Asia forum wide logo


基調講演

アジア革命の復活
民衆のエンパワーメントのための反核運動と闘争

ローランド・シンブラン 


  核のない我が祖国とNFPCを代表して「第5回ノーニュークス・アジアフォーラム」のすべての参加者のみなさんに心からの歓迎のあいさつをお送りします。

 101年前の1896年、フィリピンはアジアで初めての、西洋植民地勢力に対する愛国的民主的革命を達成しました。この革命はアジアの人々の覚醒という肯定的な役割をはたし、この地域におけるヨーロッパ植民地支配体制を突き崩すアジア革命のうねりとなって引き継がれました。今日のフィリピンの愛国的民主的運動は、1896年のフィリピン革命に、その起源をたどることができます。マニラにある外国資本所有企業の労働者であったアンドレス・ボニファシオに率いられて、あらゆる階層に属するフィリピン人が、スペインの植民地支配に対して立ち上がったのです。そして今日、アジアの民衆の非核への決意と自覚によってはっきりと示されているように、当時に匹敵するほどの運動の高まりと民衆の覚醒が起こっています。

 フィリピンで開催されている第5回ノーニュークス・アジアフォーラムは、2重に重要な意義をもっています。なぜならこの国は1987年以来、非核憲法を有しており、その中で次のような原則と国家の政策がはっきりとうたわれているからです。すなわち、「フィリピンは国家の利益のためにその領土内からの核兵器の排除政策を採用し、また追求する。」

 1991年、フィリピン上院はこの国家政策と憲法の規定を拠り所に、強い反核、反基地運動に支えられて、この国からすべての外国の軍事基地と軍隊および核兵器を撤去させました。

 しかし、今ここに政治的社会的危機が生じています。憲法を改悪し、大統領をはじめとした現職の官僚たちの任期延長を狙う、すなわち進歩的、愛国的、国民優先の条項を改悪しようとする執拗な策動が起きているのです。我々は、フィリピン民衆が闘いによって勝ち取ってきた民主的な成果を覆そうとするこの陰謀に対して、団結を固めなければなりません。今日わたしたちは権威主義的な支配の回復をめざすもくろみに立ち向かうというだけではなく、憲法の修正を装って、フィリピン憲法の本質である愛国的、民主的、そして反核の条項を修正しようとするもうひとつの陰謀に対して立ちむかわねばならないという挑戦をも受けているのです。

 また、1974年以来、戒厳令下の厳しい政治状況の中にあってさえ、この国で原発を稼働させようとするたくらみは国民の団結した力と非核への断固とした決意によって、繰り返し挫折され、撃退されてきました。今日、たった1基の原発も稼働させずこの美しい国を汚染していないのは、われわれの国民の勇気と粘り強さによるものです。組織され、政治的に自覚した民衆こそが決断する力をもつという、この重要な教訓を表すフィリピンの歌があります。

権力を打ち倒すのは武器だけではない
金の力でもない
それは何よりも民衆の力なのだ
民衆の力こそが勝利を決するのだ
闘いの勝敗を決するのは、
もの ではなく、民衆なのだ

 何としてもバタアン原発を強行しようとするマルコス独裁の脅威、そしてアキノおよびラモス政権による原発再開のもくろみは、フィリピン国民の力とその非核への強い意識によって常に阻まれてきました。フィリピン領土内への有毒物および放射性廃棄物の持ち込みや投棄を禁じている共和国法第6969号のような法制を通して、われわれは21世紀へ向けたフィリピン政府のエネルギー計画から核という選択肢を恒久的に葬り去る道を追求していかなければなりません。

 現在さまざまな問題に組織的に取り組み、民衆の力の向上に多大な成果をもたらしてきたアジアの民衆運動の地域ネットワークは、ピープルズ・プラン21世紀、非核独立太平洋運動(NFIP)、太平洋脱軍備キャンペーン(PCDS)など、次々とその数を増しています。5年前、アジアの草の根反核運動の闘いを担う人々によって結成されたノーニュークス・アジアフォーラム(NNAF)も、新たにその仲間に加わることになったわけです。アジアのNGOは、各国の民衆組織と同様、ますます自国内での政治や経済の諸局面において重要な役割を果たすようになってきています。そして彼らは共通の問題に対して、相互の連帯を築き上げてきました。われわれの革命的先達、ホセ・リサール、アンドレス・ボニファシオ、エミリオ・ジャシント、マルセロ・H・デル・ピラ、そして1896年のフィリピン革命のすべての偉大な英雄と殉教者たちの血とインクで書かれた伝統は、かれらがフィリピン人であるだけでなく、アジア人であることを示しています。この継続的な運動は、共同闘争と連帯を通じて再発見されつつある共通の反植民地の歴史、文化的伝統、共有の精神を基盤として、今日真にアジア的な共同体とアイデンティティを確立しようとしはじめているアジア・ルネサンスを明確に示しています。わたしは、ノーニュークス・アジアフォーラムに次のような草の根反核運動が集って、知識と経験を分かちあうことをうれしく思い、このネットワークを通じて、われわれの共通の問題を解決し、各国国内でも、また国際的な場でも闘いを前進させる方法と手段を見いだすことができるように願っています。参加している草の根団体とは、つまり、インドのアヌムクティ、台湾の台湾環境保護連盟、タイの原子力再考連合、インドネシアからインドネシア反核連盟、ジョンバン反核学生連合、バンドン反核学生連合、インドネシア全国反核共同体ネットワーク、韓国からグリーン・コリア、韓国環境運動連合、、日本からプルトニウム・アクション・ヒロシマ、原子力資料情報室、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン、フィリピンから非核フィリピン連合、非核バタアン運動などです。

 エンパワーメント(民衆の内なる力の強化)のプロセスには、教育、組織化、自律的な民衆組織の構築が含まれます。このとき、もし我々が自らの力で運命を決したいと願うならまず第一に自分自身を信じなければならないという認識が不可欠な要素となります。

しかしエンパワーメントはまた、現場におけるさまざまな経験、ある特定の状況下での多様性、そしていくつもの見解が混在する中であらたな段階を切り開いていくことをも意味します。元来こういったことは、反核運動の多様なあり方において見られたように、ある一つの枠組に当てはまるものでもなく、また一国家や、一つの階級に依拠するものでもありません。我々が安全で再生可能なエネルギー、または持続可能エネルギーと呼ばれてきたものを追求するとき、われわれは開発のさまざまな代替案の実践を繰り返しているのです。極めて覚醒した人々や社会運動は、エンパワーメントの過程をおのずと発展させていくものです。この過程の中で、人々は自分の生活を自らの手に取り戻し、開発の受容者や受け身の犠牲者であるより自らの人生における行動者となる能力を我がものとしていくのです。人が犠牲者の立場に決別し、抗議し、提案し、そしてあらたな社会を建設する立場へと移り変わるとき、必然的に新しい展望と新しい発展のテーマに挑戦するようになります。

  これまで、小規模で地域に根差したオルタナティブな開発の実践が数多く行われてきました。それらの取組みはかなりな成果をあげており、シューマッハーの「スモール・イズ・ビューティフル」という考え方に基づいていると言えるでしょう。しかし安全で持続可能な代替エネルギーと同様に、そういった取組みも現実社会の中で実体を持ち影響力を行使していくためには、ある「決定的な水準と規模」を実現する必要があります。地域に根差したこれらの取組みは相互にしっかりと結びつく必要があり、さらに我々はこういった取組みを柔軟に支援、充実させていくための実質的なシステムを作り出していかねばなりません。こういった取組みはもちろん意識的に小規模な実践として行われてきたのですが、国内の政治経済の主流の中にさらに大きなインパクトを与えるためには、やはりミクロからマクロのレベルへとシフトしていく必要があるのです。

  このような民衆のエンパワーメントのプロセスはたゆむことなく続けられています。

 それとは対照的に、この50年間の歴史で、今ほど核産業のもろさがあらわになったことはありません。アメリカで、日本で、そしてヨーロッパで、核産業はずっと低迷し防御の態勢になっています。それは、高木仁三郎博士がいわれているように、衰退しつつある産業、「斜陽産業」なのです。建設中の原発の大半がアジアにあり、また窮地に追いつめられた核産業の有望な市場としてアジア地域が標的にされているにもかかわらず、原子力エネルギー(と核兵器)に対する国際的運動が強まっているのもまたアジアにおいてです。鉄は熱いうちに打てといいます。休む事なく。未来をなくした核産業の次のような脆弱性を撃たなければならないのです。

 1.第一に、原子力発電は歴史における最大の過ちのひとつです。わたしたちは、原子力発電が核兵器開発の過程で生じた副産物だということを忘れてはなりません。今日核産業によって開発されそして採用されているほとんどの技術の過程は、爆弾製造を目的としていた時代に考案されたものなのです。必要なノウハウを有し、原子炉を稼働させる者たちがまた核兵器をも製造できるために、核兵器と原子力発電の連環は依然として続きます。

 2.第二に、わたしたちは、核産業に関与しそれを牛耳っているすべての大企業や財界に対して積極的に闘いを挑んでいかなければなりません。我々の生活を支配しているのは、すみずみまで浸透してしまった大企業の圧力だからです。原子力の構造というものは、最大の利益を得るためだけに張り巡らされた集中的な世界経済システムの一部です。もし原子力以外のテクノロジーに投資することでより大きな利益を得ることができるということが証明されれば、彼らはもっと速やかにその分野に移行するでしょう。原子力以外のテクノロジーは、金と政治の犠牲となりやすいものです。なぜなら国家のエネルギー政策はしばしば天然ガス、石油そして核との利害関係をもっているからです。とくに核エネルギーへの奨励は重点的で、テクノロジー特有の投資には最高の財政的支援を受けています。もし政府の財政的支援がなかったら、原子力発電は真の競争市場においては高くつき過ぎて問題にならなかったでしょう。つまり、長い目で見ればわたしたちは、政府の意図的な財政支援を取り除くことによって、利益優先の世界の核産業を中立なものに引きもどす方法を追求しなければならないのです。

 3.第三の脆弱性は、非常に深刻な国際問題になっている核廃棄物投棄と処分の問題です。そのため核産業への反対の論拠は、今ではさらに核廃棄物投棄に焦点が絞られてきています。わたしはここで、トールキンの「指輪物語」を思い出します。その中の登場人物エレストールは、指輪の脅威に対するただ二つ可能な方法は、「指輪を永遠に隠してしまうか、もしくはそれを使わないこと」であると述べます。しかしエレストールは「どちらもそれはわれわれ人間の力の及ぶところではない」とも言うのです。このジレンマは、実に正確に原子力発電と核廃棄物にあてはまります。核廃棄物は人類を生存の危機に陥れています。世界中の400基の原子炉から出る大量の核廃棄物は、現在この地球とそこに住むわたしたちを汚染するだけでなく、これから生まれてくる世代をも蝕み続けます。これからこの地球を引き継いでいく世代は、大気と水を通して食物連鎖によって拡散する放射能をも何万年にもわたって受け継がなければならないのです。
 毎年、何千トンもの高レベル、低レベル廃棄物を生産する核産業は、多くの国々に「核の犠牲地域」を生み出してきました。それらの地域は、撒き散らされた放射能によって汚染され、人々が暮らしを営む可能性を今後何万年にもわたって奪われてしまっています。

 1950年代、ある核エネルギー批評家がこう警告しました。「核廃棄物の問題とは、飛行機に乗ってしまってから空中でパイロットに『どうやって着陸するんですか』と尋ねるようなものだ。するとパイロットは『わたしにはわからない、しかしそこに到着するまでにはその技術を考えて答えをだすことができるだろう。』と言うのだ。」さて、47年経た現在でも、わたしたちは核の飛行機を着陸させるときに来ていますが、なおそれをどうしたらよいかという答えは出ていないのです。

 4.第四に、わたしたちは低レベル放射線の神話を粉砕しなければなりません。すなわち事故さえなければ安全という神話、原子力エネルギーは技術的に安全だという神話です。ますます増加している核汚染は、核実験や事故だけでなく、フランス、イギリス、韓国、インドなどの報告に見られるように、いわゆる「原子力の平和利用」でさえ放射線被曝が破滅的な結果をもたらすことを暴露しています。この産業は、長年にわたって原子力の危険性に関する事実が一般社会に知られないようひた隠しにしてきたのです。もし一般社会が原子力がどんなに危険なものか知りさえしたら、せめて低レベル放射線被曝の危険性だけでも認識すれば、一般社会は原子力発電の開発に終止符をうち、より安全なエネルギー源を追求するようになるでしょう。原子力にはチャンスが与えられましたが、それは惨めな失敗に終わりました。原子力はそのチャンスを無駄に使い、人類の歴史において比類のないような計り知れない、そして壊滅的な結果で自らの正体を晒して終わったわけです。我々の社会は、より安全な代替テクノロジー、普遍的に完全なテクノロジーと、社会に大規模な災害をもたらすテクノロジーのどちらを信頼することができるでしょうか。わたしたちは、いたずらに世間を騒がそうとしているのではありません。しかし、核産業がわたしたちにこっそりと押し付けようとしているのはテクノロジーによるホロコースト(大量虐殺)なのです。婉曲的に進歩などと呼ばれる営利企業のための受容可能な代償として、結果的に生命を奪い、未来の世代の遺伝子を傷つけようとしているのです。

 5.第五に、わたしたちは、工業化のためには原発が必要だという誤まった主張に人々が引きまわされるのを許すわけにはいきません。かつてはヨーロッパやアメリカや日本の進歩は原発による工業化によって達成されたのだと喧伝されたがゆえに、原発に反対することは時流にそぐわないことだと思われた時期がありました。しかしこの神話はいまや、工業化された世界で続く破壊的な原発事故によって次第に崩されつつあります。わたしたちはさらにこの主張を突き崩し、それに終止符をうたねばなりません。そして原発は反対に世界の環境に対してだけでなく、人類の繁栄と生命それ自体に有害だということを、具体的に示さなければなりません。

 6.第六に、原発に対する闘争は同時に草の根の民主主義を強化し、拡大することにもつながるはずだということです。もし我々が、自分たちの生命を民主的にコントロールし民主的な意思決定を行うことが、原発というものの存在と真っ向から対立するものであるという事実を理解すれば、一般民衆のエンパワーメントはさらに望ましいものとなります。ここで重要なことは、反核の闘いは、実際に民衆の内なる力を高める闘いだということです。真に民主主義的な、政治的、社会的、経済的システムを確立するためには、

  * 大衆の問題関心に呼応した、自由で開かれた討論と意志決定の過程を尊重し、自己決定権、文化の多様性、草の根の人々の参加、および少数者や先住民族の権利を認め、外国の干渉や支配から独立していること。そして

  * 排他的で市場原理にのみ追従した開発体制を撃退するために、一般の人々の諸権利、長期にわたる生態系の持続性、文化や民族独自の総合性、そして地域と国家の自立性を尊重することです。 

 原発の廃棄と転換を実現するための努力を続けながら、わたしたちは第5回のノーニュークス・アジアフォーラムが、習慣、文化、信仰やイデオロギーの違いを越えて、アジア各国各地の運動にとっての確固とした前線をさらに確かな結びつきへと昇華させてくれること、そして意見を交換し、他の経験や戦術や闘争から学び、同時に各国それぞれの反原発運動の力を強めていくことを心から願っています。
本会議がスプリング・ボード(跳躍台)となって、次世代に持続可能な21世紀を残すためにさまざまな問題を世界的規模で考え、安全で再生可能なエネルギー源の開発につなげ、国内外での共通の活動を前進させていきたいと思います。

 核のないひとつの国として、わたしたちはアジアの仲間たちと団結し、民衆の自己決定権と主権のための共同の闘いに尽力することを誓います。わたしたちはまた、原子力というものがまかり通るとき必然的に立ち現れてくる検閲、独裁、官僚的秘密主義、欺きや脅迫といった政治状況を終結させる義務をも負っています。なぜなら、人間の尊厳を尊重することは、奪うべからざる固有の人権であり、そのことは自立した政治、経済、社会構造に支えられた社会において本来我々が与えられている安全保障と何ら変わりないものだからです。
 アジアの友人たちよ、アジアの最初の愛国的民主的革命の指導者、アンドレス・ボニファシオの不滅の言葉を彼への革命百年記念の賛辞として送ります。

今こそ時は来た、

われわれが情熱と、尊厳と

恥を知る心と連帯感を抱いていることを 示す時が。

 


<戻る>