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NNAF印象記
高木仁三郎


 相変わらずの忙しがり屋なので、8月31日〜9月3日のNNAFのマニラの部分にだけ参加した。印象に残ったことを2、3書いてみたい。
 まず、主催者のNFPC が、冒頭に反原発というよりアジアのこれからのエネルギーということに焦点を当てた会議をもつということにしたのは、もちろん、戦術的な配慮もあったろうが、それだけではないだろう。今のアジアの環境運動のひとつの焦点が、アジアのエネルギー問題を市民運動の側からも、どのように構想し、提起するかということになってきているのだと、つくづく感じた。私が、COP3の時に行う予定の市民会議(12月2日京都)について一言触れたときも、後からずいぶん反応があった。
 このことも含めて、私の印象では、「アジア」という一体感がこれまで以上に人々の間に強い感じだった。もっともこれは私のまったく個人的な感想にすぎないが。
 これも個人的なことで恐縮だが、私にとって印象的だったのは、高校生(15歳と言っていた)が何人も来て熱心に聞いていたことで、その上にコーヒーブレークの時にこのうちの何人かの男子生徒が近寄ってきて、親しく話ができたことだ。短い時間ではあったけれど、私がどうして反原発になったのかという話に興味を持っていろいろな質問をしてくれた。とっても目が輝いている少年たちで、こっちもすっかり元気になった。ああいう少年の目の輝き方というのは、私が1950年代に地方から東京に出てきて以来あまり出会ったことがなかったような気がするのだが。
 それからやれやれという話を一つ。私は、東大を含めて原子力工学科がなくなっている大学は世界に多いと言ったら、NFPCのシンブランさんはフィリピン大学は今まさに原子力工学科の設立を検討中とかで、「東大から引っ越して来るんじゃないの」と言う笑えない冗談になった。われわれが感じている以上に、東京とマニラはいろいろな意味で近そうだ。
会議の報告の中では、インドの物理学者で活動家のスレンドラ・ガデカー氏のものがとくに興味深かった。自分たちで行なったラジャスタン原発のそばの村での調査の結果、多くの身体的、遺伝的異常が認められたというものだった。もちろん、今後の厳密な検討が必要だろうが、精力的に調査に取り組んでいる姿勢に共感を持った。


 

9月1日・夜
歓迎会
「CARE FOR MOTHER EARTH」
田元美紀


  コラソンさんの歓迎のことばに続いて、オープニングのアトラクションが始まった。白い衣装に身を包んだ10数人の踊り子が、フィリピンの織物を広げ、聖水と花吹雪をまいた。各国の国旗がひるがえり、外国人参加者に手渡された(誰かさんが「日の丸」を隠した)。各国の参加者が国別に踊り子にまじって踊った。日本人の次に韓国2人が踊ったのだが、私はフィルムを入れ替えていたので韓国の踊りを見ることができず、残念(他の国のは見られたのに……)。尺八のような音色が流れ、2人の踊り子がひざまずいて頭を下げ、そのそばで1人が「お祈り」をした。私たち参加者の心が清められるように感じた。「ギーッ、ギーッ」ときしむ音の後、車の運転による排気ガスやホコリで人が咳き込む様子、物を食べたり物を捨てたりする様子(使い捨て時代)がパントマイム風に表現された。「CARE FOR MOTHER EARTH」のプラカードが掲げられた。アジアフォーラムらしいシーンだった。

 料理を味わった後、またアトラクション。部屋が暗くなった。竹の音に合わせて一人ひとりがローソクに火をつけ、竹筒に立てた。厳粛な儀式のようだった。最後に参加者全員で踊った。国や言葉は違っても踊りは共通なのだ。こんな風にみんなの気持ちが一つになれれば……。

 2年ぶりのフォーラム参加だったが、米軍基地を追い出しバタアン核電を阻止したフィリピン民衆の迫力ある闘いを感じとることができた。また、バスの窓からスラム街を見たときには、民衆の置かれている厳しい現実、南北問題を感じさせられた(本当はそこに住む人々と接してみなければわからないが)。


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