それぞれの場所からアジアと出会う 巻町から久美浜から

title.gif (10309 バイト)

 

  「ノーニュークス・アジアフォーラムってなあに?それぞれの場所からアジアと出会う」と題して、1月22日、大阪府同和地区総合福祉センターで集会を持ちました。30名ほどの参加者を得てアットホームな雰囲気で無事開催することができました。お招きしたお二人の方からはたくさんのお話を聞くことができましたが、その一部を紹介します。なお、内容は私の聞き書きによるもので間違い等はすべて、私(toach@e-mail.ne.jp)の責に帰します。ご了解ください。

  まず、巻町からお招きした金子さだおさんにお話してもらいました。また、その後に金子さんがお書きになった「勝利宣言」も合わせて紹介します。


aut_0399.jpg (222208 バイト)  金子と申します。私は長く巻町で原発への反対運動をしてきました。
  先週の16日に町長選挙があったのですが、原発反対をうったえていた笹口町長が勝利しました。わずかの差でしたので、私は開票結果を胃が痛くなるような思いで聞いていました。

  これで巻町の原発建設はほとんど不可能になったと思っています。すでに住民投票で巻町に原発はいらない、という意思表示を住民はしていたわけですが、今回の選挙がどういう意味があるかということをお話します。

  現在の巻町の状況は、安全審査中なのだが、それが凍結しているという状態です。これは法律的にいうと、原子炉等規制法の中で、地元の合意、技術的な可能性、用地取得の見こみなどが必要になるのですが、ここでは見こみでOKです。そしてその後は電気事業法用地になって、用地の取得が前提になります。
  原発予定地には境界線があってその範囲の用地は取得されなければならないことになっています。これは放射能管理の関係で動かすことはできません。そしてその敷地を昨年8月に笹口町長が反対派に土地を売ったわけです。これにより次のステップに進めなくなったわけです。

  ただし、政治的な手法が残っています。用地収用法により用地を取得してしまう可能性です。実際に用地収用法の適用を検討しているという話もありました。その意味で、今回の町長選挙に負けたら、それが具体化されてくると思われたのです。 しかし、今回の勝利のため、その可能性が絶たれたといえ、その意味で今回の選挙の勝利はとても大きいものだったのです。

勝利宣言

★ 原発のない巻町へ! 確かな一歩 ★

  1月16日、巻町の住民は、原発のない未来へ力強く確実な一歩を標した。「巻原発の最終決着」を最重要課題に掲げた笹口孝明巻町長は10102票を獲得、再選された。笹口町長は、「東北電力・巻原子力建設準備本部には、撤退してもらう」と明言、国に対しても「電源開発調整審議会には、計画の削除を求める」と宣言した。

  6割の住民が反対した96年8月の住民投票。炉心となりの町有地の反対派への売却。そして、笹口町長の再選。原発計画から30年。連綿と続いた巻原発反対運動はついに勝利した。なぜなら、町有地は原発の炉心予定地のとなりにあり、敷地利用計画を見直しても外すことはできないからだ。

  これまで東北電力は200億以上の資金を投入し、96%以上の建設用地を取得した。だが、原発建設計画は砂上の楼閣となった。手足をもぎ取られた東北電力にとって最後の禁手は未買収地の「土地収用法」を発動することだが、巻住民の民意の前に、その根拠そのものが崩れ去った。

● 幻の巻原発

  推進派候補の田辺新氏は、9835票を得た。その差はわずか267票だ。それだけに電力・推進派も必死であった。田辺氏の地域座談会は100回を超えた。だが、彼等には決定的な民意の読み違いがあった。住民投票がしめした声を過小評価したからだ。だから、電力・推進派の選挙戦略は矛盾に満ちていた。一方では町有地の売却を非難しながら、他方、「原発計画は終わった。国や県との結びつきを強める」などという、この矛盾は、町有地の売却問題を選挙戦の争点に押しあげただけだ。そして、最後は地域の締めつけと、お金の力に頼らざるをえなかった。田辺氏はこう語っている。「原発というお化けに負けた」と。

  彼等には、一貫して主権者としての住民の声を軽視する差別的な発想が流れている。このもとに巻町の議会制民主主義はあった。こんかいの選挙戦は、住民主権をめぐる争いでもあったと言えるだろう。

● 新しい巻町住民の力

  そもそも、住民投票運動は巻住民が自主的に始めたものだ。95年の自主管理投票以来2年間、住民は推進派や通産省の役人と激しい論議を交わしてきた。「3人寄れば原発や核燃料サイクルの問題が話題になる」と言われたくらいだ。このなかで、原発や町政を見つめる目は、鋭く養われてきたと言っていい。

  私達、笹口陣営では、ふたたび原発問題を争点に出来るか否かが勝敗の分れ目になるだろうと考えていた。行政課題の土俵では、推進派は豊かな経験と支配的な制度と力をもっているからだ。

  笹口さんと住民投票を実行する会は、地域対話集会で、町有地の売却は住民投票の精神を具体化したものであることを繰り返し語りかけた。私達は東海臨界事故のアピールに総力をかたむけた。こうしたなかで、12月にはどちらかと言えば保守系の人びとが「熱く町政を語る会」を結成した。多くのお年寄りが参加し、熱気に満ちた語る会は、「巻町を第2の東海村にしていいのか」と一軒一軒訪ね歩いた。ある、70歳代の婦人は、腰痛を押して臨界事故の問題を訴え、笹口さんへの支持をお願いに歩いたくらいだ。田辺氏の地元のある男性は、「私達農民は、もし事故が起きたら土地を持って逃げられない」と語り、数百の笹口票を集めた。そして、ある女性からは、「推進派は1票10000円で買収をはじめた、もっと強く原発を訴えてください」との電話が私達に寄せられた。

  熱い思いをいだいた住民が、各地域で生まれたのだ。笹口さんに寄せられた票は、こうした声の総和でもある。

  次の舞台は、東北電力と通産省へ移ることになる。原発に反対する住民の総意を両者にぶつけたい。

  続いて、京都府久美浜町から久美浜原発反対連絡会の永井友昭さんにお話していただきました。


aut_0404.jpg (220672 バイト)   久美浜ではタイの貧しい村に視察旅行にいく、ということが大問題になっています。

  久美浜原発予定地は海からは見えやすく陸からは見えにくいという場所です。こういった場所は予定地によくなっています。原発予定地となってから25年間になりますが、事前環境調査もまだ行われていません。しかし、その前の段階の地質調査は行われていて、問題ないということになっていますが、そこから先には進んでいません。

  私はこの久美浜高等学校というところに5年間いたのですが、その関係で原発にかかわるようになりました。
  チェルノブイリ事故などがあって、トーンダウンしていた久美浜原発計画だったのですが、95年のもんじゅの事故のあとの議会で急に推進の動きが強まってきました。96年に入って具体的な動きがあり、高橋秀樹など有名人を呼んだりして学習会が持たれたりするようになりました。

  久美浜原発反対連絡会が活動を開始したのは96年の8月でした。それまでも原発反対の署名なども行われていたのですが、いわば政党などの組織的な力をもとに行われたものでした。しかし、もっと緩やかなグループを作ろうということで、個人参加で年会費を集めて誰でも参加できるような形で始めました。したがって、政治的な活動や選挙活動はやらないということを掲げました。政党でみると共産党から自民党支持の方まで入っているという状況が出来ています。

  その後、町長選挙、住民投票条例制定の請願、町議会議員選挙と山場があり、それぞれ結果だけでみると勝利とはいえないが、無党派で住民の声を議会に伝える人を出そうということで始まった「みどりの風久美浜」からつのだ議員が当選したこと、つのだ議員と共産党、保守も含め、はっきりと原発反対を表明している議員が7名と、7対11まで伸ばしてきたことなど、大きな前進をとげてきたといえます。その中で、今回のようなタイへの視察といったことが持ちあがってきたわけです。


  久美浜原発問題については、 鳴き砂通信 〜久美浜原発問題を考える〜 をぜひご覧ください。

また、電力査察問題についてはNNAFのページの久美浜の電力視察問題についてをご覧ください。

 

<戻る>