍結、建設に関わった企業を法廷に訴えた。また、バタアン原発の今後の代替利用などを研究するため内閣委員会を設立した。

核兵器・基地に対するNFPCの闘い

  バターン原発での勝利を受けて、NFPCはフィリピン国内の米軍基地、そしてそこに持ち込まれている核兵器や軍事設備などに対する闘争に方向転換していった。アキノ政権が憲法見直しのために憲法総会を開いた際、NFPCは非核条項を憲法に盛り込むようロビー活動を展開し、その結果1987年憲法に非核兵器条項が盛り込まれた。多くの地方自治体、学校が非核地域宣言をした。この条項はフィリピン上院においてアメリカとの軍事基地協定拒否のよりどころとなり、92年11月、ついに我々はすべてのアメリカ軍部隊を撤収、軍施設を閉鎖させるに至った。

ウェスチングハウス訴訟

88年9月から11月にかけて、フィリピン政府とWHらの間で和解交渉が開かれたが、WHらは発電所は完璧だったと主張し、交渉は失敗した。同年12月、フィリピン政府はWHに対して2件の訴訟を起こした。一つ目はニュージャージーの地裁での刑事訴訟、もう一つはスイスにある国際商業裁判所に起こした民事訴訟で、WHとの契約は賄賂のために無効であると訴えた。市民には知らされないままに89年12月から90年12月の間、和解交渉が行われ、対案が模索された。中には、莫大な費用をフィリピンの納税者に押しつけてWHにバタアン原発を修理・改良させるという信じがたい選択肢もあった。その後WHはバタアン原発を調査し、フィリピン政府に和解策を提出した。92年3月4日、和解案は議会の承認を条件として仮調印され、訴訟は延期された。上院、下院ともに和解案の条件を拒否しながらも、決議自体は承認する態度をとった。そして92年3月5日、アキノ政権はWHと1億米ドルで和解すると発表した。和解案は驚くほどWH側に偏ったものだった。

  NFPCはロビー活動をはじめ、あらゆる方面の階層へ働きかけて民衆のバターン原発問題への関心を喚起した。さらに、運動の組織化を図り不平等な和解案の放棄とバタアン原発永久封鎖させることを目指して「バタアン原発反対ネットワーク(NO to BNPP)」を正式に発足させた。新聞が届かないような地方の村ではラジオ番組を放送するなど、あらゆる地域のあらゆる階層に教育キャンペーンを行った。

  裁判所が定めた期限の二日前である92年12月2日にラモス大統領はWHの和解案を拒否し、訴訟を続けると決断した。我々はこの事態を歓迎したが、あくまで部分的な勝利だと受け止めていた。バタアン原発の操業は選択肢として残っているという政府の発表と、バタアン原発関連のローンを支払い続けることは明らかだったからだ。

ウェスチングハウスによるさらなる和解案

  93年5月19日、フィリピン政府が提訴していた刑事訴訟はWHの勝利となり、フィリピン政府は上訴した。WHによる新たな案が出された。係争中の訴訟の延期とWH製品の締め出しの撤回と引き替えに、ガスタービン2基を提供するというものだった。ラモス大統領はこの条件を拒否した。価格が妥当でなかった上、当時のラモスはバタアン原発のような争点で支持率を失うリスクを負えなかったからだ。その後も同様に一方的で侮辱的な申し出が繰り返されたが、フィリピン側交渉団は一貫してこれらを拒否してきた。95年10月、WHは再度1億米ドルの和解案を申し出た。フィリピン政府はこれに調印した。これによりWHは欠陥発電所に対するあらゆる責任から解放され、2年間続いた、電器部門におけるWH製品の締め出しが終わった。しかしフィリピン民衆には、利子だけで日額30万ドルという気が遠くなるような支払いの義務が残されたのである。

「フィリピン2000」と核エネルギー

フィリピン民衆のフランス核実験への抗議が続く中、ラモスの原発建設計画が新聞で明らかにされた。95年5月12日、廃棄物処分場用地や宣伝キャンペーンの方法まで含んだ詳細な原子力計画が大統領令として出された。政府内では「フィリピン2000に向けての総合原子力計画」を最終的に詰めるための委員会がもたれた。いわゆる「核エネルギーのメリット」に関する教育キャンペーンも行われ、今や原発セールスマンとなったIAEAは、民衆による受け入れという最大の問題を解決することを期待して地方行政に積極的に協力した。ビライ・エネルギー省長官は96年12月、10
ヶ所の地域が原発建設用地として提案されていると明らかにし、また「86年のバタアン原発中止以来、政府は一度も本当に原発をあきらめたことはなかった」と語った。
我々は、ラモス大統領は原発を放棄し、持続可能なエネルギー計画に着手すべきだと考える。また、輸出商品偏重の性急な工業化に基づく「フィリピン2000」の開発戦略そのものも、国内需要に向けた生産を重視した戦略に変えられるべきである。

核のないフィリピンを求める闘い

バタアン原発と米軍基地に対する我々の闘いの成果は、民衆の団結がどれほど大きな力を持ち得るかをよく示している。今日、我々はフィリピン政府の新たな核エネルギー計画に直面し、また改憲策動を通して独裁ファシズム政権への逆行が迫ってきている。しかし、我々はこのノーニュークス・アジアフォーラムでもった強力な国際連帯と粘り強い努力によって、核も基地もないフィリピンを見るまで生き続けるであろうことを信じている。

訳・上野哲史

 

 

欧米他の概況


  アメリカでは、1973年以降に発注された原発建設は結果的にすべてキャンセルされ、1978年以来発注そのものが皆無である。電力業界の競争が激しさを増す中で、アメリカもカナダも確実に原子力から撤退している。

  ラテンアメリカ全体で稼働中の原発は5基のみである。内訳はアルゼンチン2基、メキシコ2基、ブラジル1基である。アルゼンチンは1基増設中、ブラジルは2基目の建設を93年に中断した。キューバは資金難から、計画されていた2基のソビエト製原発の建設を中止しているが、現在も建設再開を狙って海外からの融資を求めている。

  西ヨーロッパでは、フランスを除く全地域で原発の新規立地は中止された。ここでの議論はすでに、現存する原発をいつ止めるかということにすでに移っている。ベルギー、フィンランド、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、スェーデン、スイス、イギリスにおいて、原発建設は完全に中止された。

  東欧、旧ソビエト連邦の国々では、まだ不透明で予測のつかない状態が残されている。しかし、同地域で計画・建設中だった原発のうち50基がチェルノブイリ事故後5年間でキャンセルされた。96年末まででいまだ建設続行されている原発は10基である。

 

 

オランダ


  オランダに存在する商業炉2基、研究炉3基のうち、GE製の沸騰水型炉ドーデバルト原発が97年3月23日に閉鎖された。もう1基の商業炉、ボルセラ原発が建設された後、政府は原発20基を増設する計画を明らかにしたこともあった。最近では1996年に3基増設の計画が持ち上がるなど、原子力自体を放棄するとの公式見解こそないが、政府内部で原発が現実的な選択肢だと信じている人間はほとんどいないのが現状である。オランダ国内では原発に反対する国民が85%に及び、「気候変動の解決策である」などとして少数の推進派が時折行うプロパガンダも、宗教者、労組などさまざまな社会グループによって直ちに論破されてしまうのが通例である。

  EUの政策により、域内での国境を越えた電力の売買がさらに容易になると考えられている。これは発電施設そのものも国境を越えることを示しており、より反原発の世論の低い地域を狙って原子力産業が移動していく危険をもはらんでいる。また、欧州での電力自由化により、電力市場にも完全な自由競争原理が導入されよう。政府の保護や補助金を失った原子力が電力市場から姿を消すことが予想される反面、電力が安くなるだけで節電やエネルギー効率の向上などが図られるわけではないことを忘れてはならない。

  大多数の国民が何らかの環境運動に関わるなど環境意識の高さを誇るオランダではあるが、政府が事実上原子力を放棄して以来、国内の反原発運動は非常に停滞している。私たちのように原子力の問題を扱っている団体は、すでに勝利した問題にいまだに固執しているように見られることすらある。しかしそれは、国民の意識がある意味で狭く国内問題に限定されてしまっているからだと言える。

訳・宇野田

 


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